スマホなんかなくても

尾八原ジュージ

スマホなんかなくても


 斎藤、怒るかな。

 指定された店へと向かいながら、俺は彼の意志の強そうな顔を思い出していた。会うのは実に一年ぶりだ。その間に俺に起こった変化を知ったら、斎藤は何と言うだろうか。

 目的地の居酒屋に到着した俺は地図アプリを閉じ、格子戸を開けた。

 斎藤は一番奥のテーブル席で俺を待っていた。一ヵ月前、テレビに映って俺を驚かせたままの姿だった。

「よう柴田。元気だったか?」

「おう。いやぁびっくりしたよ。有名になっちゃったな、斎藤は」

「いやいや、ただのしがないエンジニアだよ。俺は」

 斎藤はそう言うが、彼の作る義肢は多くの人を救うだろう。学生時代から真面目で努力を惜しまない男だった。

「悪かったな柴田。俺から指定しといてなんだけど、この店ちょっとわかりにくかっただろ」

「いや……大丈夫だった。スマホアプリ使ってきたから」

 そう言うと、和やかだった斎藤の表情がスッと固まった。俺はズボンのポケットからスマホを取り出し、彼に見せた。

「機種変、したんだ……去年……」

 みるみるうちに斎藤の顔は白くなり、そして今度は赤くなった。

「こ、この……裏切者!!」

「ま、待て待て! ここお店だから! 静かに!」

 斎藤の怒声に驚いた客や店員がこちらを見ている。俺は彼をなだめながら向かいの席に座った。

「そりゃ俺だって約束を忘れたわけじゃないよ。でもさ、俺の使ってるキャリアはもう、ガラケーを取り扱ってないんだ……」

「じゃあ無線機でも持ち歩け!」斎藤はむちゃくちゃなことを言いながらテーブルに拳を振り下ろした。ダンッという音と共におしぼりが跳ねた。

「俺たち約束したじゃないか! 絶対にスマホは持たないって!」

「うん、まぁ、したよ。それは忘れてない」

 スマートフォンが一般に普及し始めた頃、高校生だった俺たちの周りでも、さっそくスマホを持ち始める奴らがいた。斎藤と俺はそいつらを散々揶揄し、「画面がすぐ割れそう」だの「見た目がかっこよくない」だのとなじった。その上「俺たちは絶対にスマホなんか持たない」という盟約を結んだのだ。

 確かにあの頃の俺は、こんな板みたいなものが流行るわけがないと思っていた。今は話題になっていても、そのうちスマホなどすぐに見かけなくなり、皆ガラケーに戻ってくるだろう、と。

 しかし現実はどうだ。今やスマホを持っているのは当たり前、それを前提としたやりとりが要求される。目立った取り柄のないサラリーマンの俺が、自社や取引先の人々と円滑なコミュニケーションをとるためには、スマホが必要なのだ。

「マジか……俺ひとりになっちまった」

 斎藤はぐったりと落ち込んだように見えた。思ったよりも怒らない……いや、それどころか悲しそうな様子で肩を落とし、テーブルに置かれたビールをあおり始めた。

「わかってんだよ俺も、くだらない意地だってことは……でもあれだけ言っといてホイホイスマホに変えられるか? あ、お前は変えたのか……」

「ご、ごめんな……じゃあさ、お前だって変えればいいじゃん、スマホに。ほらこれ、先月やったうちの妹の結婚式。ガラケーだとこういうの、お前に送れないだろ?」

 俺は斎藤に自分のスマホ画面を見せた。

「あ、いやそうでもない」

 斎藤はそう言いながら左手の人差し指を外し、そこから端子を伸ばした。「直接俺に送ってくれれば」

 俺は動揺しつつ、言われた通り自分のスマホと斎藤の指を端子でつないだ。斎藤は受け取った写真を直接網膜に映しながら「スマホってきれいに写真撮れるもんだなぁ」と感心している。

 より優れたサイバネ義肢を作るために自らを実験体として使ってきた斎藤の肉体は、いまやほとんどサイボーグと化しているのだ。

「……なぁ斎藤、お前ってインターネット使うときどうしてる?」

「ああ、直接脳につないで視界のこの辺に表示させてるよ」

 斎藤は何もない右上を、指でクルクルと指さした。

「電話とかも自力でできるの?」

「おう、通話機能入れたからな。文章でのメッセージもやりとりできる」

 嬉しそうにあれこれ説明してくれる斎藤に半ば呆れながら、俺は「なんかさ……もうそれ、お前自身がスマホみたいなもんじゃない?」と言ってみた。

「ははっ、またまたぁ」

 斎藤はまだ人間のままの顔半分を緩ませ、学生時代と同じように笑った。

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スマホなんかなくても 尾八原ジュージ @zi-yon

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