さよならスマホ

澤田慎梧

さよならスマホ

「――お客様。恐れ入りますが、そちらの機種はサポートが終了しておりまして、修理も交換も承りかねる状況となっております」

「ええっ!? そんな、なんとかならないんですか?」

「申し訳ございません。メーカーの方で本体も部品も在庫切れとなっておりまして、私共としましても対応いたしかねます。……こちらの最新機種でしたら、貯まったポイントを使って実質無料でご提供できますが」

「そんな、困るのよ! このスマホじゃないと、困るのよ!」


 この世の悲哀を全て詰め込んだかのような表情で、老婦人が食って掛かってくる。その様子に私も心が痛んだが、一店員である私にこれ以上できることはない。

 ――いや、たとえ店長や本部のエキスパートを寄越されても、彼女の要望に応えることなどできないだろう。何せ、彼女が持ち込んできた「スマホ」とやらは、かなりの年代物だ。確か、二十年ほど前に生産が終了しているタイプの携帯情報端末だ。


 「スマホ」は板状の形をした、手の平に収まるか少しはみ出すくらいのデバイスだ。

 表示装置は液晶か有機ELが主流で、タッチやジェスチャーで操作する。カメラやマイクにスピーカー、非接触型ICチップ等を一つのボディに搭載しているという点では現代の情報端末と似たようなコンセプトだが、形状も操作方法も全く異なる。


 今現在主流となっているデバイスは、眼鏡型のものだ。世間一般では「グラッシー」と呼ばれている。

 ディスプレイは網膜投影型。4K相当の画像を直接網膜に投影するので、近視や遠視、弱視の人間でも鮮明な映像を楽しめる。

 操作方法は様々だ。眼球の動きによる操作をはじめ、眼鏡のフレームによるタッチ操作、更には微弱電流で人体と直接接続されていることを利用した脳波コントロールも可能だ。もちろん、空中に仮想的に立体映像を展開して、それにタッチする感覚で操作することもできる。


 スピーカーは骨伝導タイプ。眼鏡のつる辺りに内蔵されていて、雑音の中でもクリアに音声が聞こえる。

 ICチップ間の通信も、スマホの時代は端末同士を近付けていたらしいが、今は端末装着者同士が十メートル程度近寄っていれば簡単に相互通信できる。時代劇などで、人々が読み取り装置に端末をかざしているシーンを見たことがあるが、昔はあんなに近距離でないと通信できなかったのか、と不思議に思ったものだ。あれでは、ソーシャルディスタンスを取ることも難しかっただろう。


「ああ、困ったわ。このスマホじゃないと上手く使えないのに……」


 老婦人は困り果てて、画面の向こう側ですっかりうなだれていた。通信回線越しでも、彼女の悲嘆が伝わってくるようだった。

 彼女は今、店頭に置かれたサポート端末を介して、在宅ワーク中の私と会話している。ご老人の中にはサポート端末を使いこなせない方もいることを考えれば、彼女は十分に新しいデバイスへの適応力があるように見える。それでも彼女は、頑なにスマホを使い続けていたらしい。


 ――時々いるのだ、こういう人間が。新しいことに順応できるが、あえて古い技術やインターフェースに縋り付き、離そうとしない人種が。私のような若者から見れば理解不能だけれども、そう言えば曾祖母の時代にも同じようなことがあったらしい。

 曾祖母はずっと「ガラケー」と呼ばれる、古の携帯情報端末を愛用していたそうだ。スマホよりももっと古いデバイスで、私も資料映像でしか見たことがない。

 ガラケーもスマホ隆盛時代に生産終了となり次第に消えていったのだが、一部の人間は曾祖母と同じく、ずっとガラケーを使い続けたのだという。それこそ、対応した通信方式が停波するまで。


(……ああ、そうだ。停波だ)


 画面の向こうで嘆く老婦人をよそに、私はスマホの停波情報を検索し始めた。二十年ほど前に本体が生産終了しているのだから、そろそろ通信サービス自体の提供が終了してもおかしくない。

 むしろ、まだ提供している方が不思議なくらいなのだ。停波が決まっていれば、この老婦人も少しは諦めが付くのではないだろうか?


 けれども、私のそんな考えは空振りに終わった。老婦人の使っているものを含め、スマホの多くが採用している通信サービスは未だに健在で、停波の予定もないらしい。どういうことだろうか?

 更に詳しく検索してみて、理由が分かった。どうやらお役所系や一部業界では、未だにスマホ型業務用端末やその類型であるタブレット端末を使い続けているらしく、それら向けのサービスが続いているらしい。

 一般向けのスマホ通信サービスは、そのインフラに相乗りする形で継続しているのだ。


(行政が旧世代のサービスを使い続けているのは、いいのだろうか?)


 そこはかとない不安を覚えたが、今は深く考えないようにしよう。

 ともかく、これで老婦人を納得させる手立てはなくなった訳だ。お役所が使っている端末を流用できないかも調べてみたが、専用の機能しか搭載していないモデルだったので、無理だった。

 あとは、平身低頭お詫びしながら、彼女が自分から諦めてくれることを待つしかない。

 ――と。


『困っているようだね』


 その時、店長からプライベートメッセージが届いた。どうやら対応が長くなっていることに気付き、サポートに来てくれたらしい。


『はい……。私も色々と調べたのですが、もう諦めていただくくらいしか選択肢がなくて』

『そうだね。マニュアル通りなら、このまま「グラッシー」への機種変か、ご解約を勧めるしかないね。だが……ふむ、ここは私が代わろう』

『ええっ!? いいんですか、店長』


 普段の店長なら、面倒なお客様の対応など「君達の経験になるからね、頑張って対応してくれたまえ」等と言ってふんぞりかえっているところなのに、どうした風の吹き回しだろうか?

 「何か裏でもあるのでは?」等と失礼なことを考えてしまったが、店長からの返事は、予想外に真摯なものだった。


『このお客様はね、君。未来の私達なんだよ。「グラッシー」だっていつまでもある訳じゃないだろう。いつか、違う形の情報端末に追いやられる日が来る。これはね、君。そんな日が来た時に私達が見捨てられない為の、布石なのだよ。

 ここいらで前例を作っておかないと、困るのは未来の私達なんだ』


 その後、私から老婦人の対応を引き継いだ店長は、自分の権限で許される限りの諸々を駆使して、彼女の要望に応えるべく動き回った。

 後でサポート報告を読んだところ、店長はどうやら中古市場やジャンク屋のネットワークまで使って、まだ動作する同等機種のスマホを入手したらしい。完全にマニュアルを超えた対応で、本社には苦い顔をされたらしい。

 けれども、老婦人とそのご家族からは後日、丁寧なお礼のメッセージが届いたそうだ――。



(了)

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