万能便利なすまーとほん

柚城佳歩

万能便利なすまーとほん

大学の講義の一限目が休講になったのを忘れて、いつも通りの電車に乗ってしまった金曜日。

押し出されるように降り立った、人で溢れる駅のホームですれ違った小さな影を何気なく目で追うと、その影は電車に乗り込む人の波にあっという間に飲み込まれた。

反射的に手を伸ばし、隙間から伸ばされた手を掴んで引っ張り現れたのは、私の腰ぐらいまでの高さの子ども。


「大丈夫?怪我してない?」


ハロウィンでもないのに、何かのコスプレだろうか。黒魔術の儀式で身に付けていそうな、黒っぽい大きなフード付きの服を着ている。


「いやぁ助かった。ニホンの満員電車というものを一度体験してみたかったんだが、いやはや想像以上に凄まじい」


フードの下から覗いたのは、丸い大きな瞳が可愛らしい、まだ幼さを残した男の子。

顔の印象とどこか老成した口調がひどくアンバランスだ。


「ワタシはロウ。改めて礼を言う。先に言っておくが迷子ではないぞ」


まるで心の中を読んだかのようなタイミングで自己紹介をされる。


「今日はニホンに観光に来たのだ。そなたらの国で言う、可愛い子には旅をさせよというやつじゃな」


たぶん違う。言下に思ったものの、ややこしくなりそうなので口には出さない。


「ところでスカイツリーとやらに行きたいのだが、そなた行き方は知っておるか?」

「まぁ、スマホで行き方を調べれば」

「おぉ!すごいな。ではぜひ連れていってはもらえぬか」

「え、今から?私、この後大学があるんだけど……」

「ダイガク!そこも興味があるぞ。ならばまずそちらから行こうかの」


とんでもない。こんなのを構内に連れ込んだら、いろいろと面倒くさい事になるに決まっている。

下手に放り出しても、勝手に後をついてこられたりしたら困る。


「いやいやいや、ここはぜひ初志貫徹しよう!私、今日は一日付き合うよ。他にはどこに行きたい?」


今日の講義は諦めよう。

財布の中身を思い浮かべながら、この不思議な男の子の道案内に徹するため、スマホの地図アプリを起動させたのだった。




「実に満足じゃ。水族館、浅草、動物園、鯛焼きや人形焼きというのも美味しかったし、人力車というのも面白い体験であった」


あれも見たいこれも見たいを断りきれずに叶えてあげていたら、見事なまでに財布がすっからかんだ。


「そういえば、今日一日お主の隣で見ていて思ったのだが、手に持っているそれは何の道具かの?」

「これ?スマホだよ。今時別に珍しくもなんともないけど。見たことないの?」

「すまほ、とは」

「スマートフォンの事。電話やメッセージだけじゃなく、動画や音楽の視聴、ゲームも漫画も地図も使えてお財布にもなるモバイル機器」

「なんと便利な!しかし、似たようなものならワタシも持っておるぞ。ほれ」


そう言ってロウくんが出したのは、掌サイズの手帳のようなもの。


「スマホというのが略称ならば、これもスマホと呼べるだろう。“スマートほん”だからな」


得意気に笑う顔と、彼の言うを見比べる。


「どう見ても手帳か文庫本にしか見えないんだけど。これで何が出来るって言うの?」

「大抵の事ならばどんなものでも。連絡手段にもなれば、旅の記録や物の出し入れ、願えばどんな場所でも見たい景色を映してくれ、今日の運勢、未来予知まで何でもござれじゃ」


本当だろうか。胡散臭い事この上ない。

胡乱げな視線を向けているにも関わらず、彼は名案を思い付いたとばかりにずいっと体を寄せてきた。


「興味があるかの?ならばお主のスマホと一日交換しようではないか!今日は散財させてしまったからの。手始めに運勢を占ってから何かクジでも株でもやってみるとよいぞ」


ではまた明日この場所で。断る間もなくスマホを入れ替え、ロウくんの姿は瞬く間に見えなくなった。


「ちょっと待ってよ!使い方聞いてないんだけど!っていうかスマホ返して!」


私の叫びは虚しくも風に掻き消された。




翌朝。

スマホをチェックしようとして、ロウくんに奪われた交換されたのを思い出す。

連絡の取りようがないから、彼の言った「一日だけ交換」というのを信じて、今日はこのスマート本とやらを使うしかない。


「使うったって、ただの本じゃん……」


そう言えば、占いがどうとかも言っていた。

その後株でもクジでもやってみるといいとも。


「中も何も書いてないし。本当に占いなんてしてくれるの?」


すると急にページが光だし、開いていたページに文字が浮かび上がる。


『今日のあなたはラッキー!会いたかった人にも会えるかも。ラッキースポットは十時の駅前商店街。お気に入りの靴を履いて出掛ければ、昨日失ったものを取り戻せるはず』


「……なんか、いやに具体的なんだけど」


本当に胡散臭い事この上ない。

けれど、興味も時間もあるのは確かで。


「ここは騙されてみますか」


一目惚れして買ったお気に入りのスニーカーを履いて家を出た。




時刻はもうすぐ十時に差し掛かる。

商店街でまずクジと言えば現在開催中の福引きだけれど、これは福引券を集めなければ参加する事は出来ない。

なので全国共通のクジ、すぐに結果がわかるスクラッチに挑戦する事にした。

開店早々の宝くじ売場にて一枚だけ購入しその場で削ると。


「嘘……」

「あら、おめでとう三万円!今換金してあげるわね」


呆然とする私の手元から今しがた買ったばかりのクジを引き取り、受付のおばさまが一万円札を三枚手渡してくれる。

これはまさに、昨日失ったお金ものを取り戻した状態だ。

もしかしてこのスマート本、想像以上にすごい代物なのでは。


その場に留まると余計な欲まで出してしまいそうだったので、場所を移動し、人の疎らな公園のベンチに腰掛ける。

変な驚きと高揚感が落ち着いたら喉が乾いてきた。


「冷たい水が飲みたい」


スマート本を開いて話し掛けると、文字ではなく、ペットボトルがするすると浮かび上がってきた。

どういう仕組みなんだろう。考えたところで別次元過ぎて見当も付かない。

恐る恐る口を付けてみると、冷蔵庫から出したばかりかと思うくらいに冷たくて気持ちがいい。

ロウくんは昨日、他に何と言っていただろうか。

大抵の事は何でも出来ると言っていた。

見たい景色をどこでも見せてくれるとも。


「地球を上から見てみたい」


今度は開いたページを土台に、下からライトを当てたようにスクリーンが空中に浮かび上がる。

そこに、宇宙から見た地球の姿が映し出された。

綺麗な青に覆われた丸い惑星ほし

ゆっくり、ゆっくりと映像は一周していく。


「人間の入れないような自然を見たい」


すると航空写真をズームしているみたいに、映し出された地球にぐぐっと迫り、どこかの森に切り替わる。

鬱蒼とした場所で、見た事もない魚や鳥がいて面白かった。


水を出した時と同じ要領で時折お菓子やパンを調達しながら、様々な場所を見て回る。

自分の住む街を鳥の目線で見るのも新鮮だった。

いつの間にか日が傾いて、約束の時間も近付いてきていた。

思いの外このスマホに夢中になっていたようだ。


そう言えば朝の占いには、会いたかった人にも会えるかもとあった。

現実的に考えれば、今一番会いたいのは私のスマホを持ったままどこかへ消えたロウくんなのだけれど、夢でもいいから会いたいと願う人は。


「……もう一度、おじいちゃんに会いたい」


一分、二分。これまではすぐに反応を返していた本も、今度ばかりは何の変化もない。

さすがに死んだ人に会いたいというのは無理だったようだ。

ちょっと期待してしまったために残念ではあるけれど仕方がない。

本を閉じようとした瞬間、白紙のページが再び光り出す。

キラキラとした粒子が集まり、見覚えのある景色と懐かしい姿を映し出す。


そこは、おじいちゃんの家だった。

昔ながらの平屋の縁側。

小さい私の隣に、まだ元気だった頃のおじいちゃんが座る。


『また絵で賞をもらったそうじゃないか。すごいなぁ』

『絵描くの、楽しくて好き!』

『そうかそうか。絵でも何でもいい。好きなものがあると、人生を明るくしてくれる。この先も好きだと思えるものとたくさん出会えるといいな』

『私、大きくなったら絵を描く人になる!絵本を作る人になる!』

『それは楽しみだ』

『完成したら、一番に見せるね!』


優しく笑うおじいちゃんの顔を最後に、映像が終わる。

もう曖昧になりかけていた顔も声も、今再びしっかりと記憶に焼き付いた。


――これで何が出来るって言うの?

――大抵の事はどんなものでも。


あの言葉は嘘じゃなかった。

本当に、見たいものを見せてくれた。

そうだ、私は絵本作家になりたかったんだ。

あの約束を叶える前に、おじいちゃんは亡くなってしまったけれど、大切な思い出と夢を思い出させてくれた。

次会ったらロウくんに文句を言おうと思っていたのに、これではお礼を言わなきゃいけないな。




「おー、来た来た。お主のスマホ、存分に楽しませてもらったぞ!」


昨日別れた場所で、ロウくんが大きく手を振っている。

両脇にはたくさんの紙袋。

しっかり観光を楽しんだらしい。


「で、そちらは楽しめたかの?」

「うん、とっても。忘れてた気持ちも思い出せたよ。ありがとう」

「それならば良かった。約束通り、そなたのスマホを返そうと思うのだが……」

「どうしたの?」

「また、時々貸してはくれまいか」


異次元的な便利さのスマート本を持っているというのに、電子機器のスマホがよっぽど気に入ったらしい。

小さな手がいかにも名残惜しそうに私のスマホを差し出している様子が何だかおかしくてつい笑ってしまった。


「いいよ、時々ならね」

「まことか!それとニホンはまだまだ見たいところがたくさんあってな!温泉というものにも興味があるのだ!」

「じゃあ今度は温泉に行ってみようか。案内するよ。あ、でも次は割り勘だからね」

「もちろんだ。まずはどこから行こうかの」


帰ったら絵を描こう。

思い付くままに描きたいだけたくさんの絵を。

そして、この奇妙な少年とのお話を、いつか絵本にするのもいいかもしれない。


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