彼はライバル

きざしよしと

彼はライバル

 ぎらり、と黒く沈んだ虚ろな一つ目。

 自分よりもはるかに小さくて、薄くて、四角いあいつは、ぴかっと光ってけたたましく鳴いては、ご主人の興味を浚っていく。なんて姑息な、四六時中ご主人と一緒にいるってだけで、それはもう妬ましいことこの上ないのに。

 そんな、ご主人を愛してやまないテツのライバルは、『すまぁとふぉん』というらしい。


「おかしい」

 不満げな声を上げてテツは床に伏せっていた。たしたし、と床を叩くかぎしっぽが彼の苛立ちを表している。

 テツはこの丸井家の飼い猫であった。かぎしっぽがチャーミングな茶トラの若い雄。少し子どもっぽいところがあるが、飼い主であるヨツバの事が大好きな、素直な猫である。

 彼の不満はもっともなところだった。学校から帰って来たヨツバが、テツをひと撫でする間もなく『すまぁとふぉん』を構い倒しているからだ。

「馬鹿ね、張り合うだけ無駄だっていつも言ってるじゃない」

 つんと澄まし顔でテツを宥めるのは、同居猫のシキだ。耳の大きな真っ黒い猫で、とても賢く手先が器用な女の子。テツは先住猫でもある彼女のことが大好きだった。

「人間はあれを持つと触らずにはいられなくなるのよ。他のことをしていても、気がつけば手の中にあるの」

「妖怪の類じゃないか」

 にゃあにゃあ、抗議するような声をあげるテツは、恨めしげに『すまぁとふぉん』を見た。奴は今、今に寝転がったヨツバの指に弄ばれて、奇妙な音階を伴う鳴き声を発している。規則的に指を動かすヨツバの目は恐ろしく真剣だ。

「あいつご主人の懐に棲んでるんだぞ。寝るときも枕元にいるし!」

「あら、テツはご主人の懐に住みたいの?」

「あたりまえだろ!」

 力強い肯定にシキは若干身を引いた。

 シキは生まれたときから人間の家にいたのだが、どちらかというとあまり干渉されたくない性質だ。逆に元野良であるテツの方が構われたがりであったりする。シキとテツはそういう所も正反対だった。

「よう、お前ら。何してんだ?」

 縁側の下から声がかかった。ぴこぴこと揺れる白い耳には見覚えがある。彼は滑らかな動作で、音を伴わずに縁側に上がり込んできた。

 雪のように真っ白な猫だ。少し薄汚れてはいるが、その容姿は鋭い野生の美貌を称えている。苺ジャムを溶かしたような真っ赤な目が、テツとシキを見てニンマリと細められていた。

「ザジ!」

「お久しぶりですね」

 ザジは2匹の知り合い猫である。定まった住居を持たない旅から旅への流浪猫。テツが小さな頃一緒に暮らしていたこともあって、彼が飼い猫になった後もこうして様子を見に来てくれるのだ。

「今回は長かったですね」

「オオ、2つ隣の町までちょっとな」

 明朗に応えてから、「で、何を見てたんだよ」とテツの視線の先を追う。

「なんだァ? お前ンとこの人間じゃねぇか」

「テツが見てるのはご主人の持ってる板の方よ」

「板ァ? ああ、あれか」

「『すまぁとふぉん』って言うんだ。いけすかない奴だよ」

「ふぅん」

 毛を逆立てるテツに、ザジは珍しいこともあるものだと目を見張る。テツは幼い頃に病院で手術をされてから、めっきり怒ることがなくなっていたからだ。

「そういや、人間はみんな似たようなの連れて歩いてるよな」

「人間は皆、彼の事が好きなのね」

「僕の方が可愛いのに?」

 真顔で言いきったテツに、シキは「それはそうだけど」と同意を示したが、ザジは「そ、れは人によるんじゃねぇか」と言葉を濁した。

「ザジは僕が可愛くないって言うの!?」

 信頼している兄貴分の言葉に悲壮な声を出すテツに、ザジは面倒くさそうに顔をしかめる。『すまぁとふぉん』への嫉妬心からすっかりヒステリックになっているようだ。

「あーはいはい。可愛い可愛い」

「もっと心を込めて言って!」

「可愛い奴だよなぁ! 俺様の弟分はよォ!」

 ぐりぐりと耳の後ろを擦り付け合いながら宥めれば、テツの機嫌もだいぶ良くなってきた。『すまぁとふぉん』と同じ空間にいると精神衛生上良くないので、下町への散歩にでも誘おうかと考えていた時、ヨツバが『すまぁとふぉん』を置いて立ち上がった。

 何処へ行くのかはわからないが、座卓の上に置いてきぼりにされた『すまぁとふぉん』を見て、3匹は顔を見合わせる。

 興味を引かれるままにとっとこと縁側から和室へと侵入する。年中泥塗れのザジは高級そうな畳の上に足形のスタンプをいくつも残したが、野良には人間の事情など知ったことではないのだ。

「これが『すまぁとふぉん』……」

 テツの宿敵を3匹で取り囲むようにして座卓に乗り込む。目の前の薄い板は、黒い面を上にしてむっつりと黙り込んでいる。

「思ったより無口な奴だな」

「ご主人が触ってる時は結構おしゃべりだよ。何言ってるかわかんないけど」

「そりゃあ猫じゃねぇからなぁ」

 ちょん、とザジの前足が奴を軽く小突いたが、剛胆なのか怯えているのか、うんともすんとも言わない。

「硬いな、でもちょっと暖かい」

「何処が口なんでしょう? 物を食べているところを見たことがないのですが」

「そういえば、口がないのに鳴き声はするんだね……やっぱりおばけなのかな」

 ぶるぶると震えるテツを「敵前で弱みをみせるんじゃねぇ」とザジが一括する。

「どうにか叩き起こしてひと勝負しねぇとな」

 ペロリとしたなめずりするザジは、孤高の野良に相応しい獰猛さを滲ませた目をしている。元来、猫は争いを好まない生き物であるのだが、ザジは他の猫達に比べると些か好戦的だ。こういうところが、彼が特定の集団に属せない理由の1つでもある。


 ―――ピロン


「にゃっ!?」

 突如、今まで沈黙を貫いていた『すまぁとふぉん』が声をあげた。ぱっと、黒かった面に色がつき、四角い模様が出たり消えたりする。

 飛び上がった3匹は咄嗟に距離をとって、背を丸く、尻尾は立たせて奴を警戒する。


 ―――ピロン、ピロン、ピロン


 断続的に声を出しているが、彼の言葉を猫達は理解することはできない。実際言葉などではないのだが、ザジは突如反逆してきた彼の言葉を、喧嘩をしかけられたのだと判断した。

「うるせぇ! 去ねや鉄面皮野郎!」

 ある意味的をいた言葉と共に繰り出された渾身の猫パンチ。普通の猫よりも幾分か強力な右フックをきめられた『すまぁとふぉん』は、するすると座卓の上を滑っていき、ぽーんと縁側の向こうに飛んでった。

 がちゃん、と何かが割れる音がする。

「フン、雑魚め」

 上がってこない敵を鼻で笑ったザジは、後ろから人間の気配が近づいてくるのに気がついて耳をそばだてる。遭遇しないように、とひらりと縁側を飛び越えて庭に降り立ったザジに、テツとシキも続く。

「俺ァ散歩に出るが、お前らどうする?」

「もちろん、一緒に行くわ」

「久しぶりに猫集会にでようよ。みんながどうしてるか気になるし」

 敵を討ち滅ぼした事で高揚した3匹は、にゃあにゃあとおしゃべりしながら庭をするすると抜け出していく。

 残された泥だらけの畳と、壊れたスマートフォンを見た少女の叫びが響くのはこれから5分後の出来事であった。

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彼はライバル きざしよしと @ha2kizashi

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