家にスマホを忘れてきてしまった人

関根パン

家にスマホを忘れてきてしまった人

 駆け足で電車に乗り込んだ私は、ブレザーのポケットに手を入れてスマホがないことに気づいた。


 スカートのポケットにもない。鞄の中もあさり、あさっても見つからず中身を全部床に出す。やはりどこにもなく、近くにいたおじさんに舌打ちされただけだった。


 スマホを忘れてしまった。


 まあ、一日くらいなんとかなるだろう。私はスマホをじっと見つめる人ばかりの車内で一人、高速で通り過ぎていく鉄橋の柵をぼんやり眺めた。


 学校の最寄駅で降りて、私は急いで改札を出て駅の外に出た。今、乗ってきた電車だと、遅刻になるかどうかぎりぎりのラインだ。私は今の時刻を確認しようとポケットに手を入れた。


 スマホは忘れてきたのだった。


 スマホさえあれば、すぐに今の時刻を確認できるのに。あたりを見回しても時計はない。探している暇があるなら、とっとと進んだ方がいい。私は息を切らしながら、スマホを忘れたことを悔やんだ。



 なんとかすべりこみでホームルームに間に合い、遅刻は免れた。ほっと一息ついたのも束の間、私は重大なことに気づいた。


 今日は外で体育の授業がある。体操服とジャージを持ってこなければならない。しかし、さっき電車で鞄の中身を確かめた時に、そんなものは入ってなかった。


 でも、今は空が曇っている。このあと雨が降るかもしれない。先週から体育館は改装工事をしているから、雨が降れば教室で自習になる。この可能性にかけるしかない。ホームルームを終えてから、私はこの辺の今日の天気を確認しようと思い、ポケットに手を入れた。


 スマホは忘れてきたのだった。


 スマホさえあれば、すぐに気温も湿度も降水確率もわかるのに。仕方なく私は、窓から見える曇り空に、もっと曇れと祈りをささげた。



 祈りが通じたのか雨は降り、体育は教室での自習となった。間に合わせのプリントはほとんど難しい問題もなくあっという間に終わってしまった。


 先生も席を外し、ほとんど休み時間のようになってしまった教室で友達が話しかけてきた。


「あの映画見た?」


 友達は映画好きで、おもしろい映画を見たらすぐに教えてくれる。話を聞けば確かにおもしろそうだ。新作が上映中らしい。私は上映館と時間を調べようと、ポケットに手を入れた。


 スマホは忘れてきたのだった。


 スマホさえあれば、今すぐ確認して予約もできるのに。私は仕方なく帰ったら調べてみるとだけ伝え、ネタバレに配慮した友達の解説を聴いた。



 昼休みになり、教室はがやがやとしていた。近くにいた男子のグループの中で、社交性の高い男子が話しかけてくる。


「ねえ今、ひま?」


 聞けば今、アプリゲームをやっているが、もう一人頭数が欲しいらしい。ゲーム自体にはそんなに興味はないが、そのグループに気になる男子がいる。大人しそうな男子だから、こういう機会でもないと交流が持ちにくい。私はひまだと頷いてポケットに手を入れた。


 スマホは忘れてきたのだった。


 スマホさえあればゲームに参加して、それをきっかけに仲良くなって、そのうちデートに誘われたりもしたかもしれないのに。


 私は「ごめん。やっぱ用事あったわ」とつぶやき、用事もないのに教室を出た。後ろから楽しそうな声が聴こえた。



 学校から帰る途中でコンビニに寄った。


 今日は新巻が出れば必ず買う漫画の、単行本の発売日だ。財布はちゃんと鞄に入れてきた。私は手に取りレジに向かい、財布を開いた。


 小銭が数枚しか入っていない。これでは微妙に足りなかった。でも、ひょっとしたらいくらかチャージがあったかもしれない。私はポケットに手を入れた。


 スマホは忘れてきたのだった。


 スマホさえあれば、単行本を買ってめちゃくちゃいいところで終わった前巻の続きが読めるのに。私は仕方なく、レジを離れた。


「きゃああ!」


 漫画を棚に戻したところで、レジの方から悲鳴が聞こえた。振り返ると、帽子を目深にかぶった男が店員に拳銃を突きつけている。


「レジの中の金を鞄につめろ」


 男は教科書通りの台詞を言った。幸い、私のことにはまだ気づいていないらしい。私は動揺しながらも、何かできることはないかと考えた。そうだ、警察に電話をしよう。


 スマホは忘れてきたのだった。


 スマホさえあれば、警察に電話をかけて今の状況を音声で伝えられるのに。私は他にできることはないか考えた。そうだ。今の状況を動画で生配信しよう。


 スマホは忘れてきたのだった。


 スマホさえあれば、生配信に気づいた誰かが警察に通報してくれるかもしれないのに。私は他にできることはないか考えた。


 しかし、できることはない。このままじっと息を潜めている方が良さそうだ。と、思ったところで、さっき戻したはずの漫画が安定しておらず、棚から床に落ちて音を立てた。


「なんだ?」


 強盗犯がこちらに振り向き、私の存在に気がつく。私はポケットに手を入れたままだった。


「おい、手を出せ」


 私は言われた通りに手を出した。


「お前、通報したな?」


 私は首を横に振った。


「じゃあ、なんで今ポケットに手を入れてた? したんだろ! 通報したんだろ!」


 私がぶんぶん首を横に降っても強盗は聴く耳を持たなかった。


「くそっ、終わりだ! 最悪だ! くそみたいな人生だったが、最後までくそだ! 警察に捕まるくらいなら俺はここで死ぬ!」


 そう言うと、男は私に拳銃を向けた。


「お前は道連れだ」


 理不尽な宣言に続いて銃声がした。


 嘘でしょ。本当に撃っちゃった。左胸のあたりに強い衝撃が走り、私はその場に倒れ込む。人生最後の一日にしては、なんて間抜けな一日だったんだろう。薄れゆく意識の中で、私はそんなことを考えていた。





 目が覚めた時には病院にいた。


「気が付いた。よかった」


 母親が泣きそうな顔でこっちを見ている。どうやら生きてたらしい。胸を撃たれたのになぜ助かったのだろうと思っていると、母親はぐにゃりとひしゃげたスマホを私に見せた。


 それは私のスマホだった。


 家に忘れたと思っていたスマホは、Yシャツの胸ポケットにずっと入っていた。そういえば朝出かけるときにバタバタしてシャツのポケットにつっこみ、その上からブレザーを着てしまったから気づかなかったのだ。私は間抜けのおかげで一命をとりとめたのだった。


 銃弾を受け止めるなんて頼もしい強度のスマホだけれど、これではもう使えそうにない。


「新しいの買わないとね」


 生きていたことにすっかり安堵した私は、ちょうど新しいのほしかったからラッキー、などと、もう現金なことを考えていた。


 買ったらあのアプリゲームをすぐに落とすんだ。また誘ってもらえるかな。




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