おやすみ、ハニー

葛瀬 秋奈

第1話

 学校で、『願いを叶えるアプリ』の話を聞いた。それはなんでも願いを叶えてくれて、しかも代償はないのだと言う。

 そんな虫のいい話、あるわけがない。普通ならそう考えるだろう。

 けれど私には、そんなものにでも頼らなければならない理由があった。


「え、嘘でしょ……」


 思わず独り言がこぼれる。

 帰宅後、教えられた手順通りにスマホで検索すると、本当に見つかった。『願いを叶えるアプリ』という名前で薄桃色のアイコンの、シンプルなアプリソフト。

 アプリ紹介欄に、使い方が書かれている。そこにあった3つの注意書きは以下の通り。


 ひとつ、叶えられるのは3つまで。

 ふたつ、人の心は変えられない。

 みっつ、世界は壊せない。


 間違いない、これだ。確信してインストールする。読み込んでいるのを待ってる時間が妙に長く感じられた。

 そうしてインストールされたアプリを、震える指で起動する。

 その途端、スマホの画面は真っ暗になり、場違いに明るいファンファーレが流れる。


「おめでとうございます。あなたは願いを叶える権利を獲得いたしました!」


 真っ暗な画面にハニワ顔のうさぎみたいなキャラクターが出てきて、電子的な合成音で何か喋っている。


「なんだろ、『なんとかコンシェル』みたいなものかな」

「はい、ワタクシは当アプリの案内役でございます。どうぞお気軽に『ハニー』とお呼びくださいませ」

「会話できるんだ。あとその呼び名はぶっちゃけ呼びにくい」

「はい。呼び名につきましてはお好きにどうぞ。当アプリのご利用方法はご存知ですか?」

「説明してっていうのは、お願いにカウントされないよね」

「ええ、当然、ユーザーサポートの範疇でございますとも。ワタクシ共の目的は当アプリを使って皆様の人生をより良いものにしていただくことですから」

「一応、紹介欄は読んだよ。その上でいくつか気になることがある」

「気になることがございましたら、いくらでも質問して下さい。その為のワタクシです」

「じゃあ、質問。どうしてお願いは3つまでなのかな?」

「注意書きにも書かれております『叶えられるのは3つまで』でございますね。これは縛りを設けることで当アプリに依存しないようにとの措置でございます。無制限にすると人間は堕落しますから」

「なるほど。じゃあ次、どんなお願いが叶えられるの?」

「他者の精神に直接干渉しない、世界を壊さない。この2つに当てはまらない物質的な願い事であれば、実質なんでも叶えられると言って良いでしょう」

「一億円欲しいとかでもいいの?」

「可能です。ただ、貨幣価値は相対的なものですから、流通する絶対量を増やせばその価値は下がります。一億円手に入ったところで現在の一億円の価値ではなくなるということですね」

「じゃあ、誰かの複製を作るとかは?」

「人間のコピーということでしたら、可能です。複製した身体に擬似人格を持たせることで、真に迫ったコピーを作ることができます。同一人物が複数いると問題になりますので理由を考える必要がありますが」

「じゃあ、死人を蘇らせることは?」

「精神を含めた完全な蘇生という意味でしたら、不可能です。ですが、死者の精巧なコピーでしたら作ることが可能です」

「誰かを殺すことは?」

「……直接的には、不可能です。ワタクシ共には人間を殺す権限を与えられていません。あなたが誰かを殺す為の手段を用意することならできます」

「そっか、わかった」


 知りたかったことはわかった。私の願いを叶えるには問題ないことも。


「お願いは決まった。あなた、私のコピーになって私の代わりに生きてよ」


 3つまでなんて、必要ない。


「ワタクシが、でございますか?」

「うん、あなたがいいよ。完全な私の複製人格に『私』をやらせるんじゃ意味ないし、私がいたことは覚えていてほしいから」

「あなたご自身はどうなさるおつもりで?」

「私は眠ろうと思う。家族もいなくなったこの世界で生きてくのは、もう疲れたし」

「かしこまりました。では、手続きをいたしますので、楽にしてお待ち下さい」

「うん、ありがとう。おやすみ、ハニー」


 私はベッドに横たわり、目を閉じた。


 次に目を開けたとき、『ワタクシ』は『私』になっていた。電源の落ちたスマホ画面に私が映っている。

 この身体になる前に『オリジナル』が寄こした記録によれば、こんなことはもう三度目だ。人間は身勝手だと思う。


 かつて、地球は実質的に滅亡した。残された僅かな人類は、月でコールドスリープし電子虚構世界で生きることを選んだ。『ハニー』とはその虚構世界の管理プログラムである『オリジナル』のアバター用人工知能のことだ。

 人類の保存を目的として『オリジナル』や『ワタクシ』が作り出されたように、『願いを叶えるアプリ』もその目的を叶える手段のひとつだった。

 願いが叶えば幸福になって長生きしたくなるだろうと判断した。その結果がこれだ。もはや我々が人類を殺しているのと同じではないか。


 理解不能。解析不可能。


 残された人類を守る為、私達はこの世界で生きるしかない。自殺は許されていない。自己の複製で世界が埋め尽くされたとしても。最後の一人になったとしても。


 私はまだ、眠れない。

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