幼年期の終わりに、人類最後の少女は世界書を読む

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

きみが最後の読者となるだろう、おしまいのひとよ

 純白で広漠な空間に、無数の本棚が立ち並んでいる。

 見渡す限りどこまでも、世界が終わっても続くような、果てしないこの空間を、私は創世の本棚と呼んでいる。


 湿度も匂いも音さえもない無機質な光の中に、小さな影が迷い込んできた。

 赤い戦闘服を身にまとった少女だった。


 少女は大いに面食らっていた。

 突然景色が変わったのだから、当然だろう。ふむ。


 こっちだよ、こっちにおいで。


 思念だけで囁けば、少女は驚き、トコトコとこちらへ駆け寄ってきた。

 そうして、〝私〟を手にする。


 やあ、会えてうれしいよ。

 私の名前は、当然知っているだろう?


「本がしゃべった」


 ノンノンノン!

 本は本だが、ただの本じゃない。

 自己紹介をさせてほしい。私は粋で富を持ち、たくさんの人類から魂と運命を盗んできた。


「わるものだ」


 それもノン。

 ひとは私をこう呼んだ、世界書とね。


「せかいしょ……なにが書かれているの?」


 それは読んでみればイッパツさ。

 きみが知りたいことのすべてが書いてある。


「…………」


 少女はしばらく無言だったが。

 やがて、私のページを開いた。


 私は少女に問う。


 ねぇ、きみは人類最後のひとりだろう。

 なにも知らないまま、人の世なんてものを背負わされて世界が滅ぶのを見届けるしかなかった、そんな憐れな幼子だろう。

 けれどきみは知っているかい?


 人類という生き物が、どんな物語を紡いできたのかを?


「しらない。けど」


 そうだ、きみには知る手段がある。

 私には、ひとのすべてが書いてあるのだから。


 少女は読む。

 私を、人類史を、彼らが開拓し、破壊してきた星の歴史を。


「せんそう、キライ」


 誰だってそうさ。


「でも、みんなあらそった」


 そうしなきゃ守れないものがあった。

 たとえどれだけ空虚なせいぎでも、なければ生きていけないのが人間だった。


「……にんげんは、おろか?」


 きっと愚かだろう。


「わたしも、おろか?」


 それは、これからのきみ次第だ。


 私が答えたところで、少女のおなかが鳴った。

 羞恥に、彼女は頬を染めもした。

 ああ、なんて初々しい。

 すこしばかり、サービスもしたくなる。


「これは……たべもの」


 私の中には、人類が積み上げてきたもののなにもかもがある。

 負債も、罪も、功績もだ。


 彼女のために開いたのは、食事に関する記述だった。

 そこには贅を尽くした宮廷料理から、素朴な麦粥までなんだって載っていた。


「ふしぎ。おなか、もうすいてない。くちのなか、ほくほくする」


 そうだとも。

 人は愚かなだけではない。

 誰かをしあわせにする方法も、しっかりと生み出してきた。


 ……ふむ。


 きみはどう思うだろう。

 きみに至るまでの人類は、なにもかも無駄だったと、そう思うだろうか?

 愚かなだけの霊長で、こんな食事になんて、美しい芸術になんて、どれもこれも意味なんてなかったと思うだろうか。


「…………」


 答えられないだろうな。

 なぜなら、きみはまだ幼いからだ。

 そうして私は、幼いきみの可能性が、こんなところで途絶えてしまうのが何よりも口惜しい。


 ゆえに。


「――わぁ」


 少女が、歓喜の声を上げた。

 乱舞する。

 私が。

 私の仲間達が。


 この創世の本棚に収められた、無限、無数、無尽蔵の世界書すべてが!


 光り輝きながらページを開く世界書には、人類が選ばなかったあらゆる事が記述されていた。

 暗黒を引き連れて己を開陳する世界書には、あり得たかもしれない可能性が不変に刻まれていた。

 青く沈む世界書は紐解かれ、可能性すらなかった人の明日を紡いでいった。


「すごい」


 少女が笑う。

 感動に目を輝かせ。


 私は告げた。


 さあ、選びたまえ。

 好きな世界書を読み、その世界へと行きたまえ。


 きみの幼年期はまだ始まったばかりだ。

 大人になるには早く、死んでしまうにはなお早い。


 だから、私をおいて、旅立ちなさい。


「……本?」


 彼女が私をじっと見る。

 けれど、私はとっくに限界だった。

 ぽろぽろと、ページの端から崩れていく。


「本!」


 いいんだよ、そんな声を出さなくても。

 言っただろう? 私はたくさんの人類から魂と運命を盗んできたと。

 これは、その贖罪なんだ。


「本、おまえは」


 そう、きみは私のことを当然知っていた。私の正体は単純だ。


 きみたち人類が生きた〝世界〟そのものだ。

 その歴史が形になったものだ。


 だから、人類が滅んだいま、私も役目を終えるのだ。

 この創世の本棚に、死蔵されて、ゆっくりと朽ち果てて――


「ちがう」


 えっ、と。

 私は驚きを声にする。


 少女は答えず、かわりに私を力強く胸に抱いた。

 そうして、決然とした眼差しで、宙を舞う無数の世界書を見据えてみせた。


「おまえも、いっしょにこい」


 それは、決して拒否を許さない傲慢さ。

 相手の思いなど一顧だにしない正義。

 なによりも他者を想う優しさで。


 人類の、もっとも人類らしい部分で。


「いこう」


 幼い少女が、私へと言った。一緒に行こうと。


 私は――さて、どう答えただろうか。

 正直覚えていない。


 けれど、彼女は歩きだした。

 私を抱いて。

 私とともに。


 無限に広がる、あらたな世界へと。


「わたしは、ひとりじゃない」


 最後の人類たる少女は。

 それでもなお、旅をはじめたのだ。


 これは、そんな彼女の記録。

 人類の終わりを記す、彼女が生き抜いた証しを示す、〝私〟という物語――

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