煙突男
安良巻祐介
ひどく背の高い、顔色の悪い男が、僕らの街の安全広場の片すみでいつもトーテムポールによりかかってタバコを吸っており、その薄紫の煙のたちのぼる様子から、誰からともなく煙突と呼ばれていた。
朝、牛乳屋が横切る薄い靄の頃合いには、もうその場所に立っている。夜は夜で、電気提灯の饂飩屋が店を閉める頃になってもまだ、真っ暗な公園の中で蛍になっている。
時間など関係ないかのように、かれは常にそこにおり、いつだってどこか呆然としたような顔で、紫煙をうっすらと口の端っこからひとすじ立ちのぼらせている。
話しかけるものは、不思議と誰もいない。
何でも、気の遠くなるほど昔に、声をかけてみた者がいたそうだけれど、そいつは明くる朝までに煙のように消えてしまっただの、いや今のこの煙突こそがそいつで、それより前にはそこに何か別の煙突が立っていただの、勝手気ままな風説ばかりが飛び交っていた。
結局のところ、煙突はただそこにいて煙を出しているだけ、いわば永遠の風景、万人の森閑の証明なのであって、それにわざわざ関わろうとしても、何も良いことはないということらしい。
ぽつんと立つ、という言葉が、これほどふさわしい男はいない。
逆に言えば、少し離れてそっと眺めている限り、風景としては最高の仕事をすると専らの評判だ。
まさしく、あるべきものがそこにあるという安心感、風景の欠片同士がぴったりと隙間なくパズルの板に収まっている幸福感などが、しみじみと湧いてきて、だんだんと心が落ち着いてくる。ただ眺めていたくなる。きっと誰でも。そう、誰もが言う。
けれども、違う。
ああ、羨ましい。本当に羨ましい限りだ。
誰もが眺めているばかりではなかったということだ。
きっとその、大昔の誰とやらも、同じだったのではないか。そうに違いない。
だから、今度の日曜日、今度こそ、やっぱり安全広場へ出かけ、煙突に話しかけてみよう。タバコをくわえて、火をつけて。
煙突男 安良巻祐介 @aramaki88
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます