③
「前金で二百万です」
島本陽太の長い独白を聞いて、るみが一番に言い放ったのはこれだった。
青山は焦ってるみの方を見る。るみは未だかつて、こんなに高額な賃金を要求したことがなかった。それに、前金だなんて。今までるみは、物事が全て丸く収まるまで、一切金銭の話はしなかった。青山がいなければ、成功しても金を受けとらず、もっと早い段階で事務所の経営は破綻していたに違いない。
「そんな、先輩……」
「青山君、慈善事業ではないのですよ」
るみは、青山の普段の口癖をそっくりそのまま真似て言った。
「今の話でだいたいの原因は特定できました。島本君の言う通り、妹さんは洗脳されているというのもそうですが……かなり厄介な案件で、専門家に頼まなくてはいけません」
「さすがに二百万は……一体何の経費ですか?」
「仕方ないですねえ。分割でも構いませんよ、きちんと一筆書いていただければ」
「そういう問題じゃなくて。っていうか、佐々木さんが専門家なんじゃないんですか」
陽太が怪訝な顔で尋ねた。
「私の仕事は原因を特定することだけ。解決は、その道の方に頼むのが筋というもの。とにかく、その紹介料。それに……」
るみはいったん言葉を切って、口の中の飴玉をバリバリとかみ砕いた。
「無事、解決したとしてですね。島本君、あなたは洗脳された人のアフターケアができますか?」
「笑美は俺の妹だぞ!」
気色ばんだ様子で陽太が怒鳴った。
「ちゃんと証拠を見せて、そっちが用意した専門家にあいつをどうにかしてもらえば、なんとかなるはずだろ。そのあと、ちゃんと俺と話し合えば」
「どうやら島本君は洗脳を甘く見ているようですね」
るみは立ち上がって本棚を漁り、何冊か陽太の前に投げた。
「この『カルトの子』なんてわかりやすいと思いますよ。宗教団体で育った子供のことが書かれている本です。彼らは親と縁を切った後も、その宗教団体で教えられた異常なことを信じ続けているのです。その宗教や、親を憎んでいるのに、です」
るみはまだまだありますよ、と言いながら、本の解説を始めてしまう。陽太はしばらくぽかんと口を開けて聞いていたが、決壊したダムのように止まらないるみの話にうんざりしたのか、手で制した。
「分かりました、分かりました、すいません。考えが甘かったようです。確かに、僕一人の手には余ります」
「良いのです。アフターケアの金額も込みですから、そこは分かって頂きたく。それでは……青山君、契約書」
「あっ、ハイ!」
るみはてきぱきと書類を作成し、陽太にサインをさせると、満足げに微笑んだ。
「では、承りました! 果報は寝て待て、と申します。どうか家でゆっくりお待ちくださいませ」
そう言って、何か言いよどむ陽太を強引に事務所から追い出した。
「さて、出かけますよ」
るみはそう言いながら薄汚れた深緑のリュックサックを持ち、早くもどこかにでかけようとしている。
青山は慌てて身支度を整えながら、
「出かけるってどこにですか?」
「青山君、話を聞いていなかったのですか?!」
るみはひっくりかえったようなポーズをして、大げさに驚いて見せた。
「専門家です。今回のことを解決してくれる、専門家」
青山は一回頷いて、すぐに思い直して首を振った。
「遠出になるんじゃないですが? だったら、もう少し時間をください。先輩だってそんな軽装じゃダメですよ」
「いいえ、遠出にはなりません。ちょうど東京に来ている方ですから」
「ええ……じゃあ、すごく気難しい人、とかですか?」
「いいえ? かなり気さくなおっさんですよ。好き嫌いは別として、ね」
ますます持って分からなかった。青山は疑問を直接るみにぶつける。
「それならなんで、そんなにお金を……? 気さくだけど、高額なお布施を請求してくるとか……」
「いいえ、本当にお人よしの方で、頼まれなくても勝手に色々手を回すような方ですよ。きっと、困っていると言えばタダでもやってくれるでしょうね。それより、さっさと行きましょう」
なんとなくはぐらかされたような気がするが、るみの体はもう、半分くらい事務所の外に出ている。青山は慌ててるみの後を追った。
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