金のスマホ 銀のスマホ
葎屋敷
いえ、格安スマホです。
登山が趣味の友人らに誘われたあの日。俺は膝をがくがく言わせながら山を登っていた。
「死ぬ」
「無理」
「俺を残して先に行け」
といった弱音を吐きながら、俺はなんとか足を前に進めた。俺が友人らのペースに食らいついていけたのは、奇跡だったと思う。
普段運動している人間とそうでない人間の性能の差を見せつけられながらも、頂上まで登りきり、友人らと絶景を見ながらおにぎりパーティを楽しんだ。
事件が起きたのはその後。下山している時だった。
なんと俺は足を滑らせ、山の斜面を転がり落ちたのである。
枝葉や岩土を巻き込みながら、俺は遥か下まで転がり落ちて行った。友人らが俺を呼ぶ声はすぐに上へと遠ざかり、俺は一人、おにぎりのように転がったのである。
俺の身体が止まった場所は山の中腹だった。背の高い木々が太陽光をほとんど遮断しているためか、まだ昼間のはずなのに辺りは薄暗い。
「い、いてぇ……」
幸い俺は死んでおらず、右足を引きずりながらではあるが、動くこともできた。
俺は近くに転がっていた自分のリュックに近づくと、そこからスマホを取り出し、画面を見る。どうやら圏外のようで、アンテナは一本立っていなかった。
「はあ……。どうすればいいんだ……」
そう呟く俺の喉はカラカラだった。飲み物を求め、俺はリュックを漁る。そこで食べ物も頂上で食べきってしまっていること、飲み物も底を突きそうであったことを思い出した。
まさに絶体絶命。そう思ったとき――、
「あれは、湖か?」
俺の視界にふと、湖が映り込んだ。足を引きずりながら近づいてみると、その湖の水はとても透き通っていた。太陽が木の葉の間隙を縫って光を湖へと届け、きらきらと波を輝かせている。
喉の渇きが限界に達していた俺は、片手に持っていたスマホを岸に置き、両手でその水を掬った。乾いた喉を潤すその水はとても美味に感じられた。まさに命の水と言える。
「ぷはぁ! 生き返る!」
なくなりかけていた気力が少しだけ回復する。
ほぼ空になっていた水筒に水を補充しながら、俺はもうひと頑張りしようと自分に言い聞かせていた。意外に友人たちが近くまで捜しに来ているかもしれない。そうでなくとも、もう少しだけ移動すればスマホの電波が入る場所に辿り着くかもしれない。
「よし、きっとあと少しだ!」
俺は水筒を鞄に入れ、己の言葉で自分を鼓舞した。気持ちが前向きになり、かすかに吹いている風が背中を押してくれているような気がする。俺は移動するため、その場を立ち上がった。
その瞬間、注意を怠ったのが悪かったのだろう。立ち上がったその瞬間、自分の手の甲に硬いものが当たった感触がした。
「あ!」
手に当たったのは、岸に置いていたスマホだった。スマホは俺の手に弾かれ、湖の中へ落ちていってしまった。
「そんな!」
スマホはあっという間に湖の奥底へ消えていった。
「連絡手段が……」
高揚していた気分が一気に落ち込む。俺は項垂れ、その場に崩れ落ちた。
――もう、俺は助からないのだろうか。このまま遭難して死ぬのだろうか。
そう思ったそのとき、湖面が大きく揺れ、湖の中央からなにかがゆっくりと浮上した。水面を割るように現れたそれに注視すると、人の頭ということがわかった。
「へ? お、女の人?」
そして湖から出てきたのは美しい女性だった。銀髪が湖面にも負けないほど眩く光っており、その髪のしなやかさに俺は思わず見惚れた。瞳を閉じ、微動だにしない彼女に戸惑いながら、俺は声をかけた。
「あ、あなたは一体何者ですか!?」
俺がその女性に向け正体を尋ねると、女性は閉じていた瞳を開ける。その瞳は青く、彼女が着ている白のドレスと対比され美しかった。
女性はじっと俺を数秒間見つめる。そしてゆっくりと口を開けた。
「汝が落としたのはこの金のスマホですか? それとも銀のスマホですか?」
「へ?」
俺はすぐに女性が俺に問うていることがわからなかった。しかし彼女の両手を見ると、そこには金に煌めくスマホと、銀に輝くスマホがあった。
「いえ、あの、どっちも落としてないです。俺が落としたのは普通の格安スマホで……。ていうか、あなた何者ですか!?」
「私は湖の精です」
「湖の精!?」
「あなたは正直な若者ですね。嘘を吐かなかった褒美として、この金のスマホをあげましょう……」
そう言うと、湖の精はスウっと湖面を滑るように移動し、瞬時に俺の目の前まで来た。その様は人間離れしていて、俺から現実感を奪っていく。
湖の精は呆然としている俺の手を取り、金のスマホを握らせた。
「金だけでできたスマートフォンです」
「うお! 近くで見るとより眩しい!」
「すべて金です。画面も金でできています」
「なんて見づらいんだ!」
手渡されたスマホは本当に金だらけだった。画面ですら金の膜に覆われたかのように輝いており、電源がついているのかどうかすらよくわからなかった。
「ちなみに純金なので、とても柔らかいです。人間の歯とかよりも全然柔らかいです。落とすとすぐに変形するので、決して落とさないでください」
「使いにくいにもほどがある! あ、これも普通のスマホと一緒で電波入ってないじゃないですか! いらないですよ!」
金のスマホの画面の左上端をよく見てみると、俺の落としたスマホと同様、アンテナは一本も立っていなかった。普通のスマホより使いにくいスマホなんて、今は正直いらない。
俺が金のスマホを返却すると、湖の精は大変驚いていた。
「まあ。なんて欲のない若者でしょう! ではこの銀のスマホをあげましょう」
そう言って湖の精は銀のスマホを渡してきた。こちらも画面が銀の膜で覆ったかのようになっており、大変見にくい。金のスマホより幾分かマシ、という程度であった。
「ちなみにそれはすべて銀でできています。銀はとてもやわらかい金属なので、落としたらすぐに変形します。ですが落とさなければ問題ありません。落とさないでください」
「これもか! だから使いにくいんですよ! 案の定これも電波入ってないし! 金も銀もいらないんです俺は! 今の俺に必要なのは救援なんです!」
「そうですか……」
銀のスマホまで返品された湖の精は若干落ち込んでいる様子だ。しかしそれに同情する余裕は今の俺にはない。
「できれば俺が落としたスマホ返してくれませんか?」
「え」
「あのスマホ、防水なんです。まあ格安な分、型は古いし、湖に落ちてるんでさすがに壊れているかもしれませんけど……。壊れてない可能性も零じゃないでしょう? 湖の精なんですよね? 湖の落ちたスマホくらい返してくださいよ」
「えーと、えーとそれは」
僕が掌を見せながら落としたスマホを要求すると、なぜか湖の精は慌てだした。言葉を詰まらせ、目線をあちこちに泳がせている。
「どうしたんですか?」
「え、いやぁ。あのスマホなんですけどぉ」
「はい」
「ちょっと、私にくれないかなぁって」
「はぁ!?」
湖の精が俺の落としたスマホを欲しがっている。あまりの展開に、俺は目玉が飛び出んばかりに驚いた。
「なんで!?」
「だって、あのスマホ私のスマホと違って見やすいし、落としてもちょっと傷がつくだけで済むし、防水だし!」
「え、もしかしてあの金と銀のスマホ、防水じゃないんですか!? そんなもん湖の精が使うなよ!」
衝撃の事実に俺は思わず声を荒げた。先程二つのスマホを受け取ったとき、あまりの画面の見づらさから俺は動作の確認をせずにすぐに返却した。そのため実際のところはわからないが、あれらのスマホが動いたかどうかは怪しい。
「だって、あれしか持ってないんだもん! 普通に使えるスマホ欲しい! SNSしたい! ここで映え写真撮りたい!」
「いや、こんな薄暗い場所で映えを気にすんなよ! ていうか、あなたのやりたいことはどうでもいいんです! スマホ返してくれないと困るんですよ! あれ、今の俺の命綱なんです!」
「えー、でもでも」
俺の命がかかっているというのに、湖の精は俺のスマホを渡そうとしない。体力の限界が近づいていた俺は、最後の手段にでた。
「あー、もう! わかりました! 救援が来て助かったら、そのスマホあげますから!」
「え、本当に!?」
「ええ、本当です! だから一瞬返してください」
「もー、仕方ないですねっ。電波入るようにしときましたから、さっさと救援呼んでくださいね!」
「電波入れられるなら、最初から入れてほしかったなぁ!」
俺のスマホが手に入るとわかった途端、湖の精は上機嫌にそのスマホを渡してきた。少々癪に障ったが、今はそれどころではない。
俺のスマホは湖の精のおかげか、防水仕様のおかげか、とりあえず使うことができた。先程とは違い、アンテナは三本立っていた。
*
救援を呼んだ俺の居場所は、スマホの位置情報から割り出されたらしい。街中かと見紛うほど、俺の位置は正確に救援部隊に伝わっていた。これも湖の精の力だろうか。
救援部隊が俺の
その後俺はスマホのデータを引継ぎできず、大変不便な思いをした。しかし命は助かったので、それだけでも儲けものだったと思う。
それに悪いことばかりではなかった。変形して役目を果たせなくなった金のスマホと銀のスマホが、いつの間にか俺のリュックに入っていたのである。結果、それを質屋でそれなりに高く売って一儲けし、純金があしらわれた高級スマホを手に入れることができた。よって、終わり良ければ総て良し、と思うことにしたのである。
あの湖の精は今でも僕の格安スマホを使っているのだろうか。もしSNSで見かけたら、フォローしてあげようと思う。
金のスマホ 銀のスマホ 葎屋敷 @Muguraya
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