異世界転生だけど話が進みません

茂由 茂子

異世界転生だけど話が進みません

 数ある異世界転生物を読んできたし見てきたけれど、絶対にあんなもんは嘘っぱちだと今なら固く思う。異世界転生物のほとんどが、すぐに物語が動き始めるし、なんかすぐに異世界に転生されたことを理解するし、味方だって増えていく。


 だけど、そんなはずがないのだ。異世界に転生されたのなら、俺たちは絶対にぶち当たる壁があるし、その壁をどうやって突破するというのか。俺がまさしく今直面しているこの壁をどうやって乗り越えたらいいのか、考えても分かりそうにない。


 スマホが動かない……。どうしたらいいんだ……。


 今日俺は、いつもと同じように会社から帰っているだけだった。「今日も疲れたな~。」なんて思いながらイヤホンを耳にして、スマホから音楽を流して電車に乗った。珍しかったことといえば、うっかり電車の座席に座れたことだ。


 いつもなら立ったまま自分の家の最寄り駅に着くところを、ゆっくり座ることができたためか、強烈な睡魔に襲われた。俺は念のためにスマホでバイブのアラームを設定して、目を閉じた。


 どのくらい寝ていたのだろう。目を開けたときにはもう、ここに居た。どれほど見渡しても、広大な原っぱが広がっている。俺はここがどこなのか確認しようとスーツのポケットに入れていたスマホを取り出した。


 手帳型のスマホケースを開き、画面をスワイプするけれど一向に点く気配がない。電池切れかと思って鞄からモバイルバッテリーを取り出してそれをスマホに差し込んだ。しかし、何も反応がない。おかしい。


 それで俺は、何かがおかしいことを感じ始めた。ただの原っぱだったから「どこに来たんだ?」程度だったけれど、よく考えてみればただ電車に乗っていただけなのに原っぱに着くのはおかしい。


 そもそも、寝過ごして放り出されただけなのであれば駅の近くに居るはずだし、誘拐されて放り出されたのであれば荷物を持っているはずがない。


「くそ!ここはどこなんだ!」


 調べたくても、俺の手元にあるスマホは動かない。耳にしたままだったイヤホンを外してそれを鞄にしまい込み、周辺で何か音はしないか耳を澄ませてみる。聞こえてくるのは、さやさやと緩やかな風になびいている原っぱの草花の音だけだ。


 ここがどこなのかも分からないまま、俺はその場に立ち尽くす。移動をしようにも、どこに向かったら良いのかも全く分からないからだ。スマホさえ立ち上げることができれば、少しは状況を改善することができると思うけれど、うんともすんとも言わない。


 そもそも、まず時間も分からない。


 俺が帰りの電車に乗ったのが18時8分で、18時45分には最寄り駅へと到着するはずだった。なのにどうだろう。今、俺の視界に広がっている世界は、どう見たって太陽がさんさんと輝いている。太陽の位置から察するにまだ午前中くらいだろう。


 スマホが動かないと時間の確認さえできない。なぜなら俺の腕時計の針は、18時30分を指したまま止まっているからだ。


 え?俺、死んだとかそういうやつ?


 急に恐怖が襲ってきて、身震いをする。そして、どこに向かってもいいからと歩を進める。広大な原っぱは、俺の方向感覚を迷わせる。何を目印に歩いたらいいのかさえ分からないまま、とにかく自分の感覚で真っ直ぐ歩いてみる。


 しばらく歩くと川のせせらぎが聞こえてきた。ちょうど良かった。喉が渇いていたのだ。せせらぎの方へと向かうと、綺麗な小川があった。


 小川のほとりに膝をつき、その水を手で掬う。しかし俺は、それを口に運ぶことができなかった。


 果たしてこの水は、口にしても大丈夫な水なのか……?


 普段であればスマホで調べて、大丈夫かどうかを確認してから口にする。しかし、その手段をとることができない今、この水を口にするのは怖い。


 ただ、俺も馬鹿じゃない。こういうときは、ろ過をすれば大体大丈夫であることを思い出す。そういうことは学生時代の理科の実験で習った。


 ろ過装置を作って水を飲めば完璧じゃね?!


 ということで、ろ過装置の作り方を調べようとスマホケースを開く。そして、俺は絶望する。


 スマホ開かないんだった……。


 俺は頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。そして、頭をがしがしと掻く。ろ過装置なんて作ったのは、約15年前に一度きりだ。そんなものを思い出せるはずがない。ペットボトルや小石や布を使ってやったことだけなんとなく覚えているけれど、そもそもペットボトルが無いし、あったとしてもペットボトルをカットするはさみもない。


 なんだ、どうせろ過装置を作ることはできないじゃないか。


 そして俺は究極の選択を迫られる。目の前にある、この綺麗な小川の水を、「飲む」のか「飲まない」のか。飲めるものなら飲みたい。しかし、俺の身体に安全なものなのかどうかが定かではない。これを「飲む」か「飲まない」かは、「飲んで死ぬ」か「飲まなくて死ぬ」かどちらかを選択することと同じだ。


 そうして俺が小川のほとりで長考していると、どこからともなく足音が聞こえてきた。振り向くとそこには、俺と同じ姿形をした生物が立っていた。


 一見するとその生物は、欧米人に見える。長い金色の髪の毛に、ブルーの瞳。そして、狩人のような衣服を身にまとっている。


 なんだ!ここは外国だったのか!


 俺がそう思ったのも束の間だった。


「こいつ、変な格好してるな。何者だ?」


 その欧米人に見える生物は、流暢な日本語を喋った。俺のことを変な格好と言っている割に流暢な日本語を喋ることに違和感しかない。そして、その欧米人の問いかけに答えたのは、俺が予想だにもしない生物だった。


「どうやら異世界から紛れ込んだ異世界人のようだ。」


 目の玉が飛び出るんじゃないかというほど、俺の目は見開いた。なぜなら、そう言葉を発したのは、欧米人が小脇に抱えているもふもふだったからだ。


 そのもふもふ、クッションじゃなかったのか……?!


 俺が言葉を失っていると、そのもふもふは俺の顔をじっと見た。


「ふむ。異世界からやってきて、まだ1時間程度というところだな。ピチピチだ。こいつは連れて帰ってやらねばならんぞ。」


 俺のどこを見て判断したのか、もふもふはそんなことを言い出した。


「連れて帰るなら名前を聞いておかないといかんな。お前、名を何と言う?」

「……秋月大和あきづきやまと……。」


 自分の名前を伝えることを一瞬渋ったが、ここで渋る意味もないと思って答えた。しかし、もふもふと欧米人は顔を見合わせた。


「お前、今の言葉、聞き取れたか?」 

「いや。聞き取れなかった。」


 もふもふが欧米人に問いかけると、欧米人はそう答えた。そしてまた、もふもふが俺の方に向き直る。


「もう一度聞く。お前の名を何と言う?」

「秋月大和だ。」


 俺が答えると、また2つの生物は顔を見合わせた。


「やっぱりなんて言っているか分からんな。」

「ああ。なんか言ってるが、なんて言ってるかさっぱりだ。」

「は?!嘘だろ?!あきづきやまと!!!」

「え、どうする?なんか興奮しだしたけど。」

「ああ。なんか騒ぎ始めたな。」


 2つの生物の言葉ははっきりと分かるのに、まさか俺の言葉が伝わらないなんて思いもしなかった。仕方ない。ここは翻訳アプリを使おう。


 ということで俺は、翻訳アプリを使おうと思ってスマホケースを開く。そして俺は絶望する。


 スマホ開かないんだった……。


 くそ異世界め!!!異世界で都合の良いコミュニケーションとって天下とってる異世界転生物はなんなんだよ!!!あんなもん、ただのチートだ!!!人間はスマホが無けりゃ何もできねぇ!!!


 俺が地団駄を踏み始めると、それを見た2つの生物は後ずさりをした。


「なんか、ちょっとやばい異世界人なのかもしれんな。」

「連れて帰るにも、興奮が落ち着かないと難しいな。」

「ちょっと時間を置いてまたここに来てみるか。」

「そうするか。」


 2つの生物はそんな会話をすると、そっと俺の足元に果物らしきもの(形はりんごのようだが香りはマンゴー)を置いて、踵を返そうとした。


 置いて行かないでくれと叫びたいけれど、また通じないと思うと言葉にできない。喉から「あ……!あ……!」という言葉だけが出る。すると、2つの生物は立ち止まって俺の方を見た。


「連れて行ってくれと言っているな。」

「ああ、そうだな。」


 何がどう聞こえてそうなったのかは俺にも分からない。泣きそうな俺の顔を見ると、欧米人はふっと笑みを浮かべ、俺の頭を撫でた。もふもふは俺の胸元にくっついてきた。お前、くっつくことができるタイプなのか。


「さあ、私たちの家に行こう。」


 2つの生物に優しくされて、アラサーのサラリーマンも思わず涙がこぼれる。突然見知らぬ土地に来てしまった怖さや、これからどうしたらいいのか分からなかった不安が、一気に解けた。


「……ありがとう。」


 鼻をすすりながら、心から御礼を言った。すると、2つの生物はまた顔を見合わせた。


「今、こいつなんて言ったんだ?」

「分からんかったな。」


 くそ異世界め!!!スマホさえあれば生きていけるのに!!!

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