望郷の異世界レシピ05『アピキウス』【KAC2021 お題『スマホ』】

石束

『アピキウス』

「トンネルを抜けると、そこは異世界だった。」


 ――あほくさ。


 誰にもわからないように悪態をついて、彼女『八重樫キサラ』はスマートフォンのシャッターを切った。

 軽快な電子音とともに、目の前の風景が切り取られる。

 液晶画面には、素材もわからない奇妙な色合いの石を積んだ。奇妙な形の建物がある。観音開きの扉がついているので多分ここが入り口。だが、彼女はかけらも興味を示さず、指を滑らせて写真をストレージ送りにした。

 そして素早くスマホの電源を落とした。避難所に戻ればソーラー式の充電器があるけれど、内臓電池は消耗品。どこまで持つのかわからない。


「このままじゃが明かない。中に入るぞ」


 村の若衆四人にキサラを加えた五人は、リーダー格の枡居寛治の号令でその不思議な建物に踏み込んだ。


 ◇ ◆ ◇


 花が瀬村桜谷地区から町へつながる唯一の二車線道路。短いトンネルを抜けると、そこには緩やかに下る県道があるはずだった。

 だが、それがない。

 見たことない風景と見たことのない植物。不気味な、聞いたこともない声で鳴く得体のしれない獣の気配。そして不思議な建物。

 状況が呑み込めず、延々と相談するわりには話が進まない年長者たちをしり目に、キサラはスマートフォンでゲームアプリを起動しながら思っていた。


――これは、悪い方の『異世界転移』だ。

 

 女神様やチートがあるけでもなく、無理無体に危険地帯に放り込まれて、一人また一人と死んでいく、ハードモードのサバイバルゲーム。

 俯瞰で見るならともかく、五感アリの本人視点はクソゲー感しかない。

 でも、そんなことを言っても話が通じるとも思えないので、黙ってゲームをしていた。「こんな時に、どんな神経」なんて陰口も聞こえてきたが無視した。最近都市まちから一人暮らしの祖母の元へやってきた彼女には知り合いらしい知り合いはいない。

 小学三年生まで暮らしていた村だから0ではないが、その頃からあまり人と関わらない子供だったので記憶と現在が一致しない。例外は隣家である枡居家の次男坊くらい。

 その枡居家の寛治――寛兄ぃに誘われたからキサラはゲームをやめてここにいる。


 ◇ ◆ ◇


 日暮れまでには戻りたかったので、危険は承知で手分けをして捜索することにした。正直キサラとしては「それ何のフラグ?」とか思ったのだが、誰にも話が伝わらないであろうことはわかっていたので黙っていた。

 もちろん集合場所は決めていた。入り口からしばらく行ったところにある部屋で、そこには『本』が置いてあった。見たこともない文字で書かれていたので何の本だか見当もつかない。

 この部屋を仮に『図書室』と名付けて本部とする。ここでの調査をキサラが担当することになり、全員が決まった時間にここへ戻ることにした。

 そうして四人が部屋を出て行った後、キサラは順番に図書室の本を見て回った。何枚かはスマホで撮影する。本は結構な数がある。持って帰るのは論外、調べるのにも人手がいるので、村人を総動員しないとどうにもならない。見たこともない文字や筆記具と思しきものをみれば、否応なしにここが異世界であると、避難所の大人たちも納得するはず。

 そんな調査を黙々とすすめていると近場を一回りした寛治が帰ってきた。


 見たところ読めそうな本はない。本じゃないのもあるかもしれない。ぱっと見、二十種類くらいの文字がある。文字が同じでも言語が違う可能性があるから、正直何か国語の本があるのかわからない――キサラがそんなことを説明すると。


「――ったく。おめーは肝が据わってるっていうか動じないっていうか。すげえな」


と、不思議そうな、でも心底感心したような口調で寛治が笑った。

「おめえを連れてきてよかったよ。キサラ。たよりにしてっからな」

 そういいながら、おっきな掌でキサラの頭をぐりぐりと撫ぜる。

 キサラとしては危ないマネは不本意なのだが、寛治にこういわれては悪い気はしない。

 ついで、オタ知識から演繹的に導き出した推測に基づく調査方針について説明しようと、キサラが考えをまとめていると、建物の奥の方から叫び声がした。

 キサラは思った。

 ――やっぱり、フラグだったか。


 ◇ ◆ ◇


「なろう! くそ、がく、よっ むうっ えぶっつり はーっつめえ」


 駆け込んだ先で、酒屋の長男坊がスコップで四つ足の獣とドつきあっていた。

「マサヤスっ。なんだそいつは!」

「しるかっ! なんか窓から入ってきて襲い掛かってきたんだよ!」

 

 坂本正康は車で一時間かかる隣町の高校で体育教師をやっている。剣道の段もち(三段)で四人の中では最強戦力。襲われたのが彼だったのは本人には申し訳ないが幸いだった!


「うわあ。こっちにもいるじゃねえか」

「マサヤス! てめえの生徒か! 体罰はいかんぞ!」


 状況見てボケろやお前らーと叫ぶ体育教師。駈け込んできたのはみかん農家とコンビニ店員(開店時間 10時から17時)だった。みんな寛治の悪友である。


「寛治やべえ。あの黒いの玄関からも入ってきてる!」

「庭からも!」

「くそ! 本部まで撤退だ!」

「本部ってどこだっけ?」

「いいから! こっちこい!」


 一応、それぞれに先行やら殿やらを決めて四人でキサラを守る格好で、図書室まで戻った。だがそこで手詰まりになった。

 扉の外にも、窓の外にも何やらうごめく気配がある。唸り声なんかも聞こえる。


「じいさん、連れてくるんだったな」と、正康が言った。村の外なら教える立場の彼であるが、村の剣道教室では長老から一方的に殴られている。

「布施木神社の朱音ちゃんに来てもらった方がいいような気もするけどな」

「椿寺のヤロウは生贄に捧げるがな」

「そこはきちんと『囮』といえ」

 ざまあみやがれーなどと無駄に盛り上がるみかん農家とコンビニ店員。

「――バカしかいねえが、さてどうする?」

 枡居寛治の言葉は独り言のようだったが、キサラには自分への問いかけのように思えた。

 だから彼女は考えていた。この図書室で半日を過ごし、何もわからなかった。何かの答えを見つけるように動いていれば結果は違っていたかもしれないが、彼女がやっていたのは次回の調査に向けての下準備だ。浅く広く、無目的で表面的にタイトルや装丁を眺めていただけで、情報の質はそれほど高くない。

 だから時間のない今、限られたその情報からできることを探さなくてはいけない。

 

 無為に時間が流れた。この異世界でも太陽は動いているようで、窓の外は黄昏の朱色に染まり始めている。

 翳り行く部屋の中で、キサラはスマートフォンの明かりを頼りに考え続ける。


◇ ◆ ◇


 彼女には学校で友達といえる人間はいなかった。

 顔、髪、目つき、表情、身長、体重、スリーサイズ、誰が友達で誰が敵で。

 生身の人間にはとにかく情報が多すぎる。そのことにキサラはいつも生きづらさを感じていた。またそういった彼女の内面は知らずにじみ出るもので、周囲もまた彼女を扱いかねた。キサラ自身にも自覚はあった。派手な目鼻立ちと薄い髪色。キサラはどこにいても目立ち、どこにいても浮いた。

 だから彼女は活路を――生きる場所をネットに、スマートフォンの中に求めた。

 そこにだけ彼女の『友達』がいた。

 自分の情報を遮断できる世界。あるいは自分自身の情報を自分で管理できる世界。

 人も自分も適度にかかわり適度に遠ざけうる世界。自分自身が自分自身を律する限り、どこまでも自由にいられる世界。

 その瞬間だけ生きているような気がした。そこでだけ呼吸できるような気がした。

 だが、この異世界転移が彼女を『世界』から切り離した。


 ――見たこともない建物、見覚えのない山や川、あったはずの風景、そして、おそろしい獣。

 食料も医薬品も限りがあり、インターネットどころか電気も水道も途切れて。


 そして『スマホ』も通じなくなった。


 八重樫キサラには、もう何一つ残っていなかった。


 ――だが。


「――寛兄ぃ! 探して! 絶対ここにある」


 彼女は叫んだ。寛治は黙って彼女の次の声を待っている。


「ないはずがない! ここにはこんなふうに情報があるんだから、絶対に何かのインターフェイスが――デバイスがある!」


 その叫びに答えて、寛治ら四人は地べたを這うようにして『何か』を探し始める。その『何か』が何であるかは誰にも――キサラ自身にすらわからない。


 さらに時間が過ぎる。外は真っ暗だ。そしてスマートフォンの充電がきれようとしている。暗闇の中で獣と戦うなど、異世界ならずとも自殺行為である。

 キサラは探した。戸棚を机を、部屋の隅をテーブルの下を。そして鍵のかかった引き出しを、寛治に頼んで破壊した時スマートフォンの充電がきれた。


 彼女はそこに何があるか頓着せず、迷いなく、引き出しの暗闇に手を突っ込んだ。


◇◆◇


 暗闇の廊下に扉が開く。

 四つ足の獣は襲い掛かろうとして、躊躇した。そこには一人の少女が立っていて、そしてその手に一冊の本があり、開いたページの上で青白い炎がゆらゆらとゆれていたからだ。


「知らぬものよ。恐れよかし。恨むものよ。その名をきけ。ブロム・エレム・アルトワイス」


 青白い炎から真っすぐ火炎が伸びて、獣を貫く――瞬間。獣は灰になった。


◇◆◇


 二十種類の文字。いくつあるかわからない言語。それが整理もされずに放り込まれた図書室。

 ここの使用者が一人か、あるいは数人だとしても、すべてを読めるはずがない。ならば異世界の多様な文字を読むための何らかのデバイスがあるはず。

 その推測以前の願望の下に、スマートフォンの充電切れ寸前に見つかったのは、古びた眼鏡だった。

 しかしキサラがそれを身に着けるとすべての文字の意味が分かり、また簡単な攻撃魔法を使用できるようになった。

 おそらく、この図書室の主の、自衛手段だったのだろう。


 今キサラの前にある一冊の本。

『グランバリア饗宴録』という名のそれが、以後彼らの導きの書となる異世界料理の指南本(アピキウス)であると、彼女、八重樫キサラが読み解くのは、もう少し後のことになる。

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