人間ナビゲーション

青キング(Aoking)

人間ナビゲーション

 テレビカメラと取材陣が詰めかけた会見の場で、白衣を着た苫米地博士は年輪の皺を刻まれた顔を神妙にしてスタンドマイクに口を近づけた。


「えー、只今から先日完成した発明品の披露宴を行う」


 会見場の傍から発明品の置かれた台車がスライドしてきて取材陣の前に現れる。

 苫米地博士は台車から件の発明品を手に取る。

 その発明品は手のひらサイズに納まる一見何の変哲もないスマートフォンだ。


「ええ、これがわしが今回発明・製作した最新型スマートフォン、ナビドロイドです」


 博士が公表すると、取材陣のカメラがフラッシュが瞬く。


「ナビドロイドは従来のスマートフォンの機能はもちろん、これまでになかった機能が備わっております」


 取材陣の一人が挙手してから質問する。


「苫米地博士。これまでになかった機能とはどんなものでしょうか?」

「それを今から紹介するところじゃ。よくよく聞いておきたまえ」


 人の上から口を利くように言ってから、手にしているスマホを人差し指でタップした。

 スマホに既存の物とさして違いのないホーム画面が現れる。


「画面はそのものは今までの物から対して変わっておらん。少しばかり指を触れた際に滑らかさが良くなっただけじゃ」

「博士。今までにない機能とは?」


 取材陣がせかすと、スマホを持っていない側の手で博士は宥めるように上下に振る。


「まあ、そう急ぐでない。別に隠したりせんから」


 取材陣は口をつぐみ、博士の次の言葉を待つことにした。

 博士は説明を再開する。


「従来のスマホには口頭での質問に答えてくれる機能があった。しかし答えてくれるのはネットの検索で辿りつける範囲だけであった。そして今回のナビドロイドにはその機能を遥かに上回る応答機能を新たに備えた」

「従来のスマホを上回る機能は、具体的に何をしてくれるのですか?」

「よくぞ聞いてくれた。今からその機能を披露したいと思う」


 博士はそう告げると、おもむろにスマホを口へ近づけた。

 取材陣は固唾を飲んで見守る。


「navi、これからわしは何をすればいい?」


 博士の問いかけの後、スマホから軽快な電子音が鳴った。


「会見で私のことを存分に披露すればいいです」


 スマホの電子音声の答えに、取材陣が未知に遭遇したように騒めいた。

 博士がしてやったりのニヤケ面を取材陣に向ける。


「ナビドロイドはわしの行動を誘導してくれるのじゃ。すごいじゃろ」


 困惑の消えならない空気のまま取材陣の一人が挙手する。

 博士は機嫌よく質問を促すように手を突き出した。


「苫米地博士。行動をしてくれると言いましたが、質問の制限はあるのでしょうか?」

「それは無論、制限はある。

「どんな制限ですか?」


 どうせあれやこれや制約が多に違いない、と思いながら、取材陣の一人は聞き返した。

 博士がニヤケ面のままで答える。


「制限があるとはいえナビドロイドの方ではない」

「……どういうことでしょう?」

「制限があるのは人間の方じゃ」


 博士の答えに取材陣は理解に困って、訊き合うように隣同士で顔を見つめ合う。

 要領を得ない取材陣に対し、博士は優しい顔つきになった。


「比喩をあげて簡単に説明する。例えばわしが川を隔てた対岸に行きたいとしよう。そこでナビドロイドにわしはどうすればいい、と尋ねると、ナビドロイドは周りで船を探しましょうと答える。しかし質問者がわしではなく水泳選手だった場合、ナビドロイドは極力薄着になって泳いで渡りましょう、と答える。つまりナビドロイドは質問者の能力に応じて最適な指示を出してくれるのだ」


 博士の比喩を使った説明に、取材陣はあまりの衝撃に呆然と博士とスマホを交互に眺めた。

 常識を超えた発明品を前にして一種の恐怖さえ覚えた取材陣の一人が、おずおずと手を挙げてから博士に問いを発した。


「苫米地博士。ナビドロイドは一体どのように質問者の能力を分析しているのでしょうか?」

「それはごくごく簡単な理屈じゃ」


 博士は笑いを交えながら言い、スマホの上の縁を指さして取材陣に向ける。


「この丸いカメラのような物があるじゃろ。ここから電波を発して人間の脳波を読み取り、状況を分析して行動を誘導してくれるのだ」


 脳波を読み取る、という語句に取材陣が飢饉でも起きたみたいに顔色を悪くした。

 とはいえ、一部は技術革新だと言わんばかりに生き生きと目を輝かせた者もいたが。

 苫米地博士の発明したナビドロイドは一躍世間の注目と関心を集め、一年後の全世界同時発売を新時代の幕開けのごとく待ち望んだ。




 博士の会見から十一年、ナビドロイドの発売から十年。

 世界は一変した。


「ナビ、わしは何をすればいいかの?」


 ナビドロイド発明者の苫米地博士はリビングに突っ立ち、マイクロフォン型になったナビドロイドに問いかけた。


「栄養補給のために昼食を摂ってください」

「何を食べればいいのか?」

「冷蔵庫にあるもので構いません。私が誘導しますので指示通りにすれば美味しく健康的な食事を提供できます」


 博士は満足げに頷いた。


「まずキッチンへ行ってください」


 博士はキッチンに向かう。


「冷蔵庫を開けてください」


 博士は冷蔵庫を開ける。


「ニンジンとジャガイモと玉ねぎと豚肉を出してください」


 博士は指示された具材を取り出す。


「カレーを作りますので、鍋を用意してください」


 博士はキッチン下の棚から鍋を取り出した。

 もはや博士はナビドロイドの指示なしでは何もできない人間になってしまっていた。



 では、世間の人々はどうであろうか。

 あらゆる店ではナビドロイドの指示で店員が働き、ナビドロイドの指示で客が買い物をしている。

 道行く人はナビドロイドの指示で行き先を決めて行動している。

 ナビドロイドを販売する携帯ショップでも、ナビドロイドの指示でナビドロイドしか売っていない。


 人類はナビドロイドの手足となり、世界はナビドロイドに支配されたのである。

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