出さない手紙は空の桜色に染まり

香月よう子

第1話

 "この駅のホームであなたを見送ってから

 もう七日が経ちます


 涙を見せない別れだったけれど

 心はもはや裂けそうなほど辛い


 ありがちな遠距離恋愛

 でも私達は大丈夫、て

 二人で笑いあった日々も今は、遠い


 私は何を望んで、そして

 あなたは何を欲していたの……


 自問自答を幾度繰り返しても見出せない

 私達は何に負けてしまったのでしょうか


 こうして綴りながらけれど

 あなたには決して届かない

 届けない手紙をしたためながら

 私は──────  "




 そこまで書いて私は、ふと手を止めた。


 電車が到着したのだ。

 乗降客は疎ら。僅かに数人が目の前を行き来する。

 ここは、過疎町の田舎駅。

 日中のこの時間帯は、一時間に二、三本しか便がない。

 そのプラットホームのベンチに座り、私は目の前を滑るように発車していく電車をまた見送り、ぼおっと時を過ごしている。


 季節は四月の初め。暖かい陽差しが降り注ぐ。

 しかし、春一番のように強い風が朝から吹いている、それはある春の午後のひとときだった。


 加島先輩……


 左手で握りしめている写真に見入る。

 それは、私と先輩を繋いでいた写真。


 想いは、先輩にだけ向けられている。


 高校のサッカー部の先輩。

 卒業式の日、一年生マネージャーだった私に、真っ赤になりながら告白してくれた。

 先輩は東京の大学に進学したけれど、この二年間、順調におつきあいを続けてきた。


 そう、この春までは……。


 物思いに耽っていたその刹那。


「あっ……!」


 ひと際強い一陣の風が吹き、手元の便箋が宙に舞った。

 辺りは桜吹雪に包まれている。

 一枚、また一枚……風に煽られ桜色の宙を舞う紙片。

 それは、まるでスローモーションのように、鮮やかな光景だった。


 私は慌てて立ち上がり、舞い踊る空の桜色に染まる便箋を拾う。

 しかし、白紙の便箋はなんとか拾い集めたが、肝心のあの便箋が、ない。


 どうしよう……!?


 途方に暮れたその時────── 


「君」


「え……?」


 目の前に、加島先輩と同じくらいの年・背格好の、グレーのチノパンに白いジャケットというラフな姿の男の人が立っていた。


「これ。探しているんだろう?」


 差し出された紙片を急いで裏返すと、あの便箋!

 あの手紙、だったのだ。


「あ…。ありがとうございます……!」

 胸に抱くようにその手紙を私は受け取った。


「……それ、カレの写真?」

「え……?」


 彼の視線は、私の左手の写真に注がれている。

 それは、卒業式の時に撮った鹿島先輩の写真。

 私がこの二年間、ずっと大事にしてきた写真。


「ご、ごめん……。読むつもりはなかったんだけど……」


 彼はバツが悪そうに横を向き、頭を掻いている。

 私は手紙を読まれたことに狼狽し、彼は慌てたように言葉を続けてきた。


「君、さ。いつもこの駅のこのホームから、朝七時半の西行きの電車に乗ってるだろう?」

「え、ええ……」

「俺も大学の一時限目に出席する時はいつもその電車に、ここから乗って……君を、見ていたんだ」

「見ていた……?!」

「あ、ごめん……。ストーカーみたいで。でも、俺は……。君がいつも幸せそうに微笑んでいるその控えめな、綺麗な。笑顔が……ずっと…………」


 その時。

 また強い風が吹き、彼の言葉は空(くう)にかき消された。


「え……?」


 今、何て……?


 そう尋ねようとしたが、目の前で真っ赤な顔をして俯いている彼の様子に、その問いは無意味だと知った。


 ”ずっと好きだったんだ”


 それは、鹿島先輩の告白と奇しくも同じ言葉。


 私は、まじまじと彼の端正な横顔を見つめた。


「君に恋人がいることは、なんとなく雰囲気でわかってたよ。でも、君が幸せなら……。それで良かったんだ」


 静かな口調で、彼は再び語り始めた。


「春休みなのに久し振りに偶然にここで君に出逢えて、ラッキーだと思った。でも、君は……。何か様子が痛々しくて。電車にも乗らないし……目が離せなかった」


 彼は、そこで言葉を止めた。


「辛かったんだね」


 一言。

 ただ、それだけだった。


 けれど────── 


 私の瞳が潤んでいく。

 あの日から、それは初めての涙だった。

 私は彼の前で声を殺して、ただ泣いた。



 ◇◆◇



 "こうして綴りながらけれど

 あなたには決して届かない

 届けない手紙をしたためながら

 私は今、初めて涙を流しています


 在りし日の輝いていたふたりを映す

 ポートレートを目の前に置いたまま "




 そう続きをしたためた手紙に封をして、私は駅前のポストに投函した。


「はい」

 彼が、自販機の缶珈琲を手渡してくれた。

「ありがとうございます」

 私は、素直にその厚意を受け取った。

 缶珈琲はホットで、口に含むととても甘かった。

 その甘み、両手で包む缶の温かさに私はひと息、和む。


「彼に出したの? あの手紙」

「いえ……。宛名は空白です。郵便局の方には申し訳ないですけど宛所不明、てことで処分して頂けたらな、て」


 私は軽く首をすくめた。


「写真も入れてたようだけど、良かったの……?」

「いいんです。あの写真があると……私は前に進めない」


 小さく呟いた。


「ああ、いいお天気」

 私は大きくひとつ伸びをした。

 見上げた四月の明るい午後の空からは、やはり燦燦と陽射しが降り注いでいる。

 流した涙の分だけ、身が軽くなったような気がしていた。

 そして恐らく、それは心も──── ・・・


 私は、思い切って傍らの彼に話しかけた。


「良かったら、一緒に駅前の公園の桜を観に行きませんか?」

「俺と……?! いいの?」


 そこまで言って彼は一瞬、大きく目を瞬かせ、そして遠慮がちに尋ねてきた。


「君の名前を。聞いてもいいかい?」

「私の名前は杏子です。「杏(あんず)の子」で「杏子」です」

 

 私は、彼の目をまっすぐ見つめながらそう答えた。


「杏子……」


 歌うように。

 囁くように。


 "杏子"


 彼は私の名前を口ずさむ。

 けれどそれは確かに鹿島先輩とは違う声音に、私の心は少し安堵する。




 公園の桜並木は七分咲きだった。

 時折吹く風にひらひらと薄い花びらが宙を舞う。

 それは、片田舎の町に訪れた静かな春の象徴。

 そして、哀しみの中の私に期せずして訪れた『希望』。


 人のあまり見当たらない木立の中で私達は二人、ずっと淡いピンク色に染まる空を見上げていた。


 いつまでも。

 いつまでも。



  了



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出さない手紙は空の桜色に染まり 香月よう子 @kouduki_youko

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