双子の祈祷師降魔録

後編

着信音は真夜中に突然鳴り響いた。

睦美はお手洗いに行ったままだ。

風は雷に視線を向けた後、徐（おもむろ）にスマホに手を伸ばした。

耳に当てた途端、あの声が聴こえてきた。

「たす……けて」

何度か繰り返され切れる。

すると今度は玄関の方から悲鳴がした。

「きゃあぁっ！」

睦美の声だった。

反射的に走りかけた二人の前に、異様な人物が立ち塞がった。

フードで顔を隠しているが、その巨軀（きょく）から男のようだ。

「待てっ！」

風の制止を無視し男はベランダに向かって突進した。

物陰からマンションの窓を見つめる影があった。

鋭い眼光の長身の男だ。

時折何か独り言を呟いている。

突然轟音と共に窓ガラスが割れ何かが飛び出した。

巨猿に似たその影は、着地と同時に駆け出した。

間髪入れず窓からさらに二つの影が飛び出す。

巫女装束の子どもだった。

二人とも猫のように鮮やかに着地すると、身を翻（ひるがえ）して巨猿の後を追った。

どいつもこいつも人間業（にんげんわざ）じゃないな……

男はため息をつくと普通の速さで後に続いた。

男が追いついた時、薄暗い公園で死闘が始まっていた。

「シャアァァァっ！」

奇声を発し、フード男が風に襲い掛かる。

紙一重で振り下ろされるナイフを避けながら後退する。

雷が背後から当て身を繰り出すが、男は風を飛び越え逃れた。

人間離れした跳躍力だ。

一進一退の攻防が続く。

「雷、護符（ごふ）を！」

長引くと不利と判断したか、風が叫ぶ。

雷は掛襟（かけえり）から小さな札を取り出すと何か呟き始めた。

「……いっさいしょうじゅう……きよめたまひ……」

祝詞（のりと）らしきその詠唱を受け護符が光を放つ。

「竜神符（りゅうじんふ）っ！」

掛け声と共にあたりが閃光に包まれた。

「ぐっ……」

目の眩んだフード男の体制が崩れる。

その機を逃さず風と雷が前後から当て身を放った。

が……

身体能力は相手の方が上回っていた。

男は跳躍して攻撃をかわすと、雷の後ろに回り込みナイフを突き立てた。

「うっ……！」

雷の肩から血が迸（ほとばし）る。

「雷っ！」

「危ないっ！」

風の叫びと重なるように誰かが叫んだ。

「ぎゃあぁぁぁっ！！」

次の瞬間、フード男は絶叫しながらその場に倒れ込んだ。

突然の状況に風は一瞬茫然としたが、すぐに気を取り直して男に駆け寄った。

フード男は気を失っていた。

よく見ると男の首元に手首らしきものがしがみ付いている。

どう見ても人の手首だ。

その根元からは細いワイヤーが林中まで伸びていた。

「危なかったな」

林の奥から何者かが出て来た。

鋭い眼光の長身の男だ。

「助かりました。警察の方ですか？」

負傷した雷を抱き起こしながら風が尋ねる。

「まあ……そのようなもんだ。もういいぞ、レフティ」

男の左腕に手首がスルスルと戻っていく。

まるで錨（いかり）を上げる船のような光景だ。

不思議そうに見つめる双子に男は笑みを浮かべた。

「ああ、これか……実は俺の左腕は義手でね。護身用にちょっとした仕掛けを仕込んであるんだ」

「……そうでしたか」

意外なほどすんなり受け入れた風に男の方が驚く。

不可思議な事象には慣れっこって事か。

「俺もたまたまこの事件を追っててね。マンションの下で見張ってたら、君らが飛び出して来たって訳だ」

そう言って男は倒れている男に近寄った。

いつの間にか身体がひと回り小さくなっている。

フードを外すと、そこには生気の無い睦美の顔があった。

「この人でしたか。体型から言って音無和哉かと思っていたのですが」

風は睦美を見下ろしながら呟いた。

「結局和哉の居場所は分からずじまいか……」

「そんなもん、端（はな）からいないさ」

「えっ！？」

男の言葉に風は驚いて顔を上げた。

「でもスマホの声は確かに和哉のものでした」

「ああ……ありゃ睦美の自作自演だよ」

言葉に詰まる風を見て男はふんと鼻を鳴らした。

「実はあの姉弟は恋愛関係にあったんだ。弟の死をきっかけに姉の精神が壊れちまった。愛する弟の後を追えなかった罪悪感から自分の中に和哉の人格を植え付けてしまったんだ。いわゆる乖離性（かいりせい）障害というやつだ」

雷の傷の手当てをしながら男は続けた。

「乖離性障害にも色々ある。意思だけが別人と化すもの。声や仕草が変わるもの。中には容姿や筋力が著しく変貌する奴もいる……この女性も恐らくそれだろう。体の中に二人分の人格を抱えていたんだ。弟の人格が姉にスマホで呼びかけ、常に携帯をそばに置いておこうとする。スマホが二人の唯一の会話手段だと考えたんだろう。一方の姉は自分に記憶が無いため弟の影に恐れおののく。姉に言い寄ったり、邪魔する者を弟の人格は許さない。だから人格が入れ替わると殺人鬼に変貌する……君らを襲ったのは和哉の人格の方だ。ややこしい話だな、まったく」

男は吐き捨てるように言うと肩をすくめた。

「どうして和哉が睦美の別人格だと分かったんですか」

「ああ……スマホの声だよ。睦美のスマホにある不審者と和哉の音声情報はすでに入手済みだったのでね」

男はそう言って自分の左手に目をやった。

そう、コイツ（左手）にかかれば容易（たやす）い事だ……

「どうやって見抜いたんです？私にはとても同じ人物のものとは思えなかったのですが」

風が困惑した表情を浮かべる。

「声紋だよ」

男は微笑みながら言葉を返した。

「声紋？」

「そう。指紋が人によって異なるように、人間の声にも個性がある。どんなに声色を変えようとも、基本的な声質が変わることはない。スマホに流れる声を分析して睦美だと分かったのさ」

「凄い能力をお持ちですね。霊能力の一種ですか？」

「ばかな。単なる科学だよ」

男はそう言って左腕を胸元まで持ち上げた。

「こいつのお陰さ。俺の左手にはＡＩが仕込まれててね。分析はお手の物なんだ」

「それは凄い！痛くはないのですか」

今まで痛がっていた雷が目を輝かせて口を挟む。

男の子特有の好奇心が湧いたらしい。

「全然。痛みがあるのはコイツの無駄話を聞かされる時だけだよ」

『今の発言は不適切です。無駄話ではなくアドバイスと言ってください』

「ああ、悪かったよ」

男は面倒くさそうに言った。

「今のがＡＩさんの声ですか？」

風と雷が同時に質問する。

男ははっとした表情で双子を見返した。

「こりゃ驚いた。君らにはコイツの声が聴こえるのか」

受信器を埋め込んでないのに聴こえるとは……

「君らこそ超能力者かい。さっきの戦い方も普通じゃなかったし」

双子は顔を見合わすと噴き出した。

「いえ。古神道の奥義です」

風が笑いながら答える。

「ふ〜ん……よく分からんが大したもんだ」

男は感心したように唸ると耳に手を当てた。

「どうやら本物の警察が来たようだな。ちょっと誘導してくるよ」

「あ、よろしければ名前を教えて頂けませんか」

歩き出す背中に向かって声をかける。

男は首だけ振り向くと左手を差し上げた。

「コイツの名はレフティ、そして俺は……」

左手の時計盤が青く瞬いた。

「九牙凌介（くが　りょうすけ）だ」