KAC20216 私と読者と仲間たち

霧野

とあるアマチュアWeb作家のこじつけ話


” 読書とは、他人の脳を覗くことであり、他人の脳を借りて世界を見ることである ”



 そう彼に言ったのは、誰だったろう。テレビで見たのか、それとも親や友人、彼の恩師の言葉だろうか。

 本で読んだ言葉ではなかったはずだ。なぜなら彼は、その言葉と出会うまでは読書などしたこともなかったのだから。


 出処はともかく、それ以来彼は手当たり次第、それこそ貪るように、読書をした。

 なにしろ読書初心者なので、ジャンルなどお構いなし。家にある小説、雑誌、絵本、実用書、辞書など本を片っ端から読み尽くし(料理などしないのに写真付きのレシピ本まで読んだ)、次に図書館や資料館を攻め、文章を読むことに疲れれば漫画を読んだ。


「この人物なら、この場面でどう対処するだろう」

「この作者なら、この表情をどう表現するだろう」

「この状況では、この人ならどう行動するだろう」


 そのように考える癖ができた。まさに、他人の脳を借りて世界を見るようになったのだ。

 その結果、彼は人を観察するのが上手くなり、表情やその人が纏う空気感を読み取る術を身につけた。


 そして現在、彼は『調査員』として職を得ていた。


 今日も『調査』を継続中である。

 彼の今のターゲットは、とある「伝説の実演販売人」。 その人となり、そして驚異の販売実績の秘密を探るのである。


 ショボ! と言う声が聞こえてきた気がするが、それも道理である。自分もそう思った……と、のちに彼は語った。




───と、ここまで書いた後に、今回のお題が「私と読者と仲間たち」であると気づいた。そう、なんと私はこれまで「私とと仲間たち」と勘違いしたまま書き進めていたのである。確認してよかった。まったくもっておっちょこちょい。うっかりさんにもほどがあるのである。


 しかし私は強引に続ける。なにせ600字である。ここまで600文字近くを打ち込んでおきながら「ハイさようなら」では、あんまりではないか。調査員の「彼」だって立つ瀬がなかろう。


 内容だって大筋は出来ている。この後彼はなんやかんやあって、ふんわりほのぼの甘酸っぱい展開になっちゃったりする予定なのだ。

 だが、油断してはならない。書き始める前に出来た大筋など、有って無いようなものだからだ。私の場合、ふんすふんすとニヤつきながら書き進めるうち、指が勝手に筋を変更しやがることが多い。

 結果、「思ってたのと違う……」となりつつ「ま、いっか。せっかく書いたし〜」というノリで発表する羽目になるのだが、他の作者様方はどうなのだろうか。


 疑問を胸に抱きつつ、話に戻ろう。


 ここからどう立て直すか、正直なところ全く決まっていないのだが、そもそもノリと勢いで生きている筆者である。ノリと勢いでこのまま突き進んでみようと思う。

 この拙文をお読みくださっている奇特な諸氏におかれては、ともに私のこじつけと彼の活躍?を見守っていただけると嬉しく思う次第である。




 * * * * *




 ……まさか、まさかこっちに……?!


 彼は動揺していた。今回の調査ターゲットである「伝説の実演販売人」その人が、道を渡りこちらへまっすぐ歩いてくるのた。


 身を隠している街路樹の枝の上で、彼は焦りながら気配を消した。


「おつかれさまでぇ〜す」


 必死に気配を消す努力を気にもとめず、彼女は容赦なく樹の幹を叩く。


「もしも〜し、差し入れでーす。降りてきてよー」


 恐る恐る下を見ると、ばっちりと目が合ってしまった。観念して、彼はスルスルと樹を降りた。


「ぶどうはお好き? これどうぞ」

「いやあの、これは」

「お嫌い? 白ぶどうの方が好き?」

「そういうことではなく、なんというか」


 しどろもどろになってしまう彼を、誰が笑えるだろう。調査対象に見つかることなんて初めてだったし、ましてやその相手から差し入れをもらうなど……



 彼女はその丸っこい体を揺らして、鈴を振るような声で笑った。比較的小柄な彼よりももっと背が低いので、コロコロした子犬みたいだ。


「あなた、ここのところずっと私を観察しているでしょう? 樹の上で見張りなんて、お疲れなんじゃないかと思って」


 彼の仕事へのプライドを一刀両断するような発言だが、悪気は全く無いらしい。ただただ、人の良さそうな顔でニコニコしている。


 すみません、と彼は深く頭を下げた。覚悟を決め、そのままの姿勢で続ける。

「私は調査会社の者です。ある企業からの依頼で、伝説の実演販売人であるあなたを調査しておりました。どうかこの非礼をお許しください」


「あらやだ!」 彼女はまたコロコロと笑う。

「伝説だなんて、そんな。恥ずかしいじゃないの、さあ頭をあげてくださいな。お客さんがびっくりしちゃうわ」



 彼女はぶどうを一粒取って、口に放り込んだ。残りをぐいぐい押し付けてくるので、恐縮しつつ彼は受け取った。


「私もちょっと休憩。一緒に食べましょうよ」


 樹の根元に勝手に腰を下ろしてしまう。つられて彼も隣に座った。彼女にすっかりペースを握られてしまったようだ。


「私は相川みどり。って、調査してるならもうご存知ね」

「……はい」

「あなたは?」

「職場では『ミリ』と呼ばれています。申し訳ありませんが、本名は申し上げられないのです」


 ふうん、と彼女は彼を眺めた。眺めながら、彼の持つ房からぶどうを一粒つまみ取る。


「ミリって、ミリタリーのミリ?」


 彼の仕事着である上下迷彩柄の服を指差す。はい、と頷いた彼に笑いかけ、彼女は楽しげに肩をすくめてみせた。


「ミリとみどり。似てるわね」



 ───おそらくこの時、自分は恋をしたのだ。のちに彼はそう語った。


 それは「恋」と呼ぶにはまだ早い、小さな感情の揺れのようなものだった。たまごの殻をコンッとぶつけてできるヒビのように、硬く強張った彼の心に、わずかに亀裂が生じたのだ。



 そんな彼の揺らぎに気づくこともなく、彼女はぶどうをもぐもぐしながら話し続けていた。


「あなたのことはね、アイが教えてくれたの。『なんかずっとこっち見てる人いるよ』って。アイって、うちの猫よ。ほら、あそこに丸くなって寝てる」


 彼女の指差す先には、たしかに猫が眠っている。ちょっと太った、灰色と薄茶色と白がぼんやり入り混じった、冴えない猫だ。


 アイが不意に顔を上げ、こちらを見遣った。「冴えない猫」なんて思ったのがバレたのかと、彼は少々ギクリとする。一瞬こちらを睨んだ後、アイはまた丸くなって昼寝を再開した。



 ぶどうを食べながら、彼は決断した。今回はこっそり調査するのではなく、もう正面からインタビューしてしまおう。その中で、彼女の反応も観察するのだ。


「あの、相川さん」

「みどりでいいわよ」

「みっ…」


 彼は女性に慣れていなかった。というより、人に慣れていなかった。観察するのは得意だったが、面と向かって話すのは少々苦手だ。だから調査員なんて仕事をやっているのだ。だが、そうも言っていられない。



「よろしければ、その、今晩お話を」

「あらやだ」


 彼女は素早く振り向き、彼の顔をまっすぐに見上げた。


「デートのお誘い? まあ、そんなの何年ぶりかしら。夫が亡くなってから初めてじゃないかしら」


 うふふ、と笑っているところを見ると、どうやら冗談で言っているようだ。背中に盛大に汗をかきながら、彼は精一杯正直に話した。


「実は、あなたのお仕事について色々とお聞きしたいのです。デート、とかそういうことではなく、いえ、そっそういうことであってももちろん嬉しくはあるのですが」


 あらやだ、と彼女は笑った。あらやだ、というのが口癖らしい。


「冗談よぉ。こんなバツイチの太っちょおばちゃんとデートなんて、あるわけないじゃないの」


 彼が何か口を挟む隙もなく、彼女は続ける。もう一つぶどうをつまみ取りながら。


「これでも若い頃はね、町一番の美少女なんて言われたこともあったのよ? ナントカ小町なんて呼ばれちゃってさ」


 そう言いながらウインクなど飛ばしてくるので、彼は思わず咽せて咳き込んだ。


「じゃあ今夜9時でいいかしら。あのぶどうが全部売れたら、もっと早くてもいいんだけど」


 ……ぶどうは即座に彼が全部買い取った。さすがは伝説の実演販売人である。




 結局、彼の任務はお世辞にも大成功とは言えなかった。だが、失敗だったわけでもない。その報告は全き真実であったが、一般的に受け入れづらい結果であっただけだ。


 彼女の販売実績の秘密。それは「アイ」。


 招き猫である「アイ」のおかげで、彼女の現在があるというのだ。


 依頼主はもちろん、上司にも怒られた。そりゃあもう、こっぴどく怒られた。だが彼の3ヶ月に及ぶ詳細な調査データには、それを否定する要素は無いことも事実であった。


「だからって、キミ。招き猫って……」



 報酬は半額カットされた。始末書も書かされた。なんとかテキトーにでっち上げてしまえば良かったのに、彼はそういうことができない性分なのである。

 それに、相川みどりの存在もあった。親しくなってみれば、彼女は誠実で温和で、人を信頼し寄り添おうとする素晴らしい女性だった。ヒビの入った彼の殻を、彼女は見事にパカッと割ってくれたのである。

 その彼女に関して、一切の嘘を交えたくはなかった。ほんのわずかの脚色でさえ、彼女に対する侮辱だと、彼は感じたのだ。



 今回の仕事で彼は、報酬の半分と上司からの信頼を幾分か失ったのは事実だ。


 だが、それよりもはるかに大きなものを、彼は手に入れたのだった。



 彼の手にしたもの。それは、愛。



 * * * * *




「……で、どうだった?」


「長いっすよ」

「嬉しいけど、恥ずかしい……」


 『結婚の祝いに二人の出会いを小説にして欲しい』と言ったのは、目の前で顔を赤らめ照れまくっている、このご両人である。

 このご時世だし、彼女は再婚となるので、結婚式は挙げない。その代わりに……と頼まれたのだ。このWeb小説をもって、仕事仲間へのお披露目とするらしい。


 上司である私に深く頭を下げて礼を言う彼の肩を、私はポンと叩いた。


「おめでとう。やったな、ミリ!」



おしまい

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