スマホの裏側をなめる

篠騎シオン

居酒屋にて

「あ、来た。けいちゃーん、聞いてよ!」


そう言いながら僕を呼ぶのは、6つ違いの幼馴染の女性。


「その様子だと、また?」


僕がたずねると、ねえちゃんはうなずきながら僕に抱きついてきた。


「うん、そうなのー。ひどいよねー」


女の子に抱きつかれて嬉しいだろうって? 

嬉しい。

でも反面、複雑だった。

それは家族へのものに近いハグなのだから。


一人っ子の僕の面倒をよく見てくれた近所のさつきねえちゃん。ねえちゃんはとても面倒見がいい人で、僕を本当の弟のように迎え入れかわいがってくれた。

彼女は昔からどこか抜けているところがあって、そういうのはいつも僕がフォローする役回りだった。おしゃべりに夢中になって焼いてたケーキ焦がしそうになったり、おつかいでしょうゆを買いにいったはずなのに他の物いっぱい買ってしょうゆを忘れそうになったり。

そういうとき、いつも僕が指摘することで難を逃れていた。

だから近所でも本当の姉弟みたいって有名で、ねえちゃんもそれを喜んで受け入れてた。彼女にとって、僕は年が離れているのにしっかりしている弟のようなもの。僕が小学校を卒業するころには僕は彼女の相談役をするようになっていった。


僕はねえちゃんを椅子に座らせ、ビールを注文する。

そして今回もなにかポカやらかしたんだろう、そう思って尋ねてみる。


「今度はなにしたの?」


過去フラれたときは恋人にしないと約束していたことを忘れた、とか、男の後輩複数人の恋愛相談に甲斐甲斐しく乗ってあげていたのを彼氏が嫉妬して、とかそんな理由だった。

さて今回は何が来るやら。


「なにもしてないよ。でも、なーんかひどいこと言われちゃってさ」


なにもしていないはたぶん、なにかをしている。

なにもしていないのにパソコンが壊れたという人のように。

そう思いながら、到着したビールを僕は早速あおった。

飲まなきゃやってられないさ。

だって彼女は僕の初恋の人で、今でも好きな人なんだもの。


僕は大学生、ねえちゃんは社会人として、実家を離れこの街に来た。お互い、たまたまここを選んだのだ。なんという偶然。それは僕からしたら運命的で、これでやっとねえちゃんと家族以上の関係になれる、と思った。期待した。

けれどそうはいかなくて、ねえちゃんとは月に一度一緒に食事をする、それだけの日々が続いた。今までと遠い距離。つらかった。

でも、転機がおとずれた。二十歳になってから、ねえちゃんにこうして飲みに誘われることが多くなった。月に一度より多い頻度だった。それは喜ばしいこと。

でも回を重ねていくにつれ、ねえちゃんの話には恋愛相談が混じるようになっていった。アルコールが入ったおかげか、今までさすがに弟に話すのも恥ずかしかったのだろう恋の話をしてくるようになったのだ。

おかげで最近の姉ちゃんの交際関係はすべて把握している。

近いけど、これは家族の距離。僕が望んだものじゃない。

ほんと毎度毎度、好きな人の恋愛相談を受ける身にもなってほしいよ。

これが飲まずにいられるかってんだ。

恋心を隠しながら僕は今日も彼女の相談に乗り、愚痴を聞く。


「なんて言われたの?」


お酒の勢いを借りながら僕は話の続きを催促する。

最後までちゃんと聞かないと、この飲み会は終わってくれない。経験上そうだ。

僕の言葉にねえちゃんはふんっと鼻をならして、カクテルを喉に流し込んだ。

カクテルは甘くてたくさん飲んで酔っちゃうからこういうときは飲まないんじゃなかったの。

ねえちゃんはいつも以上に荒れていた。

それだけ相手に対して本気だったのかもしれないと思うと、僕の酒も比例して進んだ。


「あのねぇ。お前と付き合ってるのってスマホの裏側をなめるくらい嫌だって言ったのよ? どういう比喩なのよソレ」


「ええ……」


後半には同感だが、奇妙な言い方だ。

僕はそれになにか引っかかりを覚えて、考え込んでしまう。

ねえちゃんの愚痴は僕の反応がなくてもフルスロットルで続いていく。


スマホの裏側をなめるくらい嫌ってどういうことだ。

そもそも、スマホをなめるのって嫌か? 

自問してすぐに首を振る。

嫌だな。スマホの表面はトイレの便器よりも汚いとかいう話が盛り上がったこともあったし。

でもスマホの裏側ってなんだ。表側よりは幾分かマシ? でもそれを別れるときに言うかな。

そもそもなんで別れるときになめるなんて話になる。

そこに何か意味があるのか……?


ふっと思考が行き詰ってねえちゃんの方を見ると、すでに机に突っ伏していびきをたてていた。

見ると空のグラスが何杯も並んでいる。

ああ珍しく僕が一緒にいるのに、ねえちゃんのポカを止められなかった。

どうも僕もこの状況にストレスが溜まっているのかもしれない、と思って自分の横を見ると、そこにも想像以上のジョッキが並んでいて驚いたのだった。




「ねえちゃん、ほらもうすぐ家だからちゃんとして!」


ポカを指摘するのも、しりぬぐいをするのも、僕の仕事だ。

何度ゆすってもしっかりしないねえちゃんを、僕はしょうがなく家まで送ることにした。


「う、ううーん……」


家の近くで再度起こそうとするが、やっぱりしっかりしないねえちゃん。

口から洩れる声が色っぽいのが心臓に悪い。

僕は家族としての気持ちをしっかり持って、彼女を支えなおしバッグの中を探してカギを見つけ出した。


「お邪魔します……」


おずおずと家の中に入る。

夜道を歩いてきたおかげで暗闇には慣れていた僕は、ワンルームの部屋の中にベッドを発見する。

そのままねえちゃんをベッドまで運び、勢いよく転がした。

服が少しはだけ、彼女がうなる声が聞こえる。


「ふぅー」


疲れと、心の平穏のための長い溜息。

そのまま帰ろうかとも思ったが、ねえちゃんのカバンを置く場所に迷い結局電気をつけることにした。

これが間違いだった。


「なに、これ……」


あたりを見回した俺は頭が真っ白になって膝をつく。

思えば就職してからねえちゃんの部屋に来るのは初めてだった。

でも、こんなんなってるなんて思わないだろ。


そこは、鞭やら拘束具やらいわゆるそういうグッズでいっぱいだった。

男の言葉を思い出す。

なめる、とはつまり、このグッズが示すところ。

そしてスマホではなくスマホの裏側っていうのは、表側ほど嫌じゃないけどやっぱりなめるのはきつい、自分には無理だ、そういう、こと……


「あーあ、見られちゃった」


いつもと違うねえちゃんの声が後ろで響く。

それは家族に向けたのと違う声で僕はぞわりとしてしまう。

振り返ると彼女の足が僕を誘うようにひらひらと揺れていた。


「けいちゃんならなめてくれるのかな、スマホの裏側」


そう言って上から見つめてくる彼女。

グッズたちからの無言の圧力さえ感じてくる。

緊張でめまいがして、アルコールで頭はガンガン痛くて。

それでもこの一対一の状況、答えを出さないといけなくて。

僕は悩んで悩んで悩んだ挙句、かすれた声で言う。


「スマホの裏側じゃなくて、ねえちゃんなら」


そう言って僕は彼女の足に、軽く口づけをした。


「そっか、よかった、けいちゃんは、私の大事なげぼくでいてくれるんだね」


さつきねえちゃん、もとい、さつきさまはそう言って妖艶に微笑む。

僕がこれからどうなるのかは、僕自身もわからない。

けど、一つだけわかるのは、家族の時間はもうおしまい、ってこと。

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スマホの裏側をなめる 篠騎シオン @sion

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