ある少女へ 第2部 (連載2)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

第2話


               【1】


 懐かしい人から電話があった。五年前、ぼくがアマチュアでオリジナル曲を歌っていた頃、そのミニコンサートの会場となるレストラン『モンテ』を貸してくれていたオーナーの大和田さんだ。

「コウショウ。久しぶりだね。今、どうしてる」

「元気にやってますよ。歌はやってませんけどね。でも、そんなことよりどうしたんですか。急に」

 懐かしさと嬉しさが混じり合って、ぼくの声はトーンが高くなる。

 そうしてぼくと大和田さんがしばしお互いの近況報告で会話をはずませたあと、大和田さんが本題を切り出した。

「ところでコウショウ。おまえたちのミニコンサートにいつも来ていたオケアットっっていう女の子、覚えているか。当時女子高生だったと思う。ほら、いつも友だちと二人で来ていたおとなしい感じの女の子だよ」


     

               ■


 ぼくはオケアットを覚えていた。当時のミニコンサートではチェリーさんが最前列の席に座ってぼくの歌を聴いていてくれたが、オケアットは後方の席で、いつも仲良し同級生の女の子と一緒にコンサートに来てくれていた。当時のオケアットはちょっとコロコロしていていつも鼻の頭に汗を浮かばせている、そんな印象の女の子だった。

 その当時、チェリーさんはコンサートが終わるといつも出口でぼくを待っていてくれた。そのあとぼくらはファミリーレストランで食事したり、楽しいおしゃべりをして時間を過ごしたものだけれど、オケアットとはそんなアフターの記憶がない。

 ただオケアットはぼくの出番が終わるといつもステージのそばまで来て、

「良かったです。良かったです」と何度も言いながら、一緒にいる友だちと目を合わせ、うなずきあっていたことを覚えている。

 そして彼女はぼくが差し出す右手に、恥ずかしそうに自分の手を重ねる仕草が印象的だったのだ。。

 そのオケアットにぼくは以前、オリジナル曲の歌詞とコードを教えてくださいと、頼まれたことがあった。その翌月、ぼくは何曲か歌詞とコードを書いたノートを彼女に渡したのだ。オケアットはぼくのオリジナル曲の中で『タエコ』という歌が一番のお気に入りだったようで、その歌の歌詞とコードが記されたページを見て彼女は「ありがとうございます。ありがとうございます」と宝物を手に入れたかのように、嬉しそうにぼくに頭を下げるのだった。


 

               ■


「オケアット。覚えてますよ。ヘンなニックネームだったんで、覚えてます」

「で、そのオケアットが、どうしたんですか」

 ぼくが訊ねると、大和田さんが答えた。

「そのオケアットから、おまえ宛てに招待状が送られててきたんだ」

「オケアットはおまえの連絡方法知らないから、おれにハガキを送って寄こしたんだろうな」

「で、何の招待状なんですか」

 ぼくが訊ねると大和田さんは嬉しそうに答えた。

「今はOLなんだけど、趣味でフォークデュオをやってるらしい」

「そのライブがあるから、ぜひ来てください。てな内容だったぞ」

「どうだ。行くか」

 そう訊ねる大和田さんに、ぼくはふたつ返事で答えた。

「ぜひ行ってみたいです。歌もそうですし、あのときの女の子がどう変わったか。それも興味あります。懐かしいです」

 ぼくはオケアットがライブを行なう日付けとお店と住所を訊いてから、大和田さんとの電話を切った。

 そのあとのぼくの心はワクワクしながら、しばしあの日あの時の空間をさまようことになる。自分で作詞作曲した歌をミニコンサートで歌っていた、あの日あの時の頃にだ。

 そうか。あの頃女子高生だったオケアットはOLになった今でもフォークが好きで、フォークを歌っているのか。懐かしいな。会いたいな。フォークを歌ってるステージも観たいな。

 ぼくはカレンダーにその日の目印を書き込んで、久しぶりにカセットテープに録音してある自分のライブ音源を再生してみた。

 第一印象。稚拙だ。今聴くと、ちょっと恥ずかしい。




               【2】


 そのライブレストラン『ホワイト』は東武線竹ノ塚駅から5分ほど歩いた雑居ビルの地下にあった。普段はジャズ系やロック系バンドの出演がメインなのだが、その日はアコースティックバンドをフィーチャーしたプログラムになっている。

 少し照明を落とした店内には中央に20卓ほどのテーブル席が設けられ、そして壁に沿って別のテーブル席が10卓ほど並べられていた。

 ステージはフロアの一番奥まった場所にあって、そこだけ複数のスポットライトによって浮かび上がっている。

 その日は4組ほどの出演で、お目当てのオケアットは3番目の登場だった。

 デュオの名前は『オケアット&フレンズ』。やがてその二人はフォークギターを片手に、舞台上手の袖から頭を低くして登場してきた。

 その刹那、ぼくの胸は絞めつけられた。

 間違いない。今ぼくの目の前に現れたのは、当時まだ顔のどこかにあどけなさを残していたオケアットと、そしていつもオケアットと一緒にいた女の子だ。

 あの頃のオケアットはコロコロしていて、よく鼻に汗をかいていて、いつも何かに怯えているような顔をした女の子だった。

 しかし、今は違う。今、目の前に現れたのは、どこか小悪魔を連想させるコケティッシュな女性だ。そしてそれはいつもオケアットと一緒にいたその友だちもしかりだ。

 どうすればあの頃の存在感の薄かった女の子が、こうも変身できるのだろう。

 化粧のせいだろうか。女性として、円熟したせいだろうか。あるいは恋愛のせい。

 ぼくはそのときふと、みにくいアヒルの子という童話を思った。

 


               ■


 そのオケアットが、一番前のテーブル席に座っているぼくに気づいて、満面の笑みを浮かべながら手を振ってみせた。するといつも一緒だった女の子も、同じ仕草でぼくに会釈する。

 やがてオケアットたちの歌と演奏が始まった。彼女たちはは女性フォークデュオの代表作を次々に歌う。まず、ウィッシュの『六月の子守歌』、ピンクピクルスの『天使が恋を覚えたら』、シモンズの『恋人もいないのに』、そしてもとまろの『サルビア』の花』。

 オケアットとそのパートナーはこれらの楽曲を見事なハーモニーとギターでそれらをカバーする。

 やがてカバー曲が一段落してMCとなった。最初は通常の舞台挨拶から始まり、やがて話題はどうして彼女たちがフォークを歌うようになったか、という話になった。

「わたしたちは高校生の頃、よく地元北千住のレストランで開かれるミニコンサートに行ってました」

「そこでオリジナルのフォークを歌っていたのが、コウショウさんです」

「そのコウショウさんの歌でも、わたしがとりわけ好きだったオリジナル曲が『タエコ』という歌でした」

 オケアットは会場をゆっくり見まわしてから、

「今日ここに、そのコウショウさんが来てくれてます」。

 彼女はそう言って腕をぼくの方に伸ばし、観客にぼくを紹介した。ぼくが立ち上がって軽く周りに挨拶すると、客席からは、まばらな拍手が起きた。

 オケアットはそれをゆっくり見届けてから、話を続けた。

「その歌は、タエコという女性に向けたラブソングです」

 しばし沈黙があった。ちょっとした沈黙だった。観客のすべてがオケアットの次の言葉を待った。オケアットはそれを確認してから、決心したように言った。

「実はわたしの本名は、タ・エ・コなんです」

「そしてオケアットという名前は、T・A・E・K・Oというローマ字つづりを、逆から読んだものなんです」



               ■


 会場はざわめいた。そしてぼくに衝撃が走った。

 何てこった。オケアットって変な名前だとは思ってはいたが、それがタエコという名前から来ていることなんて、ちっとも気づかなかったし、だいいちぼくはオケアットの本名すら知らなかったのだ。だからまさかそれがタエコという文字のローマ字つづりを逆に読んだものであることなんて、気づくはずなんてないのだ。。そしてぼくはどうしてオケアットが『タエコ』とう歌が好きだったか、その理由さえも今まで知らなかったのだ。

 考えをまとめようと思った。どう対応しようかと考えた。けれど何もまとまりはしなかった。そうこうしているうちに『タエコ』というぼくのオリジナル楽曲のイントロが始まり、歌が始まった。



               ■



                『タエコ』



                             作詞作曲 狩野晃翔


 Dm A7 F A7

 いつも間にか 心に深く 忍び込んだ タエコ

Dm Gm F/A7 Dm

 きみの言葉や きみの仕草が すべて愛おしい

Gm Dm F A7

 これが恋だと 認めたくない 強がりをいうぼくを

Dm Gm F/A7 Dm

 けがれ知らない きみの瞳に どう映るだろう




 舌っ足らずで 甘えん坊の 幼すぎるタエコ


 きみの眼差し きみの囁き すべて愛おしい


 いつも夢見る 星の降る夜 きみとかわす愛の言葉


 永久とわに変わらぬ 愛の誓いを 今きみに告げる




 今のぼくに 誰よりも 大事な人タエコ


 このささやかな幸せに のめりこんでみたい


 いつもひとりで きみを想い きみの愛を求め


 今日もぼくは 暗い夜空に 祈りを捧ぐ




 ためらい勝ちに ぼくを見つめる 澄んだ瞳のタエコ


 言葉さえもいらないほど きみが愛おしい


 遠い昔に ぼくが夢見た 安らかな愛の世界


 重ねあわせた 手のぬくもりが 今それを満たす




              

                ■


 アレンジこそ違え、その歌はまぎれもなく、ぼくが作詞作曲した歌だった。

 その歌に、ぼくは不思議な感覚に包まれた。そしてぼくの心は、はその歌を作った当時の記憶にさまよう。

 あの頃のぼくは何に関しても夢中になれて、何に関しても熱くなることができた。けれどその何もかもが空回りばかりしていて、うまくいかなかったけれどね。



                ■


 やがて歌が終わり、彼女たちの出番も終わって、オケアットとその友だちがぼくの席まで歩いてきた。

「良かったよ。ほんとうに良かったよ」

 ぼくは立ち上がってその言葉を彼女たちに伝えたのだけれど、その瞬間ぼくは、

その言葉にデジャヴュを覚えた。

 そう。その言葉は五年前、彼女たちがぼくに伝えた言葉なのだ。

 ぼくが手を差し伸べると、二人はそれを強い力で握り返した。

 二人の目が潤んでいる。それは五年もの歳月が、今この場で現在に直結した瞬間だった。

 会いたかったんですよ。また会って、今度はわたしたちの歌を、聴いてほしかったんです。

 欣喜雀躍する彼女たちを見てぼくは、唇を嚙みしめた。あの日、あの時。ぼくはチェリーさんしか見ていなかったけれど、ぼくが歯牙にもかけなかったあの日のオケアットたちは、それでもぼくの作った歌を歌い続けていたんだ。



               ■


 しばし雑談をして再会を約束したあと、ぼくは彼女たちに別れを告げて外に出た。

 都会のビルに切り取られた夜空には、それでもわずかばかりの星がまたたいている。ぼくにはその星が、いつまでもオケアットたちを見守っている星に見えた。


 そしてぼくはその星を仰ぎながら、高校生のとき、タエコと出会った日々を思った。




                           《この物語 続きます》





 




 














 

 


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