1話 冬馬雉子の初仕事


ブギーマン。それが奴らの名である。創世記から存在したとされ、絶えず人類を殺め続けている怪物共である。奴らは夜になると出現し、その力を奮っては朝に消える。そんな怪物共に対抗すべく創設されたのが「ブギーマン特専課」。特専課は、選ばれた者しか所属が許されない。その選ばれた者こそが―


「我々言魂使いである、とね。」

これから初出勤する仕事場のホームページを、冬馬雉子はスマホでじっと読んだ。片手には車のハンドルが握られているというのに、危なっかしい運転をしている。そして案の定、スマホに夢中になりすぎて後ろからクラクションを鳴らされた。雉子は後ろから聞こえる怒声に驚き、スマホを急いで鞄にぶん投げた。

「分かりましたよ、ごめんなさいって!」

聞こえるわけのない謝罪をして雉子は車を急発進させた。黄昏に染まっていくビル群の中を軽自動車が走っていく。あと二十分もすれば、ブギーマン出没警戒時間となる。そのためか、行き交う車の数がまばらである。雉子は車のミラーを見て、表情を堅くして緊張感を高めた。これから自分はブギーマンハンターの一員になるのだと再度自覚した。

「ただでさえ殉職率が高い仕事なんだ。気を抜くなよ、私。」

その瞬間であった。雉子はミラーを見て、何かがこちらに飛んでくるのに気付いた。

「え、何―」

「今すぐそこをどけ!ブギーマンだぞ!」

「ブギーマン!?」

雉子は、突然聞こえてきた大声に目を見張った。そして急いで言われた通りに車をガードレール寄りに走らせた。すると、その時閃光の如き速さで道路の真ん中を翼を持ったグリフォンのような異形の怪物・ブギーマンが飛行していった。

「ブ、ブギーマンだ。」

雉子は車から降りて、過ぎ去っていくブギーマンの後ろ姿を見つめた。他の人々も、突然のブギーマンの来襲に驚き、怯えていたり、誰かに電話をしたり、写真を撮っていたりしていた。その時、道路の向こうから俊足で男が駆け抜けてきた。男はブギーマンハンターらしく、人々に呼びかけをしていた。

「危ないので皆さん、今すぐ車の中に避難してください!」

雉子は男の声で先程、自分を注意した人物だと気付いた。雉子は、男の方を見つめた。男は必死に声かけをしながらブギーマンの後を追っている。雉子は、はっとした。

「私も、ブギーマンハンターなんだ。」

何をぼさっとしているのだ、自分は。周りには、恐怖でうずくまっている買い物帰りの親子や上手く逃げられない老人がいる。自分は新人だが、ブギーマンハンターだ。自分が動けずにいてどうする。一人でも犠牲を減らしたい。そのために、自分は…

雉子は一つ頷くと、素早く車の後部座席のドアを開いた。そして黒の大きめのケースを取り出して、ブギーマンハンターの男の後を追った。

「待って下さい。」

恐怖で逃げ惑う人々の中から、雉子は大声で男に声をかけた。男は声に気づくと足を止めて、自分を追いかけてくる雉子を見た。雉子は息切れをしながらすぐに追いついた。

「何の用だ?人死にが出そうなんだ。早くしてくれ。」

男の鋭い三白眼が雉子を見つめた。

「私も、私も手伝います。私もブギーマンハンターです!」

「お前みたいな顔は見たことないぞ。」

「今日が初出勤なんです。見てください、ほら。」

雉子はそう言うと、スーツの内ポケットからブギーマンハンターであることを示す手帳を取り出した。そこには細かな個人情報と「一係 冬馬雉子」と記されていた。

「とうまきじこ、か」

男はそれを見て、雉子に頷いた。納得したようである。

「分かった。それじゃあ新人、付いてこい。」

「はい、せんぱ―」

「いやぁぁぁぁ!」

耳を裂くような悲鳴が聞こえた。二人は一斉にそちらに意識と視線を向けた。二人から五メートルくらい離れた場所で、若い女性がブギーマンに連れ去られようとしていた。鋭いかぎ爪に捕まえられている女性の右腕は嫌な音を立てている。男は左腕のコートとスーツを捲ると、雉子に伝えた。

「おい、新人。お前が女で、俺が奴を殺る。」

「合点承知です。」

雉子の返事を合図に二人は走り出した。雉子は人質に向かい走る途中で、スーツケースを展開し、己の獲物を取り出した。それは鮮やかな紫と漆黒に彩られたボウガンだった。小柄な雉子の体では少し大きく、持ち手には「火炎」という文字が彫られている。雉子はスーツケースを投げ捨てると、腰に巻くベルトに装着されているケースから弓を取り出し、素早くそれをボウガンにセットした。そしてスコープを覗き、ブギーマンに照準を合わせた。

言魂使い。それはブギーマンが誕生した少し後に生まれた者達である。彼らは己の精神に「言魂」と呼ばれる能力を秘めて誕生した。そして、その言魂を見つけることでその力を使用でき、ブギーマンを撃破させられる。しかしメリットばかりではない。昔の言魂使い達は己の体では直接言魂を使っていた。しかし、その者達はほとんどが早死にをした。なぜなら身体を使った言魂の使用は精神や体に重い負担がかかるからだ。言魂というのは人の精神に直結する。つまり、言魂を使うほど精神力がすりへらされるのだ。そこで人々が考えだしたのが、武器に言魂を彫り、精神を集中させ、言魂を使う方法だった。これにより言魂使いの犠牲は大きく減り、今日までその戦法が使われてきた。

「そこから動かないでよ。」

雉子は一つ深呼吸をすると、ボウガンの引き金を引いた。

「言魂・火炎!」

そう叫ぶと同時にボウガンの矢が引きはなたれ、その先端に赤い炎が灯された。空中を一直線に飛ぶ矢は、逃げ惑う人々の視線を集めた。矢は僅かに火花を周りに散らすとブギーマンの胸元に刺さった。ブギーマンは炎の熱さに悲鳴を上げ、女性を離した。その隙に雉子は女性に駆け寄り、肩を貸してその場を離れた。そして、近くの車の陰で腰を下して、女性の容態を見た。幸いにも右腕からの出血以外はどこも無事そうだった。雉子は、ほっと胸をなでおろした。

「腕の出血以外は、大丈夫そうですね。」

「はい、ありがとうございます。」

女性は恐怖のせいか腰を抜かしていて、目の焦点が合っていなかった。するとその時、雉子の先輩のハンターが急いで傍を駆け抜けた。

「でかした、新人。」

そう言うと男は今にも炎に包まれ、逃げ出そうとしているブギーマンに一目散に駆け寄った。

「逃がしてやるかよ。」

男はその場でジャンプをすると、左腕をブギーマンに振りかざした。雉子は男の左腕をよく見た。なんとそれは生身ではなく、金属製の義手だった。その義手には目立つように「衝撃」と彫られていた。男はブギーマンを睨み付けると、叫んだ。

「言魂・衝撃!!」

その瞬間、義手から周りに衝撃波のようなものが飛び出た。雉子は咄嗟に女性を庇ってその波に耐えた。男は、義手からでる衝撃波を力一杯ブギーマンに叩き付けた。するとブギーマンの体はまるでスイカが割れるように砕け散った。血や内臓が辺りに飛び散り、雉子は思わずうげっとした。男は上手く着地すると雉子に声をかけた。

「このぐらいでへこたれんなよ。」

雉子はその言葉にムッとした。

「へこたれてなんていません!まだ新人なだけです。」

「じゃあ、早く新人を抜け出せるように精進しろ。ほら。」

男は雉子に向かって手を差し伸べた。雉子は、先輩の厚意を大人しく受け取り、その手を取って立ち上がった。周辺では人々が落ち着きを取り戻し、誰かが呼んだのかパトカーのサイレンが聞こえた。雉子はひとまず安心して、男の方を見た。男はいつの間にか煙草を取り出して点火していた。

「先輩、名前はなんていうんですか?。」

「あ?」

雉子は、これから共に働くであろう人間の名前が知りたかった。男は、雉子に突然尋ねられ、ぽかんとした。

「だから、名前ですよ。ほら、早く。」

雉子は目をキラキラさせ、急かした。男はだるそうに煙草をゆっくり吐くと呟いた。

「薬師寺怜理だよ、こん畜生め。」

「畜生は余計ですよ、薬師寺さん。」

雉子は素直に答えた怜理に微笑んだ。その瞬間だった。

「コラッ!!お前ら、何してんだぁぁぁぁ!」

野太い女の怒号に二人はぎくりとした。振り向けば、そこにはパトカーを背に立っている女がいた。凄まじい怒鳴り声とは真逆で、その姿はカチューシャを付けベストを着こなしている清楚な女性だった。しかしその表情は般若である。見知らぬ人物の登場で目を丸くした雉子は怜理に聞いた。

「誰です?薬師寺さん。」

怜理は煙草を口に咥え、そっぽを向いた。その顔は酷く面倒くさそうだった。少しして怜理は、舌打ちをすると小声で言った。

「俺の、上司の実島伊代さんだ。」

「じょ、上司ですか。」

「えぇ、そうよ。」

伊代、と言われた女性はずかずか二人に歩み寄ると、それぞれの耳を引っ張った。

「いたたたたたっ、何するんですか!?」

雉子はあまりの痛みに目に涙を浮かべた。怜理も流石に顔を歪めている。伊代はそのまま耳を引っ張って歩き出した。

「決まっているでしょう?説教だよ。」

「お、お説教?私、ブギーマンちゃんとたおしましたよね?」

「御託は後にしなさい。」

伊代はそう吐き捨てると、二人をパトカーに押し込んだ。ちなみにブギーマン特専課はパトカーでの移動を義務付けられている。

「もう、どういうことよ!」

雉子は痛む耳を押さえて嘆いた。一方、怜理の方は煙草を片手に死んだ目をしていた。そして一言、独り言を紡いだ。

「あー、めんど。」


























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