04▼夜の訪れ


 皆が寝静まった深夜。

 奥に守護結晶を隠した扉の前に、一つの影が立っていた。

 昨朝と同じ、フードを目深に被ったその人物が扉に右手を翳す。そのまま扉の合わせ目をなぞる様に上から下へ腕を滑らせると、しっかりと施錠されていた筈の扉はいとも簡単に、音すら立てずに影を招き入れた。

 侵入者は長い通路を真っ直ぐに進み、淡く光る結晶の前まで辿り着くと躊躇う事も無くそれに触れる。その手からは赤黒い霧の様な物が立ち昇り、刹那、守護結晶は細く高い音を立てて打ち砕かれた。

 同時に部屋に溢れていた光は消え去り、辺りはふと闇に包まれる。しかし影はそんな暗闇を物ともせず、総てが見えていると言わんばかりの足取りで踵を返し通路を抜け、今一度扉の前に立った。

 そうすれば、まるで待ち詫びていたかの様に闇が蠢き、空気が淀み始める。


「さあ、狩りの時間だ」






 ざわざわと木々が葉を鳴らす。血腥い風がぬるりと頬を掠める。浅く繰り返される呼吸と、力の入らない血塗れの四肢が酷くもどかしい。目の前で大きく広げられた黒い翼が、影が、ゆっくりとこちらに振り返り――。


「…………ッ!」


 言い知れぬ焦燥感に、アクロンは息を荒げて飛び起きた。激しい動悸に思わず胸を押さえ、肩で呼吸をする。辺りは真っ暗で、まだ真夜中だという事はすぐに理解出来た。

 何年もこの悪夢を見てきたが、これは初めての事だった。いつもなら、影が自分の前に躍り出る場面で終わっていた夢。その影が、こちらに振り返って――。

 思い出して、アクロンの背に冷たい汗が伝う。あの先はきっと見てはいけない。知ってはいけない。

 何とか呼吸を整えると、アクロンはベッドから下りて城下を見渡せる窓辺に歩み寄った。夜空に浮かぶ見事な月が、銀色の柔らかな光を大地に降り注いでいる。


(……何かの前兆、なのか……?)


 キトに言われた言葉が脳裏によぎる。だが、いくら何でも考え過ぎだろうと首を振って、アクロンはふと視線を落とした。

 こんな夜更けだというのに、街や森が明るく輝いている。何か祭でもあっただろうかと思ったが、それならば自分の耳に入らない訳がない。


 あんなに、赤が揺らめいている。


 ――燃えているのだ、と気付いた瞬間、凄まじい轟音と悲鳴が夜闇をつんざいた。

 アクロンは護身用の短剣を引っ掴むと弾かれた様に部屋を飛び出す。そしてそのままの勢いで階下の大広間を見渡せる吹き抜けまで行くと、広がる景色に目を見開いた。

 白を基調に金の装飾や美しい絵画で彩られていた気品溢れる空間は薄汚れた瓦礫の山と化し、所々が炎とはまた違う何かで赤く染められている。


「何が起こってるんだ……!?」

「兄様、何事ですか!?」


 騒ぎに気付いたキトも短剣を握りタスカと共に慌てて部屋から駆け出して来たが、先程のアクロンと同じ様に階下の惨状にはっと息を飲んだ。

 二人が固まっている間にも轟音と悲鳴は鳴り止まず、やがて崩れた壁の向こうから歪な集団がゆらりと姿を現した。アクロンとキトはそれを確認するや否や、咄嗟に柱の陰へと身を隠す。


「何故魔物が……!?」

「み、皆無事なんでしょうか……」

「結界は無問題だった筈だろう……オーガスタは何をやってるんだ」


 アクロンの寝室に程近いオーガスタの寝室からは、誰も出て来る気配が無い。セシルの部屋も、扉が開く気配は感じられない。

 息を潜め、半ば混乱しながら兄弟はぐるぐると思考を巡らせる。しかし階下へ続く階段を過ぎた先の廊下で影が揺れたのを見て取ると、二人は素早く短剣を構えた。体勢を低くしたタスカが唸り声を上げる。


「……! アクロン殿下、キト殿下、早くお逃げ下さい! 魔物達がもう其処まで……!」


 廊下の角から走って現れたのは、一人の近衛兵だった。銀に輝いていた筈の鎧は血に染まり、近衛兵に支給される刀剣も今は無惨に折れている。


「これは一体どういう事だ!? 何故」


 こんな、と続けようとしたアクロンの言葉は、こちらへ駆け寄ろうとしていた兵士の叫び声によって掻き消された。

 耳障りな金属音を立てて兵士は赤絨毯に崩れる。その背後には、己の得物を倒れた兵士から抜き取りながら、カラカラとさも愉快そうに笑う魔物が立っていた。

 骸骨の様な風貌の魔物は、アクロンとキトを目敏く捉えると更に声高く笑い声を上げる。そして二人に狙いを定めると、想像もつかなかった速さで一気に距離を詰めた。


「くそ……!」


 皆の無事を確認する暇も無く始まった戦闘に、アクロンは舌打ちした。

 魔物は馬鹿正直に勢いのままに飛び込んで来る。アクロンはその動きを読んで魔物の刃を短剣で受け流すと、すかさず相手の手首目掛けて膝蹴りを入れた。衝撃で魔物は剣を手放し、剣は弧を描いて廊下の片隅へ落下する。アクロンはそのまま間髪入れずに短剣を薙いで、骸骨の首を飛ばした。


「兄様凄い!」

「感心してる場合か!」


 そんなやり取りの中、骸骨が現れた廊下の角からぞろぞろと同じ魔物がこちらを目指して進んで来るのが見えて、キトがうわあ、と声を上げる。


「父上と母上の寝室まで急ぐぞ」

「はい!」


 先程と同じ様に距離を詰められる前に、二人は魔物達とは反対方向に走り出す。階も違い奥まった場所にある国王達の寝室は此処からだと少しばかり距離がある為、追い付かれる前に辿り着くのはほぼ不可能である事は想像に難くない。

 ――が、それでも予想以上に早く追い付かれてしまった。骸骨達は、その貧相で脆そうな見た目から受ける印象よりも、素早い動きを得意とする様だ。少しずつでも先に進みながら、二人は剣を振るう。

 何ともありがたい事にこの骸骨達はあまり頭は良くないらしく、皆一様に特攻してくる。それを良い事に二人は次々と薙ぎ払っていき、その場にいた最後の魔物の首を飛ばす――と同時に、しばらく鳴り止んでいた轟音が二人の背後から響いてきた。それは紛れもなく国王と王妃の寝室からで、二人は顔を見合わせると急いで廊下を駆け出した。




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