05▼深夜


「嘘、ですよね……?」


 キトが絞り出した声は酷く震えていた。

 この場に至るまでも充分に散々破壊され使用人や兵士が転がった城の中を抜けて来たが、今目の前に広がる光景はそれらの比ではなかった。

 壁も天井も有って無い様なもので、屋上と呼んで差し支えないその部屋から立ち昇る炎と煙が夜空に向かって手を伸ばしている。

 国王と王妃が休んでいる筈の寝台は天蓋から真っ二つに斬り掛けられ、ズタズタに引き裂かれた布やら羽毛やらが周囲に散らばっていた。王達を守る筈の近衛兵は、皆どこかが欠けた状態で床に転がっている。

 そして部屋の一部では、グルルと喉を鳴らす獣人の様な魔物や黒く枯れ木の様に乾燥した木乃伊達が、それはそれは愉快そうに爪や刃をひたすら振りかぶり続けていた。その都度、ぱっと赤い花が舞う。

 認めたくない事実は、醜悪な群れの輪の外に投げ出された二本の刀剣によって裏付けられた。

 ――国王が常に帯刀していた片手剣と、王妃の護身用にと誂えられた短剣。

 それらが赤黒くぬらぬらした血糊に塗れて、床に転がっている。


「父上、母上……!」


 堪らず、アクロンとキトは叫んだ。

 その瞬間、肉塊に夢中になっていた魔物達の幾対もの瞳がぎょろりと回る。そして新たな餌食を見つけた魔物達は、濁った歓声を上げると二人目掛けて踏み込んだ。

 まずいと思った時には既に遅く、木乃伊が振り下ろした斧が二人の間を掠める。続いて獣人の鋭い爪が空を切り、咄嗟に短剣で庇うもその衝撃にキトの身体は廊下へと吹き飛ばされた。

 辛うじて耐えたアクロンがキトの名を呼ぶが、新たな獣人の追撃によって己の身体も宙を舞い、弟と同じ様に廊下に叩き付けられる。既に立ち上がっていたキトに支えられすぐに身を起こすも、多少距離を取れただけで状況の打破には至らなかった。

 多勢に無勢。剣豪と呼ばれた王も、これでは分が無かったのだろう。ましてや王妃を庇いながらの事だ。――その結果が、床にこびり付いている。最早どちらが王で、どちらが王妃か、判別するのも至難の技だった。かろうじてそれを可能にするのは、肉片に混ざるズタズタの夜着の切れ端が、それぞれどちらに多くあるかという点だ。

 やはり魔法の勉強もしておけば良かった、という念に駆られながら、アクロンはキトと共に後方へ駆け出した。

 護身用の短剣などでは話にならない。玉座の間にさえ行ければ、兄弟それぞれに与えられた宝剣が壁に飾られている。――もっとも、それが無事であればの話ではあるが。




 屍の寝転がる階段を降り、慌ただしく玉座の間に飛び込む。

 幸いにも酷い損壊を免れた部屋の奥で鎮座している玉座の背後で、鞘から外された三本の剣が壁に飾られた状態で鈍く光っていた。その剣は、アクロンとキトが普段の稽古や実戦で幾度となく扱ってきた物だ。


「セシル兄様の剣も残ってる……」


 一番細身の、刺突に特化した剣を見てキトがぽつりと呟く。


「兄上……どうか御無事で」


 結局セシルの無事を確認出来ずにここまで来てしまい、アクロンは下唇をきつく噛み締めた。病気がちで、決して武闘派とは言えないセシルは、最低限の護身術しか身に付けていないのだ。王さえも手に掛けられた状況の中、果たして無事でいるのかどうかも疑わしい。

 アクロンは玉座の後ろへ回ると、金色の柄から白銀の刃に続く剣に手を掛けた。鍔から刃を挟む様に伸びる金の装飾には、アクロンの瞳と同じ瑠璃色の宝玉が嵌っている。

 キトもアクロンと同じ様に剣の下に歩み寄ると、三本の中で一際長く幅広な大剣を降ろした。刃だけでも一メートル以上はあるその剣は無論重量もそれなりで、アクロンはそれを扱えるキトに対して我が弟ながら恐ろしい、と思った事もある。


「……準備はいいな」

「勿論です」


 二人は改めて剣を構えると、二人を追って玉座の間へと辿り着いた異形の軍団に向き直った。




 扱い慣れた剣での動きはやはり違う。魔物達は次第に、着実にその数を減らしていく。

 キトの剣捌きは昼間言っていた通り“叩き斬る”そのもので、彼に剣を振るわれた魔物は中身を飛び散らせて絶命する。アクロンは攻撃後の隙が大きいキトを支援する様に立ち回り、無防備になった瞬間の弟に襲い掛からんとする魔物を的確に斬り伏せていった。


「……!」


 突如アクロンの視界が反転する。

 先程キトが斬り付けた獣人が存命していたようで、その毛むくじゃらの太い腕でアクロンの足を掴み、床へと引き倒していた。アクロンは慌てて獣人の腕を切り落とすが、転けた彼を目敏く捉えた魔物達は我先にとそこへ飛び掛かる。


「兄様!」


 息を切らしたキトが叫ぶ。

 十の魔物が頭上から自分目掛けて得物を振りかぶる光景に、アクロンは歯軋りした。

 視界の隅でキトが大剣を振るうが、飛んでいった魔物は僅か二体だけだ。

 全てがスローモーションになった世界の中、アクロンが目の前の魔物に剣を突き刺し、キトが新たに大剣を振ったと同時に、鋭い声が玉座の間を揺らした。

 その瞬間、魔物達が一斉に白紫の炎に包まれる。

 一瞬で消え去った魔物の群れはアクロンの身体に灰を落とす事も無く、キトの大剣はただ空を薙いだだけとなった。


「あ……!」


 キトの表現が明るくなる。

 その視線の先では、腕を伸ばし、掌をこちらに向けたオーガスタが安堵の溜め息を吐いていた。露出した肌に所々傷を付けた黒髪の魔術師は、出入り口に伏した獣人を革のブーツで踏み付けながら、アクロンとキトの元へと急いで駆け寄る。

 血と汗と塵塗れになったアクロンは、複雑そうな、けれど何処か安心した表情で立ち上がった。


「……随分遅かったな。無事で良かった」

「次から次へとナンパされて大変だったんだよ。アクロンもキトも無事で安心した」

「オーガスタさんこそ……! それで、あの、セシル兄様を見ませんでしたか!?」

「……二人とも、一緒じゃないのか?」


 キトの問い掛けに、オーガスタの顔がさあっと青ざめる。セシルの部屋を覗いた時に誰も居なかった事から、てっきり兄弟全員で居るものだと思っていたオーガスタがその事を伝えると、三人の間に更なる緊張が走った。






「……後は此処だけか」


 城内を彷徨する魔物を出会い頭に薙ぎ倒しながらあちらこちらを捜索したが、セシルの姿は依然見当たらないままだった。

 最後に辿り着いたのはセシルが昼間に籠もる事が多い執務室で、瓦礫に埋もれた扉の向こうからは物音一つ聞こえてこない。三人は瓦礫を退けて、警戒しながら部屋の扉を開けた。




「――――!」




 一面、赤、赤、赤。


 粘膜に纏わり付く鉄錆の匂いが噎せ返る程立ち込めた執務室は、元の壁の白さなど面影も無く赤黒い液体に彩られていた。壁は一部分が大きく崩落して、向こう側の闇が露出している。

 その崩れた壁の目の前で、一つの影が蠢いていた。

 薄ぼんやりとしたランプの灯りに照らされた、蛙の様な、はたまた蜥蜴の様な影は非常に小さな水音を立てながら小刻みに頭部を揺らす。

 キトが息を飲んで口元を覆った。

 アクロンとオーガスタもその事に気付いて目を見張る。

 三人の中でも、とりわけ弟達は見慣れている“それ”が、ゆっくりと振り返った影の口の端から垂れ下がっていた。


「そんな」


 ぞろりと並んだ黒く鋭い牙によって原形を失った赤くぐちゃぐちゃした塊と、細いチェーン。それは紛れもなく兄が常に身に付けていたネックレスの――


 肉片と生地を身体中にこびり付けた魔物は、蛇の様に真ん丸な目を細めて、にたり、と笑みを浮かべた。




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