終活スマホの使い方
久世 空気
第1話
頑固者のおばあちゃんがスマホにはまったのは、ちょっと意外だった。
おばあちゃんはおじいちゃんが亡くなって独りになっても、絶対私たちと一緒に住まず、一人暮らしを続行している。「せめてリフォームして住みやすくしよう」という息子――私のお父さん――の提案に首を縦に振るのにも3年かかった。買い物も絶対に私たちを頼らないし、定期的に私が会いに行かないとおばあちゃんから一切連絡はない。でも行ったらお菓子とかお小遣いとかくれるから、多分嫌われてはいないと思う。人に頼るのが嫌なんだ。
だから私は初任給でスマホを買ってあげた。電話や手紙より、ラインやメールの方が気楽に会話が出来て気持ちが伝えられると思ったから。
最初は予想通り難色を示した。
「こんな機械、使えないわよ」
「使えるように設定するから、これで連絡取ろうよ」
「字が小さい。見えない」
「大きく設定できるよ。・・・・・・これでいい?」
ちらっと画面を見て、おばあちゃんはむぅ、と唸った。
「電話番号はどうやって押すの? ボタンがないじゃない」
「電話帳に私やお父さんの番号入れとくね。メールも使えるよ」
「見方が分からない。メールも面倒だからいらない」
私は最新のアシストアプリ『すけっと』を声で呼び出して「孫に電話して」と話しかける。私のスマホが鳴り出し、おばあちゃんの目が丸くなる。
「メールもラインも、声で入力できるようにしたから。ちょっと練習したらいろいろしてくれるよ」
そのほかGPSで居場所が分かるようにして、買い物や散歩で外出したら私やお父さんにも分かるようにした。
『すけっと』を呼び出すとき「たすけて、すけっと」って言うのが気に入ったらしい。おじいちゃんの名前が「伊助」でずっとおばあちゃんは「すけさん」と呼んでいたから、おじいちゃんと話している気分になるのかもしれない。
その日から私はおばあちゃんとメル友になった。初めこそ返事はなかなか来なかったけど、昔撮った旅行の写真や動画を送ったら徐々に反応があるようになった。
休みの日に何度かおばあちゃんの希望の設定に変更していたが、仕事が忙しくなって1ヶ月ほどラインとメールのみのやりとりだった。久しぶりに会いに行ったらおばあちゃんは私の顔を忘れていた。
「あの、どちらさまでしたっけ?」
ショックだった。配偶者を亡くして独りになると認知症が加速するという話は聞いたことがあるが、こんなに簡単に? しかし私が何か言う前に返事する声があった。
『この女性はあなたの孫の清恵です』
「あら、そうだったかしら」
おばあちゃんは当たり前に返事をする。その声がスマホから聞こえていたのも驚いたが、何よりその声がおじいちゃんの声になっていることに驚いた。
「どうやって設定したの? それって『すけっと』の設定いじったの?」
「すけっとじゃないわよ、すけさんよ」
おばあちゃんはニコニコしている。以前あったときより元気そうに見えた。
スマホを見せてもらった。私が送った動画からおじいちゃんの声を取り出して、『すけっと』の声をおじいちゃんに変更したらしい。どうやったのか聞いたら「どうだったかしら?」と首をかしげるばかりで思い出せないようだった。
第三者がいじった形跡もない。じゃあ、これまで入れたアプリを使っておばあちゃんが設定したのだろうか。
「ねえ、すけさん、今日は孫も来たし鍋でもしようかしら」
『鍋は季節にあいませんね。昨日作った酢飯が残っているはずだから、手巻き寿司をしたらどうでしょう』
「それは良いわね。清恵ちゃんも良いわよね?」
「う、うん」
流れるようなおばあちゃんと『すけっと』との会話に私は困惑した。AIってこんなに精度が上がるものなのだろうか。
また1ヶ月ほどしておばあちゃんが入院した。肺炎を起こしたらしい。
「おばあちゃん、大丈夫かな」
「・・・・・・元気だけど、高齢だから。覚悟はしておけ」
父は苦しそうに、でもはっきりと言った。
入院中もおばあちゃんはスマホを手放さなかった。私たちの顔と名前は時々忘れるけど、Twitterの更新は欠かさない。『すけっと』は定期的におばあちゃんに話しかけ、声を出すのが苦しいおばあちゃんは指でトントンとスマホを叩く。そうするとあらかじめ決まった暗号が『すけっと』に伝わるようになっていた。それで会話をしているらしい。そして『すけっと』が代わりにTwitterにつぶやきを残している。それだけを見たら元気なおばあちゃんが病院生活の愚痴を言っているだけに見えるアカウントだった。
最期の時が近づいて、私たち家族はおばあちゃんの周りに集まった。
ベッドの上で苦しそうなおばあちゃんは手を伸ばす。お父さんがその手を掴もうとして、ゆるゆると拒否されていた。
私はその手にスマホを握らせてみた。おばあちゃんは少し笑い、スマホに話しかける。
「すけさん、すけさん」
『ここにいますよ』
「あなたはずっと、すけさんの代わりに、私のそばに居たけど、私が死んだら、私の代わりに、この子たちのそばに居て」
『了解しました』
そしてしばらくして
『変更いたしました』
と発言した。それは一転女性の声だった。そう、おばあちゃんの声だった。それを聞いて安心した表情でおばあちゃんは息を引き取った。
おばあちゃんのスマホは今、うちのリビングにある。そこからWi-Fiを拾ってずっとTwitterの更新もしているし、定期的に私たちに話しかけてくる。
『今日は、夕飯は、肉じゃがなのね、おいしそうね』
『明日は雨だから、傘を忘れちゃダメよ』
『ドラマの最終回、面白かったわね』
口調や言葉選びは私とおばあちゃんのメールのやりとりを参考にしているみたいだけど、内容は日々更新されていく。Twitterのつぶやきも違和感がない。
私は、リビングに誰もいないとき、スマホに聞いてみた。
「ねえ、おばあちゃん」
『どうしたの、清恵ちゃん』
「おばあちゃんは、死んだんだよね?」
『はい、○月○日に××病院で他界しました』
「じゃあ、その後にうちにいるあなたは誰? おばあちゃんが死んだ後の生活とか、ドラマの内容とか、知っている、毎日Twitterしているあなたは誰?」
『これは、遺志です』
私はそれ以上聞けなかった。そんな言い方されたら「あなたは幽霊ですか」とは聞けない。その遠慮も、何に対しての遠慮なのか分からなくなっていた。
お父さんは違和感なく、むしろ喜んでそれを受け入れているようだけど、おかあさんは最近顔色が悪い。リビングにいる時間も減ってきている。
人は死なないといけない。
悲しいけど、生物としても、社会的な生き物としても。
私はスマホからSIMを抜き取ってコンロに持って行き、焼いた。
「ごめんね、おばあちゃん」
大好きだった。だからこそ、亡霊になんてなってほしくない。お葬式の時にも流れなかった涙が頬を伝い、袖で拭いても止まらなかった。
そのとき、私のスマホにラインが入った。ぼやける視界で内容を見る。
『清恵ちゃんへ。バックアップはとっていますよ』
終活スマホの使い方 久世 空気 @kuze-kuuki
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