生首ダイバー

黄鱗きいろ

生首ダイバー

 赤く錆び付いた鉄扉をぎいと開く。その途端匂ってきたのは、むせ返るほどの煙草の匂いと、オイルの匂い、それからかすかに届く生ゴミの匂いだ。扉の向こうの通路は薄暗く、打ちっぱなしになったコンクリートには異様な張り紙が何枚も貼られていた。


 明らかに胡乱な雰囲気が醸し出されているその通路を、扉を後ろ手で閉めて恐る恐る歩いていく。


 人一人がようやく歩けるほどの幅しかないその通路を抜けると、そこにもまた狭い部屋が広がっていた。正確には恐らく部屋が狭いわけではない。ゴミや電子機器が多すぎて、視界がかなり塞がれているだけだ。


 ほとんど照明が意味をなしていない部屋の中を、天井から垂れている配線を片手で避けながら、目的の人物を探して歩いていく。


 机の上には箸が突っ込まれたまま片付けられていないヌードルのゴミが積み上がっている。ついでに吸いがらで埋まった灰皿もだ。そこから匂ってくる腐臭に、顔を隠している布を上げながらさらに奥に進むと、腰を丸めて大きなモニタに向かい合っている一人の男の姿があった。


 ボロボロになって綿が剥き出しになった椅子の上に片足を立て、指は忙しなく投影されたキーボードの上を走っている。青白く照らされるその横顔は、このゴミ溜めには全く相応しくないほど整っていた。


「アンタ」


 男はモニタから目を離そうとはせずに、声を発した。一瞬誰を指している言葉か分からず、俺はきょろきょろと周りを見回す。


「そこのアンタ、アンタだよ」


 見回してみても俺と男の他に部屋の中には誰もいない。俺はおそるおそる自分を指さした。


「お、俺ですか」


「そうだよ。そこのアンプル取ってくれ。今、手が離せないんだ」


 何が何だか分からなかったが、俺は男に言われるままにゴミの合間に置いてあったアンプルを一つ取って男に手渡した。男はそれを片手で受け取ると、迷いない動作で首へと当てて注射した。


「アアー、効く。やっぱり動脈注射はいいわあ」


 モニタの前に座ってはいるが、明らかにただの薬物中毒者だ。本当にここで合っていたのだろうか。


 そんな疑念を抱きながら男の様子を窺っていると、男は唐突に手を止め、見上げるようにしてこちらを振り返ってきた。


「で、何アンタ。どこから入ってきたの」


「い、入口からだよ!」


 思わず大声を出してしまったが、男は俺を胡乱な目で見つめるばかりだ。俺は顔を覆う布をさらに引き上げる。


「そ、そうじゃなくて、えっと」


 目を泳がせて何を言うべきかを考える。男の視線に耐えきれなくなった俺は、弾かれるようにして言葉を口にした。


「客だよ、客! お客さん! アンタ、名うてのクラッカーなんだろ!」


 少しの沈黙。男は身を乗り出して、じろじろと俺を眺めてきた。布で覆い隠された顔から、ボロボロのズボンを履いた足元まで。ひとしきり俺を観察し終わると、男は背もたれに体重をかけて座りなおした。


「ハイハイ、そうだよ。クラック屋さんですよお」


 ふざけた調子で言われた言葉にカチンと来ながら、俺はゴミをかきわけて男に歩み寄った。


「アンタに頼みたい仕事がある。……受けてもらえるか」


「報酬によるね。内容はどうでもいいけど」


 片手に持っていたアタッシュケースを机の上に乱暴に置き、男に向かって開けてみせる。中には今時珍しくなったキャッシュの札束がぎっちりと詰まっていた。


「生き別れの兄弟を探してほしい」


「ホー、映画みたいだな。しかも陳腐な筋書きの」


 男は札束を一つ掴み取ると、本物なのか確認するようにぱらぱらと数えはじめた。百枚の束を数え終わり、札束をアタッシュケースへと乱暴に投げ入れた。


「いいだろう。その依頼、受けようじゃないか」


 再び椅子の上に片膝を立てて膝を抱きながら男は尋ねてくる。


「青年、名前は?」


「ションフだ」


「そうか。俺はただのクラック屋さんだ。クラッカーとでも呼ぶといい」


 クラッカーはにぃっと笑い、俺に手を差し伸べてきた。


「ほら」


「な、なんだよ」


「ここまで来たってことはどうせ遺伝情報の詰まった記録メモリでも持ってんだろ。ほら、早くよこしな」


 ニヤニヤ笑いながら手を出すクラッカーに懐から取り出したUSBメモリを押し付ける。旧型だが、この機材の多さなら恐らく対応しているだろう。


 予想通りクラッカーは複雑に絡んでしまっている配線のうちの一本を引っ張ってきてそこにUSBを差し込んだ。そうしてから、イヤホンにも似た機器を耳の上に引っかける。あれは多分脳みそを電脳空間につなげる機械だ。


 クラッカーはそれをつけると、俺が来た時同様にモニタを覗きこみはじめた。細くて長い指がキーボードの上を軽い調子で走っていく。そっと近づいて覗き込むと、モニタには次々とウィンドウが表示されては消えるのを繰り返していた。見慣れないそれに興味を持った俺は、さらに彼に近付きその顔を覗きこんでギョッとした。


「お、おい、鼻血が出てるぞ。大丈夫なのか」


 左の鼻の穴から溢れた鼻血が、青白い肌を汚していた。よく見るとモニタを凝視した目も血走っているように見える。クラッカーは一切こちらを見ようとしないまま答えた。


「アアー、正直大丈夫じゃないかも」


「おい!」


「血が垂れて机が汚れる。悪いが拭っちゃくれないか」


 手を止めないままそう指示され、俺は机の上に放置された雑巾と思しきボロ布で彼の顔を拭った。クラッカーはそれに対して礼も文句も言わないまま、モニタを覗き続け――数分後、突然モニタは赤く染まり、スピーカーからけたたましい警報音が鳴り始めた。


「うお、びっくりしたぁ」


「お、おい、何が起こったんだ」


「ア? 鼻血のこと? これはあれだよ、ヤクと電脳空間へのトリップの負荷で勝手に出ちまうんだ。仕方ないだろ」


「ちげーよ! この警報のことだよ!」


 鼻血を拭く布を受け取りながら、クラッカーはちらっと俺を見る。


「ヤッベー、やっちまったーってやつ?」


「は?」


「当局の戸籍情報をクラックしようとしたら、セキュリティプログラムに見つかっちゃった!」


「お前凄腕のクラッカーなんじゃないのかよ!?」


 クラッカーは椅子を回転させこちらを見て、にやにやと笑みを向けてきた。


「まあなんだ。俺たちはこれで一蓮托生ってことだ」


 その薄気味悪い笑顔に、わざとやったんじゃないだろうな、という疑念が湧き出てくる。俺は踵を返すと、この部屋から出ていこうとした。そんな俺の行く先を、クラッカーは長い足でふさいでくる。


「オイオイ、お前ここを出てどこに行くつもりだ? 行く当てなんてどうせないんだろ? だったらここで俺と運命を共にしたほうがずっとマシなんじゃないのか?」


 俺は立ち止まり、拳を握りしめる。そして、振り返りざまにクラッカーに叫んだ。


「詭弁を弄するんじゃねーよ!」


「ハハハ、詭弁ってほどのもんでもねぇだろ」


 クラッカーは声を上げてゲラゲラと笑う。建物の外から煩いサイレンが聞こえてきたのはその時だった。


 俺は狭い部屋の中で一歩後ずさる。クラッカーは緩慢な動きで立ち上がり、俺を押しのけて入口の方へと歩き出した。


「お前は隠れてろ」


「え」


「いいからいいから」


 俺をゴミ山の後ろに隠すと、ふらふらと入口へと歩いていってしまった。激しい音がして、ドアが蹴り開けられたのだと俺は知る。俺はおそるおそる顔を出すと、クラッカーが向かった方へと目をやった。


 押し入ってきた武装部隊が狭い通路を進んでくる。クラッカーはそれを見ると、銃口を向けられる前ににんまりと笑って首を傾げた。


 兵隊が床のとある場所を踏み抜く。その途端に、押し入ってきた複数の兵隊は一瞬で、文字通りバラバラになった。


「いらっしゃぁい、八つ裂きトラップでござぁい」


 けらけらと笑いながらクラッカーは手を叩く。それはまるで悪戯が成功した悪がきのようで、床に広がってくる血だまりも相まって俺は背筋が寒くなった。


 しかしそんなトラップがあるのにもかかわらず、兵隊たちはなおも前進してくる。


「ホー、死をも恐れぬって感じでいいねいいねぇ」


 クラッカーは笑いながら、サイバーグラスを取り出して目元にかけた。


「でもごめんなぁ? 死を恐れてないのはこっちもでね」


 兵隊たちはクラッカーに向かって銃口を向ける。クラッカーはそれをよけようともせずに、こめかみあたりに指を当てながら、口の端を持ち上げた。


 一瞬後に、クラッカーの鼻から血が垂れる。兵隊たちはトリガーを引きながらもんどりうって倒れていく。銃口から放たれた弾がそこらじゅうに組み込まれた機器を抉り、火花があちこちから散る。


 ――奴らの機器をクラックして、脳を破壊しているんだ。


 全ての侵入者が倒れ伏したか思われたが、その中の一人が腕だけを動かして手に持っていたマシンガンをクラッカーに向けた。


「クラッカー!」


 俺が声を上げる前に銃弾の雨によってクラッカーの体は蜂の巣になってダンスを踊る。その兵隊は、倒れる寸前にクラッカーが睨みつけると、銃を持ち上げていた兵隊は顔中から血をふきだして動かなくなった。


 クラッカーは崩れ落ちるようにして倒れ、辺りは沈黙に包まれる。俺はそっと物陰から出てくると、ピクリとも動かなくなったクラッカーへと駆け寄った。クラッカーの体の下には赤い液体が溜まり、顔の下半分も鼻血で血まみれだ。俺はもう手遅れだと頭のどこかでは理解しながらも、クラッカーの体を揺さぶった。


「クラッカー! おい、しっかりしろ! おい――」


 体を持ち上げた表紙に、脱力した頭が上向く。そして、そのまま『頭は地面に落ちた』。


「ひっ」


 地面に転がる生首に、俺は情けない悲鳴を上げて後ずさる。


「し、死んで、え? でもなんで……」


 まさか銃弾が首を抉って千切り取ってしまったのだろうか。まさか、でもそんなことがあり得るのか。


 尻餅をついて必死でクラッカーの死体から距離を取ろうとする俺に、死体の方から陽気な声が聞こえてきた。


「オイオイ、勝手に殺すなよ」


 聞き覚えのあるその声におそるおそる歩み寄ってみると、胴体から離れてもう動かないはずの生首が、こちらに視線を向けて喋っていた。


「驚いたか? 俺、生身なのはもう首から上だけなんだ」


 言葉も出ない俺に、地面に転がったままでクラッカーは言う。


「だからまあなんだ、大丈夫だ。ちょっとぐらい無理してクラッキングしても、代わりの肉体はいくらでもある」


 その言葉を聞いた俺は、カッと頭に血がのぼる思いがした。俺は首を持ち上げると、顔を覆う布が外れてしまいそうな勢いで、クラッカーを怒鳴りつけていた。


「だ、だったら余計に駄目だろ! 脳が焼き切れたらお前おしまいなんだぞ!」


 どうしてこんなことを言っているのか、クラッカーには分からないだろう。涙声になってしまいながら俺はクラッカーに懇願した。


「もっと自分を大切にしろよ……」


 クラッカーは目を見開いて少しの間沈黙した後、俺を宥めるような声を出した。


「しっかりしろ、脳が焼き切れたらおしまいなのは誰でもだろ」


「うるさい! 詭弁は聞きたくない!」


 詭弁じゃないんだがなあ、とかなんとかクラッカーが言うのを俺は目を拭いながら聞いていた。


「とにかくここを出るぞ。こわーいお友達がまた来ちまう前にさ」


 もしクラッカーに体があったら、俺の肩を叩いてひょこひょことこの部屋を出ていってしまっていただろう。そんな声でそんなことを言われ、俺は顔を真っ青にさせてクラッカーの首を持って部屋の外へと駆け出した。


「少し離れた場所に体のスペアが置いてある場所がある。そこまで運んでくれ」


 クラッカーの指示通りに街を走る。あいつらに追いつかれたらおしまいだ。追いつかれたら今度こそ俺は――


 二百メートルほど走った頃だろうか。クラッカーの言ったゴミ山に隠れたその空間に、本当に彼の体の予備は三体ほど詰め込まれていた。


 俺がクラッカーの指示通り彼の首を体に嵌めてやると、ほんの数秒痙攣した後、クラッカーは起き上がり、首をごきごきと鳴らした。


「アー、ありがとよ、これで自分で逃げられるぜ」


 ふらふらと歩き出したクラッカーに倣って、俺も脇道へと体を詰め込む。しかしクラッカーはこちらを振り返り、俺の行く手を塞いできていた。


「さてと、そろそろ茶番は終わりにしようや」


 長身なのにまるでこちらを覗きこむかのような視線に、俺はたじろいで一歩後ずさる。


「な、何を――」


「俺、実はさ、昔は政府に囲われてた凄腕少年クラッカーだったんだぜ」


 俺の言葉を遮ってクラッカーは話しはじめる。クラッカーは背を丸めたまま、自分のこめかみあたりを仁指でとんとんと叩いてみせた。


「常人とは脳みそのつくりが違うんだってよ。だから大抵の負荷には耐えられる」


 彼の自分語りに俺は息をするのも忘れて震えだした。


「もう一つ与太話をするとすれば」


 クラッカーは自分の頭に指を当てたまま首を傾げた。


「あの入口な、生体認証がないと通れないようになってんだ、本当は」


 俺は目を見開く。そんな俺を見てクラッカーは目を細めた。


「あそこを通れるってことは、俺か、俺が認証した人物か、それとも俺じゃない俺そのものか」


 自分じゃない自分そのもの。将来を約束された「死んでは困る」人物がもしうっかり死んだ時のためのスペア。


 すなわち――遺伝子を全く同じくする、クローン。


「二十年ぶりってところかあ? 俺の片割れ」


 両手を大きく広げて、クラッカーは楽しそうに言った。


 手を持ち上げ、顔を覆った布をゆっくりと引き下げる。そこにはクラッカーと全く同じ――だけどほんの少しだけ若い、俺の顔があった。


 俺は混乱で泣きそうになるのを、歯を食いしばって必死で耐えた。


「し、知ってたなら、なんでこんな真似……」


「アア? お前を俺のとこに差し向けた馬鹿者どもをなんとかするためじゃねーか」


「俺を助けてくれるのか?」


「何言ってんだ、お前。お前が俺のところに来た時点で俺に選択肢なんてねーだろうが」


「……ごめん」


「アー。謝るなよ、兄弟」


 クラッカーはにやりと笑い、すれ違いざまに俺の肩に片手をぽんと乗せた。


「はじめに言っただろ。俺たちは一蓮托生だって」


 その言葉に俺は今度こそ涙が流れそうになって、目元をごしごしとこする。クラッカーは俺の後ろを睨みつけながら言った。


「あいつら情報共有用に電脳バイザーつけてやがる。ってことはつまり――脳みそが電脳空間に繋がってるってことだ」


 振り返ると、追手らしきサーチライトがちらちらとこちらを探しているのが見えた。掴まったら今度こそおしまいだ。


「ほら、震えてる場合じゃねぇぞ、兄弟」


 クラッカーの言葉に俺は震えをぐっと飲みこみ、追手の方に向き直った。


「……あいつらのバイザーをクラックして脳みそを焼き切るのか?」


「正確にはあいつらを制御してる大元のコンピューターだな。お前だってこれ以上奴らに追われるのは嫌だろ? ほらよ」


 軽い調子で投げ渡されたのは、クラッカーがクラックをする時に使っていたあのイヤホンに似た機器だ。


「お前の脳みそも借りるぜ」


 困惑する俺に、クラッカーはにっと口の端を上げてみせる。


「死ぬかもしれねえが、まあ、いいだろ?」


 俺は一瞬震え、それからぎゅっと拳を握りしめた。


「やってやろうじゃないか」


 震える声で言ってやると、クラッカーは「よく言った」とでも言いたそうな顔でまた笑い、奴らへと視線を戻した。


「そいつをつけな」


 危なげな手つきで俺はそれを後頭部から両耳に装着する。そして、屈みこんだクラッカーの隣へとしゃがみこみ、彼と同じように地面に手をついた。


「じゃあいくぜ、兄弟。振り落とされんなよ?」


 答えるか答えないかのタイミングで、俺の意識はどこか暗い場所へと引きずり込まれた。その場所は真っ暗な中にいくつもの光の線が走っており、それが絶え間なく動き回っている空間だった。


 クラッカーはその中を飛翔し、俺は彼に引き摺られる形でその後をついていった。彼がやってきたのはすぐ近くにあった光が集合し固まっている場所だった。クラッカーはそこに手を伸ばすと、迷いなくそれを掴みとった。その瞬間、俺の頭に鋭い痛みが走った。


 まるで内側から頭蓋をドリルで削られているかのような、その穴から脳みそを引きずり出されているかのようなそんな痛みだ。


 自分のくぐもった悲鳴が遠くから聞こえてくる。屈みこんで地面に置いた手が崩れ、倒れてしまいそうだ。


 クラッカーはそんな俺の状態は気にも留めず、光の帯を一気に引き千切った。ぶちぶちと音を立てて、光の線は次々に千切れていく。あれはきっと追手のバイザーの接続光だったのだろう。どこか遠くで、大勢の男たちがもんどりうって倒れていくのが見えた気がした。


「ホー、これはまた……」


 クラッカーは千切り取った手の中の帯を見て感嘆の声を上げる。その直後、俺たちの意識は現実へと引き戻された。


 頭が痛い。目がかすむ。全力疾走した後のように息は上がっているし、体はふらふらで倒れそうだ。


 だけどそんな俺にクラッカーは声をかけた。


「まだいけるか、兄弟」


 もうやけになっていたのかもしれない。だけどここで退いてはいけない気もした。俺は力強く叫んだ。


「いける! やるならとことんやってくれ、兄弟!」


 目を向けていなかったので定かではないが、傍らのクラッカーは笑った気がした。直後、クラッカーは俺の肩を抱き寄せ、これまでにないほどはっきりと言った。


「よし、じゃあいこうじゃねぇか!」


 直後、再び俺の意識は電脳空間へと飛ばされる。今度は俺が馴染むのを待つだなんて優しい真似はしなかった。クラッカーは放たれた矢のように勢いよく飛翔し、俺は後ろを水に落ちた獣のように必死についていった。近くに群れていた光の帯を辿って、ビルのように聳え立つ光の塔へと近づいていく。


 どんどん遠ざかっていく光の束を見て、綺麗だな、と場違いなことを思っていると、突然クラッカーは止まり、俺は反動で振り回された。


「ここだな」


 クラッカーは光の塔を見上げる。俺もそれを見上げた。これが何なのかは分からない。だけどクラッカーのすることだ。きっと間違いはないのだろう。


「寄りな」


 クラッカーは俺の手を引き、自分の隣に並ばせる。そして光の塔に手をかざした。


「死ぬんじゃねぇぞ」


 俺はこくりと首を縦に振る。それを見届けたクラッカーは一気に光の塔へと手をつきいれた。


 その瞬間、俺は妙な浮遊感を覚えてびくりと体を震わせた。もう痛みなんてものじゃない。それを通り越して、きっとほとんど俺は気絶してしまっているのだろう。その証拠に俺の電脳体はクラッカーの腕の中でぐったりと動きを止め、時々痙攣を繰り返していた。俺はそれを妙に俯瞰した思いで見つめていた。


 情報の奔流が全身を駆け抜けていく。脳を、体を、足を、指先に至るまで、俺の中身は情報で満たされていく。だけどクラッカーは光の帯から手を離さない。それどころか凄惨な笑みを浮かべているようにすら見えた。


「掴んだ!」


 血走った目でクラッカーはそう言い、光の塔の中から何かを掴みだして引き千切った。引きずり出された何かは、外に出された途端に溶けるようにして消えていった。それを見届けた直後、俺の意識は急に現実へと放り出された。


 現実の俺は横に倒れ、時々小さく痙攣を繰り返していた。相当もがき苦しんだようで、爪の間には土が挟まり、顔の左半分には鼻血で濡れた感触がした。


 気絶しそうになる意識を必死に繋ぎ止め、俺は倒れたままクラッカーの方を見る。彼はクラックを始める直前の姿勢のまま固まっていたが、ふと糸が切れたかのように前のめりに倒れていった。


「……クラッ、カー?」


 息も絶え絶えになりながら名前を呼ぶ。しばらくの間返事はなかった。もしかして死んでしまったのだろうか。今度こそ脳みそが焼き切れて――


 しかしクラッカーはびくりと体を震わせると、頭を打ち付ける形になっていた体をゆっくりと起こして笑い出した。


「ふ、くっくっく」


 最初は押し殺したように、徐々にこらえきれなくなったのか大声で、クラッカーは笑う。


「あっはははは!」


 膝を立てて座り込み、クラッカーは天を仰いで笑い続ける。


「やってやった! やってやったぞ!」


 ようやく自由に動かせるようになった体を持ち上げながら、俺はクラッカーに問いかける。


「一体何が……」


「何が起きたのかって? ハハハ!」


 クラッカーはよろよろと立ち上がりながら、心底愉快そうに種明かしをした。


「この街の心臓部ごとクラックしてやったのさ。これから大変だぞお。インフラはめちゃくちゃ、機密データは流出し放題、街中が愉快なスラム街と化すだろうよ」


 やっとのことで起き上がった俺は、状況をゆっくりと飲みこんで震えだす。


「そ、そんな大それたことに……」


 やってしまった。俺がこの街を壊してしまったんだ。クラッカーを見上げながらがくがくと震える俺に、クラッカーは目を細めた。


「それでもお前は生きたかったんだろ?」


 その言葉に俺は当初の目的を思い出し、唾をごくりと飲み下す。そうだ。俺は生き延びたかった。他の何を犠牲にしても生き延びたかったのだ。


 俺の強い視線に満足したのかクラッカーは肩をすくめ、体を隠していたあの横穴から何かを取り出してきた。


「だったら話は簡単だ」


 クラッカーは横穴から掴み上げたボロ布を投げ渡してきた。


「生きようぜ、兄弟。生きて生きて、死ぬまで生き延びよう、な?」


 そう言って軽く首を傾げてみせたクラッカーの顔は、これまでで一番優しいもののように見えた。


 俺は涙がこぼれそうになった顔を隠すために、投げ渡されたボロ雑巾で慌てて顔を拭く。鼻血はもう乾いていて、なかなか落ちなかった。

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生首ダイバー 黄鱗きいろ @cradleofdragon

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