父の遺産
桜木武士
第1話
去年亡くなった父さんのスマホが見つかった。
それが、別れて暮らしていた僕ら兄弟の元に届いた一報だった。
父さんは優秀な研究者だった。宇宙から飛来もしくは採取した未確認生物研究の第一人者だった。
父には財産があった。あるはずだった。少なくとも財がなければ為せないことをいくらでもしていた。
また、父には研究資料があった。提携の研究機関でも持っていない莫大な資料と未発表の研究成果が、どこかに隠してあると目されていた。
しかし父さんには遺産がなかった。死亡日に合わせて計算したように、ぴったりと遺産が無くなっていた。期待されていた研究資料も、まるで一夜のうちに全て燃やしてしまったかのように消え失せていた。
その事実を知って、沢山集まった親戚が、蜘蛛の子を散らすように去っていった。その中には僕の母も含まれる。
だから今回の報せに駆けつけたのも僕たち兄弟だけだった。
縁側に面した畳の部屋に二人並んで正座する。
庭で蝉がうるさく鳴き、真上から刺す強い日差しが真昼の部屋を暗くする。
兄。頼りになる兄。なんでも出来る兄。優しい兄。僕にないものをなんでも持っている兄。
僕。自分勝手な僕。上手く出来ない僕。嫌われる僕。たった一つの言葉に縋ってみっともなく生きる僕。
会話はなかった。仲が悪いわけではなかったが、それより双方とも父が遺したものについて考える時間が必要だったのだと思う。
綺麗さっぱり無くされた私物の中でたった一つ真新しいスマホが残っているとなると、そこになんらかの意思を感じざるを得なかった。遺そう、という意思だ。
「どちらに向けたものなのだろうか」
詰まるところ、僕たち兄弟の気掛かりはそれだった。
といっても、それは不正確かもしれない。優秀な兄と出来損ないの弟。たとえ似通った分野を学んでいるとしても、権威ある父が遺すとすればどちらが可能性が高いか、それは歴然だ。
よしんば僕宛てだったとして、「お前は一人で上手く生きられそうにないから梯子をつけてあげよう」というオチである可能性も否めなかった。
そう。父から欲しいのは財産ではなく期待だ。
それは僕と兄の共通点であると言えた。
殆ど構ってくれなかった父の、僅かな記憶を掘り起こす。小さい頃の宝箱の中に、そして、心の奥に大事にとってある石だ。
「これは隕鉄と言うんだ」
「宇宙からやってきた鉄だよ」
「お前の好奇心と探究心には目を見張るものがある。良い宇宙生命の研究家になれるかもな」
それはやっぱり、子供に向けた他愛無い言葉だったのかもしれない。
しかし僕はこの期に及んで石を、言葉を、どこかで信じていた。将来を決定するなにか重大な言葉として心の中に刻んでいた。
「開くね」
僕はその間に耐えかねて、暗い画面を映しているだけのスマホに手を触れた。
画面に指で触れると、想像通り液晶が白い画面を表示した。通常使われるOSとは少し違うようだったが、基本的な操作は一般的なスマートフォンと同じらしい。最初に開いた画面は、例に漏れずパスワード付きのロック画面だった。
パスワードは当然知らない。
僕たちに今日渡されたものはこのスマホだけで、特に他に同封されたものはない。
その代わり、背景となっている画面には何やら数式が一つ二つ、書き込んであった。
「なんだこれ」僕は思わず声を上げた。数式なのは分かっていたが、答えはすぐには分かりそうもなかった。
そんな僕の手から、するりとスマホが奪われる。
「馬鹿か」
兄が画面を一瞥すると、今度は自分のスマートフォンを開くと、何やら忙しく打ち込み始めた。それは計算だった。
「解けるの」という僕の質問に対する答えは
「こんなのも解けないのか」という言葉と、先程までとは様子を変えた父のスマホの画面だった。
やはり兄は凄い。学歴も、実際の知能や知識も、その幅広さも、兄のものと僕のものでは段違いだ。生まれつき搭載エンジンが違うと言えば分かりやすいのだろうか。
ぴこん。
兄の手から床へと戻っていたスマホが、小さく震える。そこには短い文が表示されていた。
それはおそらく唯一の遺書だった。
ごくりと唾を飲み込んでから、画面を覗き込む。
メッセージ画面にはありふれたフォントで、こう記されていた。
「人の好奇心と探究心が、宙を切り拓くことを願う」
「……!」紛れもない、父の言葉。
僕は、まだそれと自覚できていない、高揚と歓びが、胸の奥でぶつかり合い、荒れ狂う予感を感じていた。その予兆に肌は震えていた。
もう一度、スマホが震える。
「望むのなら、石を使って先を見なさい」
「……!」
事実が眼前に突きつけられた。これは僕に向けて書かれた文だった。僕はそう確信した。
僕の中にしか無いと思っていた小さな誇りと希望は、確かに父の胸にも存在した。それだけで充足感が身体に満ちたようだった。
ふと横を見ると、終始真面目な様子でスマホを見ていた兄の目が、ちらとこちらを向いていた。
一瞬交わった視線の中に、おそらく事実が通じ合った。
きょとんとした兄の顔。数秒遅れて面倒そうなため息。それきり兄は、何も言わずに部屋を去っていった。
昼食が終わり、父の屋敷の中で兄にあてがわれた部屋を訪ねる。
「……っぐ…、ひっ、ぐ、ぐずっ………」
扉の向こうから兄の声がする。僕がいる以上、兄は隠れてしか泣かない。こういうところが兄の優しさなのだろう。
「兄ちゃん」
声をかけると、たいへん長く、長く間があったあとで、
「なんだ」
平静な声が返ってきた。
「父さんのスマホのことなんだけど」
針の山に踏み出すように、話題を切り出す。
「石で先を見ろって言うのは、父さんがくれた隕石の、規則的な組織を暗号として問題を解け、ってことだと思うんだ」
「このスマホの中にあるのは研究資料じゃないかな。…まだ分からないけれど」
外では蝉が鳴いている。
「…言っておくが、それはお前のものだ。俺には全く心当たりがなかった。何かを託されたということもない」
「……そうなのかもしれない。だけど、問題を解くには兄ちゃんの助けがいる」
かこん、と空間を切り裂く鹿威しの音。急かされるように鳥が羽ばたく。
「それは今だけだ。俺でなくても出来るし、いずれいらなくなる」
沈黙。密集した蝉の声が圧力となって耳を襲う。
「…思ったんだけど」兄は黙って話を聞いている。
「今兄ちゃんの力が必要ってことは…これから先も、そうってことなんじゃないかな。協力して、先を目指せってこと」
「何を根拠に」
「現に最初のパスワードだって僕には解けなかったし」父さんは現状の僕と兄のレベルを知っていたはずだ。
「父さんが兄ちゃんに何も言わなかったのは、何も言わなくても行くべき道を行ってたからじゃないかと、思うんだよ」
再び、沈黙。俄に微弱な風が吹き、すぐに止む。
「お前にそんなこと分からないだろ」
「うん。…でも僕は、兄ちゃんと一緒がいい」
やはり兄からの返答はなかった。僕は部屋を去った。
「見せてみろ」
兄がそう言ったのは、夕食を終えた時だった。
了
父の遺産 桜木武士 @Hasu39
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