第10話 臨月
臨月になり、二週間毎の診察から一週間毎の診察に切り替わった、最初の診察日。エコー画像で胎児の大腿骨の長さや、頭部の大きさ、推定体重を計り終えた産科医に、計った推定体重を教えてもらう。それは標準より小さく、少な目らしい。それより、私は気になった事を産科医に尋ねる。
「先生、二週間前から、推定体重がほとんど変わってないみたいですけど?」
むしろ、二週間前よりもちょっと減っている。胎児の推定体重が減るなんて事があるのか、ちょっと不安になる。
産科医はカルテを確認しながら
「ああ、本当だね。そろそろ生まれてくるかも知れないね。」
そう答えた。
その日の夜、私は夢を見た。
私はとても大きな大樹の枝に腰掛けていた。樹齢は数百年、ひょっとしたら、千年以上あるのかも知れないと思えるほど、その木は大きく、枝に寝そべるように寄り掛かっても、手も足も枝からはみでず、揺れもしない。
枝の下には和風の屋敷があり、人の出入りが激しい。どうやら、誰かが産気付いてるらしく、屋敷にいる人達はその準備に追われているらしかった。
下の屋敷の様子には大して興味も惹かれず、私は上を見上げる。大樹はどこまでも伸びていて、その幹の上をどこまでも歩いて行けそうだった。大樹の力強さとその生命力の美しさに感動しながら、見惚れていた。空の青とのコントラストも美しい。
私はどこまでも伸びていく幹を歩いて行こうと思い立つ。これから歩く事を思うと、冒険をまえに期待で胸を膨らませる子供のようにわくわくとしていた。
場面は突然切り替わり、私は広い講堂の中に座っていた。食堂かも知れない。飾りも何もない、真っ白な味気のない、だだっ広い部屋。そんな部屋の中、横幅はそんなに広くないテーブルを挟んで、向かい合わせで、大勢が座っている。百人、二百人…もっといるかも知れない。誰もが声を出すこともなく、静かに座っている。
歩いている人が二人。一人は盆を捧げ持ち、歩いている。二人は私の所まで来ると足を止めた。盆には札が二枚置かれていた。
盆を捧げ持つ人の前を歩いていた人が、盆から札を一枚とり、
「おめでとう。」
そう言って、私の目の前にその札を置く。
なんて書いてあるのか分からない札を眺めながら
(何がおめでとうなんだろう?)
と考えつつも、さっきまで見ていた大樹の力強い美しさをもう一度、見たいと思っていた。
目が覚めると、あれだけ大勢の人がいたのに、二枚しかなかった札の事がやけに気になった。
その日の午後、兄達と父親に見守られる中、末っ子は産まれてきた。
産まれてきた子の顔を見るなり、産科医は駅伝で走り終えた人が使うような酸素吸入器をその子の口と鼻に当て、体をマッサージし、何かを確認しているようだった。
兄達の時には十分に時間をとったカンガルーケアもほんの僅かな時間で終了し、新生児室に連れて行かれてしまう。
カンガルーケアとは産まれたばかりの子を母親の胸に直接抱かせるケアの事で、お腹から出てきた子に安心感を与えるとともに、母親の母性本能を刺激し、その後の親子関係を良好にするためにも行う産院が多いらしい。
胸に抱いた子をあっという間に連れて行かれ、寂しく思うも、最後まで、生きて産まれてくると信じられなかった子が生きて産まれてきてくれた事に、安堵して、全身の力が抜ける。
しかし、分娩室から個室に移る前に産まれたばかりの子は保育器に入れられ、新生児室を出てきた。NICU(新生児集中治療室)がある病院に救急車で搬送するのだと言う。
看護師の説明をうまく飲み込めない。
それでも、救急車の到着後すぐに、産まれたばかりの子は搬送されて行った。
暫くして、染色体異常の子は殆どが初期流産し、生きて産まれてくるのは10人に一人か二人だと聞いた。その話を聞いて、私はお盆に乗せられた、たった二枚の札を思い出した。今は出産前診断で染色体異常と診断の出た子は堕胎を選択される事が多いと聞く。生きて産まれてくる子はもう少し、減っているかも知れない。
楽しい事も、大変な事も、生きて産まれて来てくれなければ、何も出来ない。何もしてあげられない。どんな困難を持ち産まれた子であれ、一緒に過ごせる時間を持てる事を幸せに思う。生きて産まれてくれた事に感謝を。
夢の記録 詩悠 @shiyu2021
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