親父とスマホ

葉月りり

第1話

 ある日、母に呼び出されて実家に行くと、親父が


「スマホが欲しい」


と、言った。


 親父はもう85才。俺だってもうすぐ還暦だ。俺はかろうじてスマホを使っているが、使う機能は限られていて、設定だのなんだの理解していないことばかりだ。どんなに贔屓目に見ても使いこなせてるとは言えない。それを親父が欲しいと言う。一生懸命教えれば、通話と、ネットニュースを見るのと、カメラぐらいは使えるようになるかもしれないが、誰が教えるんだ。


 親父はガラケーさえ使いこなせていない。メールはSMSだけ。大体メールアドレスを設定していない。それで写真が送れないと文句を言う。


 いったいなんでスマホが欲しいんだ。母が言うには、老人会の少し若めのグループの人が、孫とテレビ電話すると自慢してたり、一緒に出かける時にスマホでササっと電車の時間や乗り換えを調べたりしているのが羨ましかったらしい。孫とテレビ電話って、親父の孫は1番小さいのだってもう大学生だ。画面に向かって「じぃじ〜」なんて手を振ってくれるわけないじゃないか。母は、


「もう先は長くないんだから、買ってやって。お金はちゃんと払うから」


と言う。決まり文句だ。何かというと「もう先は長くないんだから」「生い先短いんだから」と要求を通そうとする。親父は、


「そうだ。金に糸目はつけない」


なんて言ってるけど、これも決まり文句だ。そう言っておいていざ支払いの時になると文句を言うのもお決まりだ。


 仕方がない。親父を近所のケータイ屋に連れて行ってスマホをあてがった。取り敢えず、自分と同じiPhoneにしてもらった。他の機種にされたら全然まったくちっともわからない。


 料金プランだの何とか割だの、親父の手前知ったような顔していたが、ちんぷんかんぷんだ。なんでこんなに複雑なんだ。本当に金に糸目を付けないのなら、自分で買いに来ればいいのに。


 結局、データプランもパスワードもメールアドレスも俺が決めた。親父がしたのは自動引き落としの申込書にハンコを押しただけだった。


 数日後、また母から電話があった。親父が、


「こんな物使えない、買わなきゃよかった」


と、もう放り出したらしい。予想はできたが予想よりだいぶ早い。またガラケーに戻すのも面倒くさいので、電話の掛け方とメールぐらいは教えに行くか。


 日曜日、ツマと2人でスマホ講座を開くべく実家に行った。母さんは放り出したと言っていたが、親父はYahoo!ニュースを見ることはできると威張った。


 とりあえず、通話ができなきゃとFaceTimeを教える。これは料金プランに含まれているから、いくらかけてもタダだと言ったら、すごい乗り気になった。電話マークを触って、かける人の名前を触って…大して多い手順じゃないのになかなか覚えない。だんだん口調がキツくなる。声も大きくなる。親父もイラついてくる。


 母とツマがお茶と菓子を運んできた。一時中断。これは先が思いやられる。煎餅をバリバリやっていたら、ツマが優しい口調で親父に教え始めた。いつも俺や自分の親と喋る時より半オクターブぐらい高い声で。


 これはアレだ。最近良く言う、自分の親の介護は他人に任せたほうがいいってやつと一緒だ。


 ツマはまず、かけ方じゃなくて受け方を教えた。目の前で自分のスマホでかける様子を見せて、


「ほら、お父さん、かかってきた、出て! ここタッチ!」


親父が出る。


「おとうさーん」


 目の前にいるのにツマが画面に向かって手を振る。ほぼ還暦のヨメに親父は一瞬笑顔で手を振りかえしそうになって、慌ててむっつり顔に戻る。


「じゃ、今度はお父さんがかけて」


 自分のスマホを並べて同じ動作を一緒にやる。その方法があったか。


 何とかかけられるようになって親父もツマも俺も一息ついた。しかし、お茶の後、またかけてみようとなったら、すでに怪しくなっていた。これは何度もかけて定着させなきゃと、毎日うちにかけさせることにした。夜7時、ツマのスマホにFaceTimeでかけるように言う。その時間なら俺も大抵うちにいる。


 次の日7時、さっそくかかってきた。ツマが出る。


「ひゃああー」


ツマが変な声を上げた。スマホから


「もしもし、もしもし」


と、親父の声がするが、画面は一面肌色、明らかに人間の肌だ。真ん中に穴、まわりにもじゃもじゃと毛が生えている。穴の中にも毛が生えている。見ようによっては卑猥な感じが…親父の耳だ。


「親父! 耳じゃなくて顔! スマホ、顔に向けて!」


「あ、あ、そうか」


やっと親父の顔が写る。


「おとうさーん」


アラ還のツマが指ハートを作って振る。その後ろで俺は声だけで


「親父、床屋に行かないと、耳ん中毛だらけだぞ」


「そうか、そろそろ行かないととは思っていた」


ほんの少し喋ってFaceTimeは終わった。


 次の日7時、親父からのFaceTimeはまた親父の耳のアップからで、ツマは同じように


「ひゃああー」


と、声を上げた。しかし、さすがに3日目には慣れたのか、


「アラ、お父さん、床屋さんに行ったんですねー」


親父の耳毛はきれいに剃られていた。


 4日目にやっと「顔」でかかってきて、5日目にはツマじゃなくて俺のスマホにかけさせてみて、どうにかFaceTimeはクリア出来たとみていいだろう。お望みの孫とテレビ電話というのは孫次第だが、金に糸目を付けなければ、喜んでかけてくるかもしれない。


 次はメールを教えなくてはと思うが、やっぱり先が思いやられる。さて、親父は気づくだろうか。親父のメールアドレスが「kusogg」だってことに。


おわり




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