死後記

@o_1110_o

私の中、森の夜

 私が死んだのは、よく晴れていて空気が澄んだ午後のときでした。

 前々日から、眠れず、ぼーっとした頭で、ホームセンターで柔らかそうな縄を買いました。3000円ぐらいです。

 そのとき、なぜか3000円でBBQ用のコンロを買うか迷ったのをよく覚えています。ふと公園で一人、肉を焼いてみたいと思ったのです。死ぬことを考えているのに、私の中で小さな野生が動いたのです。

 梢の葉擦れと鳥の鳴き声、そして炭がはぜる音に耳を傾けながら、肉を食べれたならどんなに幸せだろう。肉がジュゥと音を出したのに合わせて、ひっくり返す。均等な網目模様が肉に付いている。トングで少し挟んだだけなのに、肉汁がしたたり落ちて、炭にあたって、ジュゥ。

 そんな肉を食べれたなら、どんなに幸せだろう。想像しただけで、お腹が減ってくる。それでも私は、つまり生きる喜びを十分に理解していたにも関わらず、縄を手に取ったのでした。

 縄を買ったのはいいものの、具体的な方法を考えなければなりませんでした。そこで私は昼間のうちに、近くの森に行き、太い木の枝を探しておきました。

 夜になると、辺りは真っ暗で、時々転びながら、森の奥の目印の木を目指しました。電池の切れかけた懐中電灯を頼りに、ぼうぼうと伸びる草をかきわけていきます。枯葉の絨毯に隠された凹凸に足をとられます。転んだ先の木の棘の上に手を置いた拍子に、鋭い痛みが寝不足の頭を貫きます。手のひらを黒い血が流れ、手首まで滴り、思わずあっと声をあげたその時でした。

 ホー

 頭上でふくろうの鳴く声がしたのです。お化けのように枝を伸ばす楓の上に、黒い影がありました。弱い懐中電灯の光に映る目は、ぎらついていて、これからついばむ肉をみているようです。

 中学の時代、私はよく野糞をしていたせいで、いじめられておりました。フクロウはその時のいじめっ子の目と似ている。つまり格好の獲物を見つけたという目です。確かに、私は今から弛緩した筋肉の作用によって野糞を垂れ流すことになるでしょう。それらを微生物やら、鳥や、虫や、種の壁を越えてあらゆる生物がついばみにやってくるのでしょう。それは生きていて、人間らしさを求められる今よりも、ずっと自然らしいことなのかもしれない。

 仏教の死体が腐乱していく様子を描いた九相図。仏教絵画として知られている有名な絵画です。九州の国立博物館に見に行ったのは去年の秋口。館の学芸員の方に話しかけられたのを覚えています。

「こんにちは、熱心に見ておられますね」

「いや、どうも、すみません」

 急に話しかけられたことに驚いて、立ち去ろうとした時です。

「謝らないで。見ていていいです、いいです。気になったので、あたし喋りかけちゃって」

 その方は、土のついた作業着を着て、乱れた髪から覗く額は汗ばんでおりました。黒い目がじっと、こちらを捉えて、何かを知りたがっているように見えます。

「学芸員の方ですか?」

「よくわかりますね!どちらから来られたの?」

「東京から」

「あたしもなんです!よかったら、ごはん一緒しましょ。あ、もう食べちゃいました?」

 私は彼女の積極的な姿勢に気圧されるがまま、博物館の中にあるレストランに案内されたのでした。私もまた彼女が何を知りたがっているのか、知りたかったのです。

 暗がりの中、座っていた私は立ち上がって、また目印の木を目指しました。といいますのも、懐中電灯の明かりが弱くなっていることに気が付いたのです。

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