06▼夜明け


 無意識の内に、アクロンは床を蹴った。

 魔物の体液に塗れ切れ味の悪くなった剣を堅く握り締め、下品に顔を歪めた魔物の懐に飛び込む――が、魔物の方が速かった。牙と同じく鋭利な鉤爪が空気を裂く。

 避け切れない、と衝撃を覚悟したアクロンの横に、庇う様にしてするりと大剣が滑り込んだ。火花を散らして刃と爪がぶつかり合い、耳障りな音が派手に響き渡る。


「……ッ、すまない」

「いいえ!」


 大剣を身体の横に立て、爪の猛襲を受け流して防いだキトがにっと勝ち気に微笑む。


「ばか、先走りやがって」


 オーガスタは追撃を仕掛けんとする魔物に空中展開した魔法円から紫炎の矢を幾本も射出し、それを身体を捻って避けた魔物にそのまま新たな矢を打ち込んでいく。その内の幾本かが魔物の黒い皮膚に突き刺さり、勢い良く燃え上がった。

 魔物が鳴く。火を点けられた腕を振り回し、鎮火しようと壁に叩き付ける度に部屋が揺れる。

 アクロンとキトはあちらこちらに空を泳ぐその腕を器用に避けながら魔物の背後へ回り込む。しかし魔物はそれを目敏く察知し、身体を半回転させると二人目掛けて太い尾を叩き付けた。


「う、わ」


 それを避けた拍子に、キトが崩れた床の窪みに躓く。隙を見せたその背中に向かって、魔物の爪が降り注いだ。

 再び火花が舞い散って、アクロンの剣がそれを受け流す。魔物は不機嫌そうな声を上げて空いたもう一方の腕を振りかぶった。


「がら空き」


 オーガスタの声と共に、白紫の炎が魔物の背を撫で上げる。


「ガアァッ!!」


 魔物は不機嫌に尾で床をバシバシと叩き、牙を剥いてオーガスタに狙いを定めた。剣を構え直したアクロンとキトを邪魔だと言わんばかりに尾で払い退け、巨躯に見合わぬ素早さで魔術師へと飛び掛かっていく。


「…………」


 オーガスタはそれを見据えたままじっと動かない。

 獰猛な影は怒りを露わにして両腕をぐぐっと後方へ引き、そしてそのまま勢いに任せてそれを振り下ろそうとして――苦痛に満ちた叫びを上げた。

 オーガスタの唇が弧を描く。


「……そんなやり方してると、いつか本当にやられるからな」


 魔物の腕から噴き出す夥しい血液の向こう側で、アクロンが呆れた声を出す。


「それは兄様もですよ」


 ちょっと怒った様な表情のキトは、叩き落とした黒い腕にあからさまに嫌悪感を示して、それを遠くへ蹴り飛ばした。


「ほら、二人の事、信じてるし?」


 叫び続けたまま倒れ込んでくる魔物に、オーガスタの鋭い上段蹴りが決まる。腕を無くした丸い影は大きくよろけて、普段セシルが作業に使っていた机にくずおれた。衝撃で机が砕け散る。

 しかし魔物は太い尾をバネの様に使い、すぐさま体勢を立て直した。そのまま二本の足と尾で上手くバランスを取りながら、器用に三人の上に跳躍する。


「……チッ」


 小さく舌打ちしたアクロンは後方に飛びすさり、剣を構え直した。魔物はそんなアクロンに向かって咆哮する。尾が風を切ってうねる。


 ――白銀が閃いて、長く太い物が湿った音を立てて床でのたうち回った。


「兄様かっこいー!」

「アクロン様さっすがぁ」

「お前ら茶化すんじゃない」


 アクロンの剣に尾までをも切り落とされた魔物は、その身体をしたたかに床に打ち付け遂に地に転がる。

 影は立ち上がろうともがくが、もう先程の様には上手くいかないのかじたばたと足を動かしてギャアギャアと三人を威嚇し始めた。魔物が身体を揺する度に肩口や尾の生えていた場所から流れ出る血が辺りに飛び、赤黒い壁を赤で上塗りしていく。


「ふん、ざまーみろ」


 キトが勝ち誇った様に鼻を鳴らす。魔物は馬鹿にされたのを悟ったのか、キトに向けてギャンギャン喚き立て始めた。

 そんな魔物に、アクロンはゆっくりと近付いていく。


「…………」


 キトを見ていた目が今度はアクロンを睨み付け、大きく牙を剥く。アクロンは強い眼差しで睨み返し、そして魔物の牙にきらめく鎖にぐっと唇を噛み締めると、無言のまま、一切の躊躇いも見せずに魔物の心臓に剣を突き立てた。


 ――耳を塞ぎたくなる様な断末魔の絶叫が城内に轟く。


 アクロンは心臓を抉る要領で一度捻ってから剣を抜き、次に、まるで「うるさい」とでも言う様におぞましい雑音を垂れ流す喉を潰した。絶叫は直ちに止み、代わりに溢れたのはゴポゴポと血が泡立つ音と飛沫だった。赤い飛沫はアクロンの手元と言わず顔までもを汚していく。

 しばらく激しい痙攣を繰り返していた魔物も次第に動きを弱め、やがてぴくりとも動かなくなった。

 引き抜いた剣から粘り気のある血が滴り落ちる。

 アクロンは息絶えた魔物の口元に手を伸ばすと、そっと慈しむ様にセシルのネックレスを取り上げた。血液が凝固している部分に見えるのはセシルの瞳と同じ深海の色をした小さな宝石で、それは腥いこの部屋に射し込んできた光に鈍く輝きを放つ。



 ――朝陽が、静かに、静かに、美しかったソルレイルを照らし出した。




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V-Nightmare Syndrome. 銀壱 @gin1_itaru

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