スマホ猫

あぷちろ

第1話

「あ、あがりの時間だ」

 三世代前のスマホを片手に時間を確認する。短針は29時、長針は1597分を指していた。

「あ? ああ?」

 スマホに映るデジタルの文字盤に目を疑う。スマホがついに壊れたかと、上下に振ってみると、スマホから虎柄の尻尾が生え、体温を持ち始めた。

「クソ先輩めが」

 これはあれだ、バイト先のクソ野郎の先輩(別名・店長兼オーナーである醜く肥え太ったジョナサン)が昼飯にヤクを人知れずぶっ込んだ所為だ。

 遠くにちらつくネオンもなんだか深海越しに見ているようで滲んでいるし、足元のコンクリート敷きは絵具をどろどろにかき混ぜたバケツの中身の色をしている。遠くからは怪鳥の鳴き声が聴こえるし、異様に喉も乾く。

 現実逃避、果たして現実からなのか空想からなのかはさておき、あれよあれよという間にスマホは自らの手から脱走を果たし、虎柄の尻尾を振る中型犬ほどの大きさの猫へと姿を変えた。

「にゃ、にゃ。キサマが今宵、この場に迷い込んだお客人か。にゃんごろ。」

 その猫はテンガロンハットをかぶり、カウボーイブーツでコンクリートの地面を打ち鳴らした。

 人に換算すればダンディなのだろうが、葉巻の吸いすぎで焦げ付いた口元はどう見てもチョコ菓子を食った跡にしか見えないし、腰に吊るしたホルスターにはなぜかエノコログサが挟まっている。

「いやさ、スマホが猫になるのはわかる……いや、意味不明か。とりあえずお前の前身であるスマホ返せよ。このあとマミィに帰宅の連絡しなきゃならねんだ」

 どちらにせよ先輩が愛好しているハイアッパー系のクスリの所為で頭のネジがぶっ飛んでしまった状態なのだ。心の安定の為にもスマホくらいは取り返したいところだ。

「にゃ、にゃ。そんないい年してまだ乳離れができていないのか? にゃんごろ」

「マミィは俺の彼女だ、クソッタレ。あとそのクソ後付けのわざとらしい語尾やめろ、腹立つ」

「にゃ、にゃ。どっちにしろ乳から離れられてないじゃねえか。にゃんごろ」

 気障ったらしく皮肉を返す、二足歩行猫。ちょびっとばかし見直した。

「……オーケー。文化人らしく話し合いをしよう。まずは自己紹介だ、俺はミファエル。お前は?」

「わっちは誇り高きホワイトヌートリア氏族のインディアン、ジェルシカエーリス・メムレワロオット・マルクエガウだ。気軽にジョンとでも呼んでくれ。にゃんごろ」

「カウボーイのナリなのにインディアンかよ。というか自分でインディアンって名乗っちゃだめだろ」

 インディアンはたしか差別用語だろ。

「ところでミカウ」

「ミファエルだ」

「ミルルクよ、キサマにはやってもらいたい事がある」

「ほーん? さてはテメぇ話し合いする気がないな?」

「悪の代官に囚われた姫――エミリーを救い出してほしい。にゃんごろ」

 悪の代官とかロビンフッドかよ。ジョンは股座から鈍色に輝く懐中時計を差し出した。

 たぶんこれ、道端に落ちてた犬のフンとかなんかだろうなあ。

「わっちの役目はレクチャーだ。キサマにはこの後五つの試練をこなし、七つの海を越え、八つの宝玉を集める旅に出てもらう。にゃんごろ」

「どうしてもしなきゃならねえか?」

 薬物性幻覚に正当性を説いても意味はないが、つい反射的に訊いてしまう。

「次の行き先はそれが示してくれる。では健闘を祈る。にゃんごろ」

「説明するならもっと詳しくしろよこの幻覚猫……」

「幻覚と思ってるのはキサマだけだ。クソ青尻坊主」

 軽い頭痛を感じながら悪態を吐くと、思いもよらない返答をぶつけられてぎょっとする。

 目を瞠っていると、煙のようにジェルシカエーリス・メムレワロオット・マルクエガウはその場から消え失せていた。

「とりあえずマミィに連絡を……って、マジか」

 握りしめた右手の中には硬質で冷感な懐中時計。そして左手にはなぜか毛皮のケースを纏った我が愛機スマホ

 一息ついて、取り敢えず先輩をぶん殴りに職場に戻る決心をした。





 おわり

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