スマホが逃げた

棚霧書生

スマホが逃げた

 スマホに逃げられた。朝のホームルームが始まる前、そのことをクラスメートの葉山に相談したら、ムカつくくらい大爆笑された。友人を思いやるってことができないのだろうか。こっちは本気で落ち込んでいるというのに、人の気持ちがわからない奴だ。

「ゴメンって。機嫌直してよ、翔くん」

 葉山がヘラヘラした顔のまま、両手を合わせて形だけの謝罪をしてきた。

「今度から葉山のこと想像力欠如野郎って呼ぶから」

「そのあだ名、長すぎて呼びにくくない?」

 葉山が首を少し傾げて言った。ツッコむべきところはそこじゃないだろう。まったく、とぼけた奴だとは常々思っていたが、ここまでくるとイライラするのが馬鹿らしくなってくる。

「スマホが手元にいないって超不安なの。今の俺は大事な右腕を失ったような状態なわけ。ドゥーユーアンダースタン?」

 イエス、イエス! と軽い調子で葉山から返事が返ってくる。

「スマホちゃんがそばにいないのは心細いよね。僕だったら泣いちゃうかも」

 そう思うなら最初から同情とか心配とかしてくれよ。ジロリと葉山を睨みつければ、綺麗な微笑みが返ってきた。やっぱりこいつ、俺のスマホがいなくなったことを面白がっているな。

「てかさ、スマホちゃんが持ち主の元から自主的に逃亡するってできなくない? 翔くんはなんで逃げたと思うの?」

 葉山が不思議そうに聞いてくる。その疑問は当然で、普通はスマホが勝手に持ち主の元からいなくなることはない。さらに言えば、スマホに組まれているプログラム的に持ち主の不利益になるようなことはできないはずなのだ。そのはずなのだが、俺のスマホは……。

「置き手紙があった。“私たちしばらく離れましょう”って……」

「へぇ、フラれてんじゃん」

「フラれてねぇよ!」

 バンッ、と机を叩いた。が、段々と自信がなくなってきて、小さく“たぶん……”と言葉を付け足した。

「ふふふっ、いやゴメン……笑ってないよ、笑ってない」

「……いーよ、我慢せずに笑えよ。スマホに見捨てられた俺をよォ!」

「翔くん、落ち着いて。僕も探すの手伝うからさ」

 葉山は慰めるようにトントンと俺の肩を叩いた後、自分のワイシャツの胸ポケットの前に手のひらを上にして構えた。少しだけ前屈みになってから彼のスマホに呼びかける。

「おいでミャーちゃん」

 ミャーちゃんと呼ばれ、名前の通りにミャーと鳴きながら葉山の胸ポケットからご登場したのは子猫型のスマートフォン。ふわふわの毛並みは本物の猫のようだが、これも立派な自立型スマホのひとつである。発売は五年ほど前だったはずだが、記録的なヒット商品で未だに愛用している人は多い。葉山もその一人で、自分のスマホをミャーちゃんと呼び、普段からめちゃくちゃ溺愛しているのを俺は知っている。

「ミャーちゃん、翔くんのスマホちゃんに電話をつなげてくれる?」

「ミャー」

 ミャーちゃんが顔を洗った後に、静止する。俺のスマホにコールしてくれているようだ。自動応対モードの設定はオンにしてあったはずだから、つながれば戻ってくるように説得できるかもしれない。

「あっ、もしもし、翔くんのスマホちゃんですか?」

「出たのか!? おい、代わってくれ!」

 葉山は人差し指を唇に当て、黙れのジェスチャーを送ってくる。音は使用者の耳元にピンポイントで送られるようになっているので、葉山にしか通話は聞こえない。音漏れを狙って葉山の耳の真横に自分の耳をつけるつもりで近づこうとしたが、葉山に尖ったシャープペンシルの先を向けられたので近づくに近づけなかった。

「どうして翔くんのところから逃げ出したのか気になって電話してみました。あっ、そうだ、翔くんに嫌気が差したなら僕のとこに来ない? 二台持ちにちょっと憧れてるんだぁ〜」

 俺のスマホをナンパするな。抗議の声を上げたかったが、頼みの綱の通話を切られては堪らないので大人しく表情と眼力だけで葉山に圧をかける。

「え、あー、うんうん、そっかぁ……。それは苦渋の決断だったねぇ」

 一体なにについて話しているのだろう。気になっているのに、葉山の反応を眺めてじっと待つことしかできないなんて、まるでお預けをくらっている犬のようだ。

「僕からも翔くんにはきつく言っとくから、戻ってあげてくれる? 翔くんは君がいなくなって寂しくて泣いちゃってるからさ。うん、よろしくね」

 そこで通話は終わったらしい。葉山はミャーちゃんの顎の下を撫でてから、ありがとね~、と言って定位置である胸ポケットにミャーちゃんを戻した。

「で、どうだった?」

 葉山に詰め寄る。なぜ俺のスマホは俺の元から姿を消したのか、早く真相を知りたかった。

「うーん、翔くんはちょっとスマホ離れした方がいいよ」

「なんだって?」

 スマホから離れろだなんて学校にいる間もミャーちゃんを可愛がっている葉山には言われたくない。

「翔くんがずっと夜中まで延々とスマホを見てるから離れようと思ったんだって」

「使用される時間が長いのが嫌だったのか……」

 確かに最近は新しく見つけた動画投稿者にハマって深夜まで配信を見てしまっていた。あれが原因だったのか。

「でも、おかしくないか。スマホ側は一切ストレスを感じないはずだろう? もしかして俺のスマホは心を持つようになったのか……?」

 葉山が目を丸くし、一拍置いてから堰を切ったように笑い出す。腹を抱え、肩を震わせ、息も絶え絶えというところまで笑いに笑い尽くし、目尻に浮かんだ涙を指で拭った。

「そうなったら素敵かもしれないね。でも、今回の翔くんのスマホ家出事件はそんな夢みたいな理由から起こったんじゃないよ。もっと現実的な問題をスマホ側が察知したんだ」

「現実的な問題?」

「翔くんはスマホに組み込まれてるバイタルチェック機能に引っかかったんだよ。で、スマホちゃんは翔くんの利益のために色々と分析した結果、夜間の睡眠に当てるべき時間がスマホに割かれてるって導き出した。たぶん、スマホちゃんがしばらく身を隠したときの方が翔くんの利益は大きいって判断されたんじゃないかな」

「そうか……」

 スマホは当たり前だが生物ではないし、人工知能によって、かなり人間っぽくなってはきているが意思があるわけでもない。大量の蓄積されたデータから一番正解に近いもの、使用者である俺の利益になるものを選んでいるだけなのだ。

「なーんかなぁ……」

「え、なになに、翔くん落ちこんでるの? スマホに心がないから?」

「うるせぇ」

 葉山の肩にグリグリと拳を押し当てる。ちょうど、始業のチャイムが鳴ったので自分の席に戻ろうとしたところで葉山がつぶやくように言った。

「僕が想像力欠如野郎なら翔くんは想像力豊か野郎だね」

 俺はちょっと考えてから、あだ名にしちゃ長すぎ却下、と葉山に応えてやった。

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スマホが逃げた 棚霧書生 @katagiri_8

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