下書き

里場むすび

下書き


 SNSの下書きリストをふと除いてみたら、見覚えのない下書きが保存されていた。

 それは見たところ数字とアルファベットの羅列で、なんとなく不気味だと思った。

 不気味だから、見たくなかった。

 不気味だから、触れたくなかった。

 私は見なかったことにして、すぐに下書きリストを閉じた。


 以来、私は努めてそのことを忘却の彼方に葬り去ろうとした。


 ——それが、スマホを持つようなった中学生のころのこと。


 あれから私は幾度かスマホを買い替え、SNSのアカウントも幾度か新調した。しかし、スマホからSNSの下書きリストを覗くと、そこには必ずあれがある。

 奇妙なのは、PCやタブレットから見た時には、あれは出ないということだ。

 この謎を調べたくて情報系の学部にまで進学した私だったが、インターネットやアプリケーションの仕組みについて知れば知るほど、むしろ謎は深まった。


 私はこの怪現象を研究室の先生のところに持ち込んで相談してみた。

 むしろ先生は快く私の相談を聞いてくれて、この謎に興味を持ってくれた。


「それじゃあ、いくつか画像と君のアカウント名、これまでに利用してきたスマートフォンの機種なんかを教えてもらおうか」


 先生は無精髭をほったらかしにして髪も伸び放題の、「どうしてまともな社会生活を送れているのだろう」と思うような容貌の人だったが、人当たりはよく親切で、また子供のような好奇心を持った人だった。あと、体臭だけは妙に良かった。聞けば外国の香水を付けているのだとか。


 そんな先生が真剣に調査してくれるとなったことで、私は安堵した。もう、この件を自分一人で抱え込まずに済む——そう思うと心安らかでいられた。


 翌朝。先生からメールが届いた。それは例の件の調査結果だった。


『単純な文字コードの変換によって解読できるようになりました』


 そう、記されているのを見た時は、自分がまともに向き合ってこなかったことを糾弾されてるかのようでびくっとした。

 メールのリンク先URLに飛ぶと、文字列のエンコード・デコードができるサイトが表示された。メールを穴が開くくらい読み返してみても、平文になった文章は掲載されていない。どうやら、平文になった文章は自分で確かめろということらしい。

 私はさっそく例の下書きをそのサイトの入力欄にコピー&ペーストした。


 果たして、そこに表示された文章は——


『大学の森先生に促されて例のメッセージを読む。大した内容じゃなくて正直ほっとした。でも、なんで何年も前から今の私の考えてることがここに記されてたんだろう。不気味だ』


「………………………………………………………………………………なにこれ」


 ◇


 後日、先生はやつれた表情で言った。


「例の下書きをデコードしたあとすぐ、僕のアカウントにも同じようなモノが出現したよ。僕の場合はPC限定だった。内容は…………僕が君のそれを読んだ時に感じたことが、そのまま記されていた」


 先生のPCの画面を覗き見る。SNSのダイレクトメッセージアイコンには、通知バッジが付いていた。

 私のにも、いつまでたっても取れないダイレクトメッセージの通知バッジが、全てのアカウントに付いている。そして、それはひっきりなしにメッセージが送られてきていることを意味する。


 私の持つアカウント間で、私じゃない何かの手によって、メッセージの送受信が行われているのだ。


『こわい』

『どうして』

『先生に相談してみよう』

『ブロックできない』

『アカウントを消したり、ブロックしたりしようとすると通信エラーが起こる』

『なにこれ』

『わけがわからない』


 ありのままの感情が、ダイレクトメッセージという形で私に送りつけられる。


「……ネット上の掲示板では、まったくと言っていいほどに話題になっていない。こんな、陰謀論みたいなことを言うのは不本意だが……」

「投稿しようとすると、通信エラーが起きて送信できなくなる……」

「おそらくはね……僕には、もうどうしようもないな。この一件は」


 それは、紛れもない敗北宣言だった。そして、彼の研究者としての死を意味する言葉でもあった。

 子供のような、無邪気な好奇心が音を立てて折れたのだ。


『私のせいで』


 今、送られてきたメッセージにはおそらく、そんなことが書かれているのだろう。私は、スマホを握り締めてそう思った。


(了)

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下書き 里場むすび @musmusbi

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