手の平に収まるもの

九十九

手の平に収まるもの

 薄暗い部屋の中、パソコンのモニターがいやに明るく光る机の前で、男はワンカップ片手に晩酌に勤しんでいた。

 パソコンの画面の中では黒服を着た男たちがすらりと見目の良い男を取り囲み、次の瞬間には銃声や悲鳴が響き渡る。かちりとした黒服に身を包んだ男たちが、瞬く間に赤色に染まっていくのを見て、男はワンカップで唇を湿らせた。


 不意に、軽快な音楽が薄暗い部屋の中に響き渡った。画面の中では無い、部屋の何処かから流れたその音に、男は映画をつまみに呑んでいたワンカップを置き、部屋の中を探し始めた。

 音が鳴っている間に見つけないと後で面倒なので、男は足早に部屋の電気を付け、部屋の中を探し回った。

 ゲームやら動画やら、暇な時は常に手に持っているのに、有用な時には手放してしまっているのは自身の悪い癖だと知りつつ、男はそれを改める気は無い。

「あった」

 棚の上に置き去りにされていたそれを手に取って、指で軽く操作をすると耳に当てる。

 相変わらずなかなか電話に出ない相手に対する苦笑から始まった会話内容は、あいも変わらずな仕事の話で、男は苦い顔をして、手の平へと収まるスマートフォンを見た。

 手の平に収まるかどうかのちっぽけで薄っぺらい板に、今日も男は怠惰を邪魔されたのだ。



 錆びと硝煙の匂いの立ち込める部屋の中で、力を失った身体がだらりと床に伸びていた。温かい色はもうその身体には宿っておらず、色味の悪い蝋人形のように転がって居る。

 転がる白い身体に滲み纏わりつく赤色を、男はぼんやりと眺めていた。

 暫く床に這った赤色を眺めていると、ポケットの中身が震えた。男は無造作にポケットへと手を突っ込むと、目当ての物を耳へと当てる。

 耳に当てたスマホの向こう側から、同僚の声がした。

「こっちは終わったよ」

「こっちも終わったとこだ」

 今、終わったのだと告げると、同僚は笑った。もう何度となく一緒に仕事をしているせいで、男がどの様な行動をとるのか筒抜けになっている。恐らく、長い間、地へと這いまわる赤色を眺めていたことも、この同僚の男だけにはばれている。

「この後、ご飯食べに行きたいんだけれど」

 耳元でスマホが音もなく震えた。

 耳を離して画面を見てみると、何処かへの地図らしい画像が送られていた。電話をしながら調べて送るなんて相変わらず器用な同僚だと男はスマホを見詰める。

「今から?」

「今から」

「俺、晩酌の途中だったんだけど」

「何を飲んでいたんだい?」

「何時ものワンカップ」

 男がそう言うと、同僚は面白そうに笑った。

「美味しいお酒とラーメン、奢るから」

 また耳元でスマホが震えた。

 再び耳を離して画面を見ると、美味しそうなラーメンの画像が貼られていた。時間も時間なので、男の腹が鳴った。僅かに口内に唾液も溜まる。

「飯テロじゃん」

「飯テロだよ。一緒に行ってくれるだろう?」

 仲間内からは仏だと言われている同僚の、鬼のような卑怯な所業に男は素直に白旗を振った。



「なんで普段、持たないんだ?」

 座敷席でラーメンを啜っていた最中に、唐突に振られた話題に、男は向かいに座る同僚を見た。

「それ」

 同僚が指差すのは、男のスマホだ。今はもう音が鳴る状態で、男の座る座布団から少し離れた位置に無造作に置いてある。それは無意識で置いたものではあるが、意識的に遠ざけてもいた。

「喧しいところはあるけれど、便利だろう?」

 それはもう何度目かの話題だった。

 同僚の、持たない事を責めているわけでは無い純粋な疑問に、男はされど視線をずらして首を傾けながら唸った。

 大体いつも、仕事の時以外は男のスマホは無造作に放られている。男が電話にすぐ出るのだって、メッセージを早めに返すのだって、男が偶々ゲームやら動画鑑賞やらをスマホで行っていた時くらいだ。

 仕事柄、気が付かないで終わるなんて事は無いが、相手は随分と待たされることが多いので、結果として、やっている事はともかくとして仏だと言われている腐れ縁の同僚に男の相手が割り当てられることが多かった。

「なんか嫌なんだよ」

 唸ってからたった一言、曖昧な男の返事に、同僚は少しだけ首を傾げた。それも既に何度目かのやりとりだった。

 それ以上は言わずにラーメンを啜る男に、同僚もそれ以上突っ込まずに、三杯目のラーメンを啜り始め、結局今日も同僚の疑問は宙ぶらりんのまま終わった。



 満腹の腹を抱えて家へと帰って来た男は、電気も付けずに、付きっぱなしだったパソコンへと足早に向かった。

 出掛け際に電気は消したのに、パソコンはまた見るからと点けっぱなしだったが、連日点けっぱなしだったことにラーメンを啜っている時に気が付き、そろそろ電源を切ることにしたのだ。

「また、適当に置いた」

 酒瓶片手に男の後ろから入って来た同僚は、今さっき男が玄関に置いたスマホを片手に、苦笑しながらパソコンを落す男の元へと歩いていく。

「適当に置いといてくれ」

「置いとくのは良いけど、適当が過ぎると持っていかれるよ」

 言外に玄関に置くなと言われて、男は棚を指差した。同僚は指差された棚へとスマホを置く。

「怒らねえんだな仏は」

 揶揄い言う男に、同僚は軽く笑って、酒瓶をテーブルへと置いた。

「仏じゃないし、怒らないだろ。そんな事で」

「この間、組んだやつは死ぬ程、怒った」

「それはお前とこの間の奴の相性が悪かったんだろうよ。案の定、この間のは仕事を終えた」

 笑い言う同僚に、男も笑った。

「あ、電気」

 そうしてここに来て、初めて電気を付けていない事に気が付いた男は、自分のグラスを取り出し始めた同僚を脇目に、電気を付けに向かった。



「なんか嫌なんだよ」

 目を閉じる同僚の隣、酒が回った男はぼんやりと棚を見上げながら呟く。空けたワンカップの瓶とグラスに何杯注いだのか男も同僚も覚えていない。覚えている事と言えばくだらない話をしたと言う事くらいだ。

「あんなに薄っぺらくて、落としたら画面が割れるのに。しかも手に収まるのに」

 男が力を入れたら、或いは不注意で落としたら簡単に壊れてしまいそうなほど、精密な機械。時にはそれのお陰で庇われたことだってある。

 男は一瞬だけ視界を定めて、薄い黒の板を見た。

 色々が混ざった通信機器は確かに便利だ。思ったほど壊れやすくもないし、ゲームは面白いし、男は案外、スマートフォンと言う機械自体のことは実はそれほど嫌いでは無い。

 だが。

「あれで繋がる一本で、たった数行で、たった数分で、人の命のやりとりが出来るとこがなあ」

 だが、スマートフォンは繋がっている。どこまでも繋がる通信機器である。繋がる機械であるから、男にとっては命のやりとりを行う機械でもある。何処かの誰かを消してくれと乞われるための機械でもある。

 だから男は、何処かへと置きっぱなしにする。

「なんか嫌なんだよなあ」

 男はやはりぼんやりとした視線のまま、棚を見上げていたが、数分もするとそのまま眠りに落ちた。



 今日も、薄暗い部屋の中で軽快な音楽が流れると、男は何処かに置きっぱなしにしたそれを探し始めた。

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