ウェアザー
庭花爾 華々
Wheather
最近、ふとホラーが見たくなった。
怖いもの見たさ、であっていると思う。
そして多分、俺には不満があったのだ。
女か、金か、名声か。
兎に角、飢えていたんだと思う。
んで、結論を言うと、
「よく分からんかった」
ガタンッ。
「傑作選を読んだんだ、そう。本屋の店頭に平積みされてた。新刊だった、ああ、文庫本だよ。アンソロジーってヤツかな、量は問題じゃなかった。何しろ8作、皆、生まれたばかりの赤ん坊でも一度は聞いたような著名人だった」
そこで、相手を伺う。
ガタンッ、今度は一回り大きい音を出したが、彼女はピクリとも反応しなかった。
「で、塾に行って開いたわけさ。いや、場所は問題じゃないんだけど。何分、静かだし、集中できてね。こう、今みたいだと良いんだけどさ。此処、団地じゃん、その時間帯は外のガキどもがうるさくってさあ」
西日が差し込み、彼女の顔に掛かる。半開きのカーテンが揺れている。彼女は嫌がる様子無く、そしてピクリとも動かない。
怒っているのだろうか。笑っているのだろうか。それとも、『男性の部屋に入るのって変な感じー。キンチョーしちゃーう。』が、過度に出ちゃってるか。
俺たちは、机を介して向かい合っている。
直線的に並ぶ、ティーの揺れが止まったのを、見て。
俺は、また、口を開いた。
「んで。結論から言うと……(ここでわざと2拍の為を置いてから)、俺にはよく分からんかった」
はははははははは。
外から、例の騒音が入ってきた。が、今回は管理人さんに告げ口するのを止めようと思った。
ユーチューバーと言えば、という笑い声のサウンドみたいで、雰囲気が出たから。
「ここ、笑うとこなんよ」
ははは。はははははは。
はは。
……。
はあ。
いい加減、諄い。明日の朝、管理人さんに寄ろうと思う。
やはり彼女は、無感情に俺を眺めているのみ、笑いはおろか、感情という感情が欠落してしまっている、そんな風な顔だった。
はて。記憶にないな。
「分からなかったのは、確かに面白かったけど、果たしてこれがホラーなのか、ってとこ。分かるかな?」
盗み見るようにして、また顔を伺った。
彼女の視線は、今は手元とのルイボスティーにシフトしていた。カフェインが含まれていない、俺から彼女なりへの、配慮のつもりだったが。
飲めるけれど呑まないのか、飲めなくて飲めないのか。
視線が俺に映ったのを確認して、俺はゆっくりと続けた。
「意地悪だったね。要は、恐くないんだよ。何か、奇をてらってるって、感じだけで。実力派だって? 普段あまり本を読まない俺でも、分かるくらい凄いよ? 洗練された文章、豊富な語彙、五感に訴えかけてくる描写」
と、ここまで言いかけて。
焦げ臭いな、と思った。
はて。ヤカンはツケえば止める習慣をつけているし、実際、止まっている。五感にどうとか慣れないことを言ったからだろうか。
これに似た匂いを、何処かで嗅いだ覚えがするが。
体感、室温も下がった。気がして、いい加減と思って続ける。
彼女は今、部屋の隅を眺めている。
「だからね、へえって、なって、終わりなんだ。それ以上も、以下もない。正体を知らされて、へえってなって。明かされない超常現象に、へえってなった。」
ましてや、明かされてるけど理解できないもの。
どうしてんな呪いが? え? けど、その人形は何処から来たん?
とかは、へえって、するしかなかった。
彼女の顔には、ふうん、のふの字もfもない。
4部屋の四つ角の、3つ目に動いていた。
「どっちかと言えば、ミステリーだったんだよ。もっとも僕が、これはもう嫌いって言ってしまうのは。ただただ世相批判になってしまってるような作品だ」
作品だ。
今、少し語尾に力が入ってしまった。
が、彼女には思う処が無いのか、何も感じないのか。相変わらず、ピクリとも動かない。
眼球だけが、変わって、壁に面した棚の上、今ふたりを隔てる机に頭一つ高いところに。笑ってる男女の写真、それにうつっていた。
気まずくなって、俺は逆に遅めて喋る。
「俺はね、ホラーって、ヒトを驚かせるためにあるのが大前提だと思ってる。それが存在意義だって。だから例えば、俺が前に読んだ『イジメハヨクアリマセン』とか、『ジョセイベッシハヤメマショウ』とか。」
『ヨルノモリハコワイデス』
『オヤノイウコトハヨクキキマショウ』
『イクナトイワレタトコロニイッテハイケマセン』
『ヨワイココロニツケコマレナイヨウニ』
「はっきり言おう、」
ここで俺は、本当に、はっきり言おうと思った。
というのも、想像以上に相手は俺に反応がないから、聞こえてないんじゃないかという、一種の恐怖が芽生え始めてきたのである。
「ぜんっぶ、どーでもいーいっ」
はっきり言ったつもりだった。
途端、何故か俺が青ざめた。本日、初めての目に見える同様だった。
「顔が青ざめるのは、恐怖を命の危険と判断した人間の生存本能が、逃げるために手足に血を集中させるから」
と。
「死に際の走馬燈は、過去の経験から現状の打開策を必死に探している」説がある。
というスイカと塩の食い合わせみたいな思考が、同時に脳裏をよぎった。
案外、元気だった。
俺は特に、2つ目のどーでも良い事について、あくまでホラーという一ジャンルについてみるとき、という注を入れたかった。
サブタイトルとしては興味深いです、と。
こういうお調子者な処が、良くない事態を招いてくる。それの抑止力になるならば、というのも、不純にも動機としてあったのかもしれない。
結果、よく分からなかったのだけれど。
効果はあった。
いや、絶大だった。
こんなことなら、喩え向こうから掴みかかられることになっても、最初からこうしとけばよかったとさえ思った。
いや未だ、命の危険があるけれど。
そのくらい、俺は自然体であると、恐怖心などサラサラないもんだと、相手に伝えることができたから。
「こわくないの?」
ガキの声じゃなかった。若い女性、蒼白な肌に双眸が隠れるほどのロングヘア。華奢な、スレンダー、お尻の大きなほくろに至るまで。
それらにピッタリな、塩とすいか以上の、破壊的美しさだった。
「……」
さあ、答えに困った。
彼女は真っ直ぐに、俺を見ている。測っているようにも、呆れられているようにも見える。少なくともギャルゲに。こんなシチュエーションは無かった。
「あ……」
ぢゅるるるるウルル。
中古で買った子機が、キッチンの方で鳴り出した。
靴が脱げ、出だし、大幅に遅れたケニアと日本のハーフの女子中学生選手が、目にも止まらぬ速さで他校の選手をごぼう抜きしていく場面。
そんな音だった。
茶リンツッ。
あわてて伏線を付け足す様な、そんな音もした。
もうここまでだ、そう言う顔をした。
こういうシーンを映画で何度か見たが、大概が真面目な事を言おうとしても届かない演出に終わった。そして、届くタイプはつまらなかった。
俺は今、核心に触れたはいけないような気がした。
大喜利のステージに立つプロの漫才師の心境に、一瞬だけなれた気すらした。
気付けば俺は、全くナンセンスな言葉を選んでいた。
「ホラーか、ミステリーか」
彼女は言う。
「ウェアザー」
流暢だった。
それは日本人が喩えどんなに本物を追求したとしても、越えられない壁の向こう側から響く、つまりは本物のネイティブだったと記憶している。
おや。
焦げ臭いにおいがした。
机に残された鍵から香っていた。
電話が響いている。彼女はその間だけ動けるとでもいうように、気が付いたら玄関の狭いスペースにいた。
真っ白いワンピースがウエディングドレスみたいだった。
彼女は振り返らなかった。
ガタンッ。
古い扉は、俺の記憶の扉まで永久に閉じてしまうような、そんなもの哀しい音を立てた。電話のコール音は止まっていた。
再生されようとしていた。
よく分からなかった。
もし、本物と出会うときも、こんな風に、有耶無耶なままに終わってしまって。多分、多くの人が気付いていないだけかもしれない。
ガタンッ。
ウェアザー 庭花爾 華々 @aoiramuniku
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