スマートフォンはじめました。

戸松秋茄子

What do you call a smartphone?

「この学校、ちょっと変かも」


 ユミは転校してすぐ、そんなメッセージを送ってきた。


「どこが?」


「まだよくわかんない」泣いてるウサギのスタンプ。「わたしの早とちりかも」


「誰かいじめられてたり?」


「そうじゃないんだけど」今度は腕組みして考えるウサギ。「うまく説明できない」


「何それ」


「ねえ」とユミ。「スマホってスマホだよね?」


 なんとも要領を得ない。


「電話なら話せる?」


「うん」


 そうして、ユミと久しぶりに話すことになった。




 ユミが引っ越したのは、とある内陸の地方都市だった。よく知らない街だけど、少なくとも子供がほとんどいないような田舎とか、ハイソな高級住宅街とかではないことはたしかだ。


 同じ日本という国である以上、方言こそあれど言葉は通じるだろうし、同世代でそこまで価値観がずれることもない。そのはずだった。


「これはまだ勘違いかもしれないんだけど」とユミは前置きした。「ここの子たちは『スマホ』のことを『スマフォ』って呼んでる気がするの」


 たしかに口頭で両者をはっきりと聞き分けるのはむずかしいかもしれない。「スマホ」と言っているつもりでも「スマフォ」と聞こえてしまうこともある。


「一度や二度、そう聞こえただけなら、わたしもそう思ってたんだろうけど」ユミは言った。「一人だけじゃないんだよ。男子も女子も、みんな『スマフォ』って言ってるように聞こえる」


「転校したばかりでナーバスになってるんじゃない?」


「そうかもしれないけど――でも、単にそう聞こえるってだけのことじゃないんだよ」


「どういうこと?」


「クラスの子と話してるとき、わたし、『スマホ』って言ったの」


「そしたら空気が凍りついた?」


「そこまでじゃないけど、一瞬変な間があった気がするの」


「うーん、やっぱり気にし過ぎなんじゃない? 何も言われなかったんでしょ?」


「そうだけど、言い間違いか聞き間違いだと思われたのかも」


「『スマホ』って言ったのはその一回だけ?」


「うん、何か怖くて」


「気にしすぎだと思うけどなあ」


「ねえ、試しに一回『スマホ』って言ってみて」


「スマホ」


「そうだよね、『スマホ』だよね」ユミは言った。「いちおう、『スマフォ』の方もお願い」


「スマフォ」


「やっぱり聞き分けられる」ユミは言った。「じゃあ、どういうこと?」


「わたしに訊かれても」




 翌日も、ユミと電話することになった。


「やっぱり『スマフォ』って言ってると思う」ユミは電話がつながるなり言った。「間違いなく、そういう空気があるよ」


「なんでそう思うの?」


「わたし、勇気を出して何度か『スマホ』って言ってみたんだ」


「探りを入れたわけだ。そしたら?」


「やっぱり変な間があるの。それに、わたしが言うと、これ見よがしに『スマフォ』って言ってくるんだよ」


「注意されたってこと?」


「ううん。直接は何も言われない。でも、わかるでしょ? それとなく、というには少し不自然な感じで会話の中に入れてくるの。『そうそう、わたしの『スマフォ』がね』――って感じで」


「本当かなあ」


「本当だって!」ユミは叫んだ。「わたしがなんでこんな嘘つくの?」


「いや、そこは疑ってないんだけど、やっぱり聞き間違いとか。ほら、訛りとか」


「『スマホ』の発音に方言とかある?」


「イントネーションは変わってきそうだけど」わたしは苦笑した。「一回言ってみてよ。クラスの子はどんな感じで言うの?」


「スマフォ」


「普通に『スマフォ』って言ってるだけだね」


「実際、そう言ってるの」


「もう直接訊いてみたら?」


「やだよ。だって向こうからは何も言ってこないんだよ。触れてほしくないヘヴィな事情とかあったらどうするの」


「ヘヴィな事情って何」


「知らないけど、たとえば担任の先生の遺言とか」


「どんな遺言なの、それ」わたしは呆れた。「というか、『スマフォ』って言うのは、そのクラスだけなの?」


「わからない。まだ他のクラスとは接点がないし、通りがかりじゃ聞き取りづらいでしょ? 疑い出したら全部『スマフォ』に思えてくるし」


「……とりあえず、クラスのことから確かめよっか」わたしは提案した。「次のステップは、LINEだね。それなら文字で『スマフォ』なのかどうかわかるでしょ」


「それはすぐわかると思う。グループに入れてもらったから」


「いっそ、自分から『スマホ』って入れてみたら?」


「やだよ! スクショされたらわたしが『スマホ』派だって証拠が残っちゃう!」


「証拠って……」


「とにかく、こっちからは動かず向こうの出方を探ってみるよ」




 後日、また連絡があった。LINEでもやはり例外なく「スマフォ」だったらしい。


「どうしよう、これで決定的になっちゃった」ユミはこの世の終わりのような声で言った。


「やっぱり一度『スマホ』って入れてみなよ。その後、すぐ打ち間違いだったって言えばいいんだから」


 ユミはそれには答えず、とんでもないことを言い出した。


「ねえ、もしかして『スマフォ』っていうのはわたしたちが知ってる『スマホ』とは別のものなのかな」


「何、そのコペルニクス的転回」


「だってさ、そっちでいた? 『スマフォ』なんて言う人」


「改めて訊かれると自信がなくなってくるけど、でも、いないと思う。ユミの話を聞いて気にするようになったし、少なくともこの数日はみんな『スマホ』って言ってるよ」


「だよね。よかった。わたしも自分の記憶に自信が持てなくて」ユミは言った。「わたし、最近テレビとかYoutubeとかで『スマフォ』って言ってる人がいないか探してるの。だけど、いない。だからやっぱり『スマフォ』と『スマホ』は別物なんじゃないかって」


「でもさ、クラスの子の『スマフォ』って普通の『スマホ』なんでしょ?」


「そう見えるけど、みんなカバーしてるから……」


「画面を見た感じは?」


「普通の『スマホ』に見える」


「でしょ? 『スマホ』なんだって。そもそも『スマフォ』って何? 何を略したらそうなるの? わたしたちが使ってるのは『スマートホォン』でしょ」


「そうだよね。『スマートホォン』だよね。『スマートホォン』が『スマフォ』になる理由なんてないよね」


「でしょ? 『スマホ』より文字数多いし、微妙に言いづらいし。おじいちゃんおばあちゃんなんかは発音できないよ。せめて『スマフ』でしょ」


「たしかに。『らくらくスマフォ』なんて字面だけでもむずかしくて挫折しちゃいそう」


 二人で想像して笑ってしまった。


「ね、おかしいんだよ」わたしは言った。「『ホ』が『フォ』になるなんてさ。そうなる理由がないじゃん。元が『スマートフォン』ならそういう略し方になるだろうけど、『スマートホォン』なんだから」


「うーん、でももしかしたらクラスのみんなが持ってるのはその『スマートフォン』なのかもしれないよ。見た目はほとんど『スマートホォン』と同じでも微妙に違う何かなのかも。『スマホ』と『スマフォ』くらい微妙な違いの何か」


「もしそうだとして、何が違うの?」


「さあ。メーカーとか?」ユミは唸った。「でも、みんなiPhoneアイホォンとかなんだよね」


「本当にiPhoneアイホォンなの、それ。パチモンとかじゃなくて? それなら『スマフォ』でもおかしくないけど」


「偽ブランド的なこと?」 


「そう、その線で一回訊いてみたら?」


「人に『それ偽ブランドのバッグですか』とか訊ける?」


「たしかに」わたしは少し笑った。「でもさあ、探りを入れるのが怖いなら適当に合わせとけば? ユミも『スマフォ』って言っておけばいいんだよ」


「嫌だよ、だってわたしが使ってるのは『スマフォ』じゃなくて『スマホ』なんだよ」


「そうだけどさ、社会ってそういうものでしょ。ときには黒を白と言わないといけないこともある」


「そうじゃなくて、もし『スマホ』と『スマフォ』が別物で、わたしが『スマホ』を使ってるにもかかわらず、『スマフォ』なんて言ってるのがバレたら逆に顰蹙を買うんじゃないって」


「ごめん。複雑すぎる。どういうこと?」


「だから、えっと――知ったかぶりみたいにならない? 周りにそういう子がいたらちょっと引くでしょ?」


「そうだけど――」


 答えに窮する。


「どうしよう」ユミは言った。「わたし、こんなくだらないことで頭を悩ませたくないのに」


「本当だよ、まったく」そこではっと閃く。「あ、そうだ。ユミっていまの『スマホ』けっこう使ってるんじゃない?」


「うん。中学に入ってからだから三年になるかな」


「だからさ、いっそ『スマフォ』に乗り換えればいいんだよ」


「機種変ってこと?」


「そ。『機種変したいんだけど、どの『スマフォ』がいいかな』とか、それとなくクラスの子に相談してみたら? そしたら色々わかるかも」


「たしかに、それならわたしは『スマホ』じゃなくて『スマフォ』がほしいわけだから、『スマフォ』と言っても嘘をついてることにもならない、か」


 もはや何がなんだかわからないが、わたしは言った。「でしょ?」


「でも、大丈夫かな。わたし、『スマフォ』の使い方とかわからないよ」


「大丈夫だって。見た感じ、ほとんど変わんないんでしょ? それに、『スマホ』だってすぐ使い方覚えたじゃん」


「そうだけどさあ」


「はい、この話はこれで終わり」わたしは言った。「もう『スマホ』だとか『スマフォ』だとかは言いっこなしね」


「まだ親が機種変してくれるとも決まってないんだけど」


「ならバイトでも探せば? したいって言ってたでしょ?」


「『スマフォ』を買うためじゃなかったんだけど」ユミは言った。「でも、そうだね。最後の手段として考えとく」


「それがいいよ」


 それから少しだけ『スマホ』や『スマフォ』とは関係のない話をしてから、電話を切った。


 手の中の「スマートホォン」を見つめる。ユミと同じく、使いはじめて三年になる、わたしの相棒。日々、アップデートされ続ける先端技術の結晶。


 愛着はあるけど、電池の持ちが悪くなってきたし、最新のゲームだと処理が重い。


「わたしも『スマートフォン』にしようかな」

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