時間を唄う、またはハゼ
猿川西瓜
お題 スマホ
ドッポン。
深い深い音がした。
船の上で、スマホを落としてしまった。
頭の中で「CTRL+Z」キーを押している自分がいた。
三月半ばの晴れわたった空の下、風がいっそう冷たく感じられた。
しばらく無言のまま佇んでいると、グエン君が話しかけてきた。
「寒いですねー」
「ああ……そうですね」
僕は何も言えずに、頷いた。
ベトナム人のグエン君は、建築事務所で働いている理系のエリートだ。在日外国人に大阪を案内したり日本語を教えるボランティアをしている僕は、淀川を観光案内するため「淀川下りツアー 淀川浪漫紀行」に申し込んだ。枚方の鍵屋資料館から天満橋まで下る大阪の魅力再発見の舟旅だ。
「……」
しょげている僕を不思議に思ったのか、グエン君は「元気だしてください。どうしたんですか」と笑顔を浮かべた。
風が吹くと、グエン君の髪がふわりと巻きあがった。若いのに前髪が結構後退していて、僕は思わず目を伏せた。
何度目かの橋の下をくぐっていく。
そのたびに、デッキで、他のお客さんが一斉にスマホカメラで橋の裏側を写真に収めるのだが、僕はもうそれができない。
目を凝らして覚えるしかない。
「淀川の魚はー、食べられるのですか?」
と、僕に問うグエン君。
僕は笑って「いや、食べないよ」と答えた後、「いや、食べるのかな」とすぐに言い直した。
「釣り客はいるけれども……釣ったの、食べているのかな」
グエン君は笑う。考え込んでいる僕の姿がおかしいのか。少しだけスマホを忘れることができた気がした。
「いや、やっぱり臭くて無理なんじゃないかな」
そう言い終えた途端、急にスマホを落とした時の落ち込みがやってきた。
お弁当を食べて、眠くなりかけたので、デッキに上がったのだが、調子に乗って写真を撮りまくって、寝ぼけた頭でこんなことをしてしまうとは、予想だにしなかった。現代人にとって、スマホはほとんど身体の一部といってよかった。その一部分が今、川底に眠っている。
呆然と自分の愚かさを呪っていると、船上デッキに紫の髪をしたおばさんと、金髪のおじさんがマイクをもってあがってきた。
グエン君と二人並んで彼らを見る。二人ともおそろいの法被を着ていて、淀川の風に何度も洗われたような、深い皺と艶やかな焼けた肌をしていた。
彼らは「三十石舟唄」を唄い継ぐ人達だった。この淀川ツアーの出し物として唄い続ける仕事をして二十年以上になるという。
「今日が最後の日になります。本当に、今までありがとうございました」
いつのまにか淀川ツアーを企画する社員数名も上がってきていて、みなスマホを掲げて二人を撮影する。
歌が始まる。
やれさーよいよーおおよいよー
やれさーよいよーよいよー
やれさーねぶたかろうけど
ふと目をさませー
やれさー五番のーかわりーばしょー
やれさーよいよーおお、よいよー
やれさー、と歌い上げるその声に独特の哀愁があって、はじめて聴くのに、故郷を訪れたような気になる。
ここは枚方かぎやの浦よ 網も碇も手につかぬ
鍵屋浦には碇が要らぬ 三味や太鼓で船止める
鍵屋は、京都伏見から大阪中心部の天満橋までの間にある旅館のことだ。江戸から明治にかけて、淀川の舟運の中継港として興隆を極めた。その淀川を行きかう旅客専用の船が「三十石船」だ。
川は今で言う高速道路のようなものであり、トラックや観光バスの代わりに船が行き来した。淀川と共にあった大阪は、大規模な治水工事を何度も行い、今、平穏な川面を私たちに見せている。私たちの住んでいる所が水浸しでなく、蚊が大発生しておらず、伝染病が蔓延して生活にならないという事態になっていないのは、水をコントロールする土木技術をもって川の形を変えてみせたからだ。多くの人が毎年の夏に死んでいくことがそれほどないというのも、環境を変えて治める力を人間がその知恵と努力によって可能にしたからだ。
「三十石船唄」が終わり、それから堤防作りの歌も聴いた。おじさんとおばさんが強い風の中で説明をしていたから、ぼんやりとしかわからないが、村人が総出で川の堤防作りのために乗りだし、棒でついて土を固める作業をしていた。そのつらい労働のときに唄われたものだった。エンジン音と、波音のあいだにはっきりと、強く立ち上がるように唄が聴こえた。
なにせ今日で最後の歌だ。録画したいがそれもできないから、二人を忘れないように一緒に唄った。憶えやすいメロディーだった。
「ベトナムにもこういう歌はありますか」
と、聴くと、グエン君は笑顔になって「ありますよ」といって唄いはじめた。一分ほど経ってから、「忘れました」と言った。船唄とよく似ている気がした。
船は毛馬こうもんを過ぎ、大川の低い橋を通り過ぎ、八軒屋にまであっという間にたどり着いた。最後にもう一度、船内でおじさんとおばさんは唄った。
夫婦のようには見えなかった。淀川の船で唄い続けた彼らに僕はなんと声をかければいいのかと思った。
結局、ありきたりな「ありがとうございました」という言葉しかでてこなかった。
その後、グエン君と天満橋で中華を食べた。ベトナム人と日本人が中華を食べる。面白いですね、とグエン君は言った。
「やれさー」
グエン君は舟唄を気に入っているらしかった。
僕は唄う彼を撮影したかったが、スマホがないので、記録に残すことができない。そのあと、温めていない紹興酒をがぶがぶ飲んで、翌朝起きると目が腫れていた。たぶん、グエン君は「今日は観光案内ありがとうございました」と僕にラインを送っているはずだった。けれど、僕の記憶力代わりになるものは、いま淀川の川底だ。
親のスマホから電話をかけてみても、もちろん繋がらない。当たり前だ。もしかしたら、家にあるかも、川の落ちたのは幻かもと思ったが、やっぱり現実だった。
すぐに新しいスマホを買って、それから社会福祉会館のボランティアセンター事務所で再びグエン君に会った。
淀川のツアーについて、センターの職員の女性と、三人で語り合ったとき、僕がスマホを落してしまったことを言った。
「おーかわいそうに」と微妙な表情でグエン君は言った。
目がちょっと泳いでいた
「あれ」と僕は思って「もしかして気付いてました?」と言うと、グエン君は曖昧に頷いた。
「ボトンッていってましたねー」
「いや、慰めてよ!」
女性職員は笑った。
グエン君は少し考えてから「せっかく楽しい時間なので、黙ってました。でもとっても良かったですよ」と言って、スマホの画面を見せてくれた。
紫色の髪のおばさんと、金髪のおじさんが画面の中にいた。やれさー、と込めるところが、治水に命をかけた人、三十石船で働き続けた人、そして、唄だけが残され、それを二十年唄うこと。その「時間」が唄われていた。
感想をうまく言葉にできず、なんとなく適当に「しばらくベトナム行っていないなあ」と僕はしんみり話した。
「ベトナムは川が多いですよ。ツアーもあります。そこで唄いましょう」
グエン君はそう言って、やれさーと、声を出した。
スマホの動画から流れる二人の唄声にグエン君はあわせる。
僕も一緒になぞるように唄う。
スマホで聴くと、川の上より全然迫力がなくて、僕もグエン君も音がバラバラになった。途中で恥ずかしくなって、僕らは声がしぼんでいった。唄が途絶え、少しだけセンターが静まり返った。
それからまたグエン君は「淀川の魚は食べられるのですか?」と聞いた。
職員の女性は、釣ったハゼを食べたことがあるらしい。
時間を唄う、またはハゼ 猿川西瓜 @cube3d
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
氷上のスダチ/猿川西瓜
★41 エッセイ・ノンフィクション 連載中 29話
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます