恋の果てに残ったものは。
高野ザンク
アプリとスイーツ
スマホというものに必要性を感じなかった。
興味はあるし、買ったらハマるのだろうけれど、正直そこにお金をかけるほどの思いも余裕もなかったのだ。
まだ20代の私がガラケー持ちなのは珍しく、よくそれをからかわれたりしたが、「父の形見なんです」というとみんな二の句が継げなくなって面倒がなくて便利だった。いや、もちろん父は健在。正確に言えば“失踪中”なのでおそらくという注釈つきではあるけれど。
でも、ついに私もスマホに買い替える時が来た。二ノ宮さんに恋をしたからだ。
二ノ宮さんはバイト先の洋菓子店に勤める菓子職人で、年齢はひとつしか違わないのに頼りがいのある先輩だった。独創的なアイディアの持ち主で、オリジナルのスイーツを考案しては試験的に店頭に出していた。独創的すぎるせいか、ヒットするのは1割ぐらいだったけれど、それでもチェーン店に押されて売り上げの厳しい個人経営の店の売りにはなっていたようで、店長も彼の好きに任せていたところがある。
私のバイト2日目に、初対面の二ノ宮さんは休憩中にスマホをいじっていた。ふと目に入った画面には、淡い色の集まりがグラデーションとなって抽象画のようなものが映し出されていた。
「なんですか、それ」
興味本位で私は訊いた。
「ああ、これ?綺麗でしょ。『メンタリングカラー』っていうアプリなんだよ」
アプリというものがまだよくわかっていなかった私は、目を点にして次の言葉を待った。
「これはもうだいぶいじっちゃってるんだけど、本当は真っ白なキャンバスから始めるんだよ。試しにやってみると……」
そういって二ノ宮さんが画面を操作すると画面は一転真っ白くなった。
「ほら、この真ん中あたり触ってみて」
言われるがままにキャンバスの中心あたりを指で触れると、そこだけほんのり黄色くなった。
「これが今の君の心の色ってわけ。他のところも色々触ってみて」
二ノ宮さんからスマホを手渡された私は、恐る恐るキャンバスの白地のところを触ってみる。オレンジ、ピンク、青……、場所と触れる指によって表示される色が違うのが面白い。青色が表れた部分が中心の黄色いところに触れると、つなぎ目が黄緑色になる。そうやってたくさんキャンバスに触れると、さっき二ノ宮さんが見ていたような画面になるんだと私は理解した。
「超面白いし、綺麗ですね。これがアタシの色ってこと?」
「そういうこと!まあ本当は指先の温度とか触れる面積で計算されてるんだろうけど。それもその人の個性だし、1日ごとリセットされちゃうから毎日新しい自分のキャンバスが作れるんだ。それにね……」
二ノ宮さんが私の手からスマホを取ると、自分の指でキャンバスの中心に指で触れた。すると中心の黄色が一瞬紫がかって黄土色に変わる。
「こうやって色が変わると、誰かの心に触れたみたいに感じない?」
そう言って笑顔を向ける二ノ宮さんに私はたちまち恋に落ちたのだ。
私はまだ彼に自己紹介していないことに気づいて、松島佳奈という自分の名前を名乗り、彼が二ノ宮渡さんだと知った。
「佳奈ちゃんも、このアプリ入れてよ」
「いや、アタシ、その、まだガラケーなんすよね」
「えー、そうなの?個性的だね。でもそんな佳奈ちゃんのキャンバス見てみたいし、触れてみたいな」
もう、その言葉がキラーワードだった。
次の休みに、私はさっそくスマホを手に入れて、『メンタリングカラー』をインストールした。
二ノ宮さんとはバイトのシフトはそんなに合わなかったけれど、顔を合わせるとお互いのキャンバスを見せあったり、時には二人で一つのキャンバスを作ったりもした。そのうち「実はこのアプリ、俺の友達が作ったんだよねー」と自慢気に言われた。あまり話題にならないこのアプリを、なぜ二ノ宮さんがやっていたか合点がいったけれど、そのおかげで私たちの距離が縮まったのだと思うと感謝すらした。
先輩の明美さんが熱を出したから夕方からバイトに入ってくれないかと連絡が来たときも、シフトが二ノ宮さんと一緒だとわかると、用事をキャンセルして駆けつけた。
そういう私の態度はわかりやすかったから、二ノ宮さんへの想いはダダ漏れだったんだと思う。昔からそうだった。元カレにも「最初から好きなのわかってた」と言われたし、その前カレもそうだった。その態度は実れば救われるけれど、実らないと少し痛い。
今回は実らないパターン。
ある日、バイト仲間の六花ちゃんから釘をさされた。
「一応言っておくけど、二ノ宮さんは明美さんと付き合ってるからね」
寝耳に水だった。いや思い返せば、そんな節がないこともなかった。というか、二ノ宮さんの明美さんに対する態度はどう考えても恋人に対するものだった。対する私への態度は……そうだな、妹感覚かな。血の繋がりはないんだから、妹みたいな恋愛対象は成立するんじゃないかなと思っていたけど、人生はスイーツのように甘くはない。
それを知ってからも、私は二ノ宮さんと距離を取ったりはしなかったけれど、明美さんがいる時はなんとなく落ち着かなかった。やましい気もなければ、奪ってやろうなんて気概もなかった。単純に二ノ宮さんといる時間は楽しかった。でも「彼女のものなんだ」と思うとやっぱり悔しかった。
バイトのシフトが減って、二ノ宮さんともあまり会わなくなってきた頃、明美さんがバイトを辞めた。二ノ宮さんと別れたからという説と、結婚の準備ではないか、という説が仲間うちに広まった。事情通の六花ちゃんに真相を訊くと「ごぶごぶね」と言っていた。ごぶごぶって「何が?」と思う。
その日は二ノ宮さんと久しぶりにシフトが合い、しかも遅番は二人きりだった。
「佳奈ちゃん、まだあのアプリやってる?」
照明を落とした店内で、二ノ宮さんが店じまいをしながら訊ねる。
「ああ、毎日じゃないですけど、占いみたいな感覚でたまに……」
「俺もー。やっぱり飽きちゃうっていうのはさ、なんか原因があるんだろうね。一般受けしないような」
そう言って大きく溜息をつく。
「俺のスイーツみたいだよな」
そう呟いた独り言はあまりに大きくて嫌でも私の耳に入った。
「そんなことないですよ。二ノ宮さんのスイーツ、面白いし、独創的だし、なにより美味しいもん!そりゃ、たまに理解できないほど、ぶっとんでたりしますけど」
「ぶっとんでるかー。佳奈ちゃんあいかわらず面白いな」
そう言って笑った顔は、なんだか寂しそうに見えた。
「俺、ここ辞めるわ」
そう告白された時、私は別段驚きはしなかった。なんとなくそれはわかっていたし、決められていたことのように思えたのだ。
「あのアプリ、実は俺が考えたんだよね。友達にアイディア言ってつくってもらったの。だからあんまり流行らなかった」
それも私にはわかっていた。
「でも、佳奈ちゃんがあんなに食いついてくれて嬉しかったんだよ。理解者を見つけた!って感じで」
あのアプリも、二ノ宮さんの作る新作スイーツもなんとなく同じ発想から来ている気はしていた。どういうアプローチで人と関わればいいのか、悩んでもがいてたどり着いた答え。そういうつくり手の内面が私には汲み取れていた。
「アタシはあのアプリも、新作スイーツも……二ノ宮さんも好きでした」
自然と口から出たセリフ。清々しさと恥ずかしさと寂しさで泣きそうになる。それが過去形で出てしまったことにも。
「知ってた。それに、ありがとう」
二ノ宮さんの顔は暗がりでははっきりしなかったけれど、今まで見た中で一番素敵な顔をしていたのだろうと勝手に思っている。
「今度新しいスイーツ作ったら、一番先に試食をさせてあげるよ」
それが二ノ宮さんの最後の言葉だった。
その後、二ノ宮さんは独立してお菓子屋さんを開いたらしい。洋菓子でも和菓子でもスイーツならなんでも、という彼らしい店だと聞いた。明美さんと一緒なのかはわからない。
この恋の果てに、私の手元にはスマホが残った。
そして今もたまに『メンタリングカラー』を立ち上げてみている。
恋の果てに残ったものは。 高野ザンク @zanqtakano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます