お嬢様、スマホをかう

タカテン

お嬢様、スマホをかう

 1、


「隆正さん、わたくし、かうのを決めました」


 それは五回目のデートでのことだった。

 落ち着いたカフェで優雅にお茶を飲み、都内の喧騒から隔離された長閑な公園をゆったりと散歩する。なんとも刺激のないデートだが、お相手が世界きっての大富豪の箱入り娘ならば仕方ない。

 そもそも刺激的なデートプランは、お見合いをした時に諦めた。なんせこのお嬢様にはボディーガードやら運転手やらヘアスタイリストなどが常に付き従っているのだ。

 仲人さんが「若い人たちだけでお庭でも見てきたらどうです」とお決まりのフレーズを言って来た時も、当たり前のように付いてきたのだからこれはもう諦めるしかない。

 

「え? かうって何をです?」


 その後四回のデートでも、あまり二人の仲に進展はなかった。

 静かに微笑むだけで無口な彼女は、まぁ確かに見ているだけでも癒される美しさではあった。だけどまだお互いをよく知らない間柄での無言は苦痛だ。

 俺は言葉を慎重に選んで話しかけた。

 彼女が「はい」「いいえ」「まぁ」と簡潔な返事をする。

 うむ、会話が続かない。どうしろというのだ。

 

 だから彼女から話しかけてきたのは少し驚いた。

 

「スマホを……前から欲しいと思ってまして」

「ああ、スマホですか」


 さすがは箱入り娘だけあって、彼女はスマホを持っていない。

 会話が弾まないなら、せめてメールでのやりとりをと思ったら彼女から「お手紙で」と言われた時の衝撃は今も覚えている。

 

「ずっとどれにしようかと悩んでいたのですが、決めました。父も賛成してくれましたし」

「それは良かったですね」

「隆正さんもそう思っていただけますか?」

「勿論ですとも」


 お手紙でと言われたので手紙を書いたら、数日後に返事が届いた。

 達筆の草書だ。達筆すぎて全然読めなかった。

 かくして手紙は諦めたのだが、スマホを持ってくれると助かる。

 

「よかった。それではその……付いてきていただけますか?」


 彼女が少しはにかんだ表情で尋ねてくる。

 俺はにっこりと笑顔を浮かべて「喜んで」と答えた。

 なんせ彼女は世間知らずの箱入り娘なのだ。ひとりではスマホを買ったり、契約を交わしたりするのに不安があるのだろう。ここは俺が上手くエスコートしてあげようじゃないか。

 

「ありがとうございます。それでは早速行きましょう、隆正さん」


 彼女が嬉しそうに微笑んだ。微笑むのはいつものことだが、こんなに嬉しそうな顔は初めて見る。

 素直に綺麗だなと思った。

 そして同時に少しだけ申し訳なさも感じる。

 

 俺は彼女と結婚したいと思っている。

 が、それは彼女自身を欲しいと言うわけではない。

 俺が欲しいのはただ彼女の夫という地位と、その立場になって初めて相続権を得る彼女の父親の遺産だ。

 つまりは金。つまりは大富豪というステイタス。

 それを手に入れる為に、俺は彼女を心から愛している振りをする。

 平和な世の中とは言え、この世は常に弱肉強食、下克上。騙すのが悪いんじゃない。騙される奴が悪いのだ。

 

 2、

 

 彼女お抱えの運転手による車で向かったのは銀座だった。

 さすがはお嬢様、スマホを買うのも銀座ですか……と思っていたのだが。

 

「え? ここ?」


 車の辿り着いた先にはDOCOMOもauもSoftbankの看板も掲げられていなかった。

 とゆーか、そもそも看板がなかった。ただ扉の前にはタキシードを着こんだガタイのいい男が直立不動で立っていて、彼女の顔を見ると深々と一礼して扉を開けた。

 中は……うん、これぞ銀座と言わんばかりの、シックで、上品で、ソファもテーブルも吹き抜けの天井から吊り下げられたシャンデリアも壁に掛けられた絵画も渋い光沢を放つサイドチェストもふわふわの絨毯もきっとどれもが全てとんでもないお値段であろう一流品で取り揃えられていた。

 

 てか、これどう考えてもスマホショップじゃないだろ。

 

「これはこれはお嬢様、お待ちしておりました」


 呆気に取られる俺といつも通りの微笑を浮かべる彼女。そんな俺たちをひとりの老紳士が首を垂れて出迎えてくれた。

 オールバックの髪型。銀縁眼鏡。首には白い蝶ネクタイに、身体のラインにぴたっとフィットした燕尾服。どこからどう見てもザ・執事と言わんばかりの老紳士だ。

 

「お話していましたように、今日はスマホをかおうと思いまして」

「かしこまりました。今、ご用意させます」


 えっ!? 買えるの?

 老紳士が傍に控えていた男に一言二言指示を出すと、再びこちらへ振り返って俺たちをソファーへと案内する。

 これまた年代物な雰囲気が漂うソファだ。腰を掛けると何とも言えない絶妙な弾力で俺の腰を受け止める。

 

「お嬢様が来られると聞きまして、今日は特別な茶葉を用意いたしておりました」


 音もなく差し出されるは、またしても骨董価値の高そうなティーカップ。白磁に紅茶の澄んだルビーのような色が生えて見た目にも美しい。勿論、味も申し分なかった。

 

「で、お嬢様、こちらの方が例の?」


 老紳士の問いかけに彼女がこくりと頷く。心持ち顔が赤く染まっているように見えるのは気のせいだろうか。

 

「ふむ。なるほど、なかなか良さそうな青年ですな」

「はは。ありがとうございます」


 なかなか? ふん、彼女と結婚したら俺に深々と頭を下げなきゃいけなくなる立場なのに「なかなか」とは恐れ入る。

 

「ではあなたのスマホを少し貸していただけますかな?」

「スマホを?」

「嫌ですかな? 何か見られたくないものでも?」

「まさか。ええ、別に構いませんよ」


 何故スマホを? とは思ったが、断る理由は特にない。俺は懐からスマホを取り出すと、ロックを解除して老紳士に渡した。


「どうぞお好きなようにお調べください」

「ありがとうございます。でも、調べるのではありません。これはこうするのですよ」


 老紳士が左手に俺のスマホを持ちながら、右手を高々とあげるとくるりと回転させる。

 するとどうだろう。その手にいつの間にか金槌が握られており、勢いよく己の左手へと振り下ろした。

 

 止める暇なんてなかった。

 俺の目の前で。俺のスマホの液晶が粉々に砕け散った。

 

「お、おい! 一体何を――」


 俺は慌てて立ち上がろうとした、はずだ。

 が、俺の視界は画面が破壊されたスマホどころか老紳士すら捕らえられず、ただ大理石と思われるテーブルとその上に置かれた高そうなティーカップがぐんぐんと迫ってきて。

 

 ガチャン! ガツン!

 

 陶磁器が割れる鋭い音と、俺の頭がぶつかる鈍い音だけが耳に響いて、俺は意識を失った。

 

 3、

 

「……おや、お目覚めですかな?」


 どれくらい気を失っていたのだろう。

 気が付けば、俺はソファに横になっていた。

 なんだか頭がぼんやりしたまま、上体を起き上げる。

 目の前には大理石のテーブルとティーカップ……いや、ティーカップはない。代わりにあるのは見慣れた俺のスマホ……。

 

「俺のスマホ!」


 途端にぼんやりしていた頭が覚醒し、俺は素早くスマホを手に取った。

 そうだ、思い出した。この爺さんに俺のスマホの液晶を割られたんだ。ふざけんなよ! 一体何を考えて――。

 

「あ、あれ……割れてない?」


 見ると液晶は割れてなかった。おかしいな、確かに割られたはずなのに。それともあれは全部夢だったのか?

 

「いいえ、違いますな」


 そんな俺の考えを見透かすかのように、老紳士が俺を見下ろしながら言った。

 

「違う? 夢じゃなかった、と?」

「夢? 何のことでしょう。それより私が違うと言ったのは、それはあなたのスマホではない、ということです」

「え? いや、そんなことは……ほ、ほら、ちゃんと俺の暗証番号でロックが解除されるし、ツイッターも!」


 ツイッターのアイコンをタップして立ち上げる。そこには俺のよく見慣れたタイムラインが……。

 

「な? なんでタイムラインに何も出てこないんだ?」

「アカウントを確認してみなさい」

「アカウント?」


 画面を横にスワイプしてアカウント画面にする。するとそこには……

 

「な、何故彼女の名前が!?」

「簡単なことです。それはお嬢様のスマホだからですよ。そしてあなたはお嬢様のスマホ担当者となったのです」

「スマホ担当者、だと?」

「はい。お嬢様はやんごとなき身分のお方。自らスマホ操作などされません。ですからあなたがこれから二四時間付き従って、代わりに操作するのです」

「な!? 何故俺がそんなことを!? 俺は彼女と付き合って、将来は結婚する男だぞ!!」

「あなたがお嬢様と? ははは、ご冗談を。あなたはただお嬢様がスマホを預けるのに相応しいかどうか試されていただけです。そしてお嬢様はあなたに決めた。あなたも確認されたでしょう? 付いてきてくれますか、と」

「そんな! あれは買い物に付いてきてくれるかという確認だったはずだ!」

「それはあなたの勝手な勘違いですな。そもそもお嬢様はここに買い物なんか来ておりません」

「何を言ってる!? 彼女はスマホを買うから付き合ってって――」


 その時だ。俺の脳裏にある可能性が浮かんだ。

 まさか……まさか彼女は「スマホを買う」のではなく「スマホを飼う」と言っていたのでは……。そして飼われるのは、まさか俺自身の事なのでは……。

 

 その後、老紳士は俺の心臓には小型の爆弾が仕掛けられていて、彼女の命令に背いたら即座に心臓が爆破されることなどを話していたが、俺の耳にはもうなにも聞こえてはこなかった。

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