2F 泣いてばかりもいられない

 トク子さんの案内を終えた私とメグミさんは、エレベータを降りてそのまま時計塔の外へ出た。

 まっすぐ事務所へ戻ろうと、身体を右に向けたところで、事務所の入口付近に立っている二人の後ろ姿が見えた。

 一人は後ろ髪を襟足の位置で切りそろえた、いかにもハツラツとした印象を与えるショートボブで、もう一人は大和撫子のようなサラサラのストレートロングの髪。

 間違いない。あの二人は。

 「おーい、マナツちゃーん、ヤヨイちゃーん」

 私が大きな声で名前を呼ぶと、事務所の前にいた二人がこちらを振り返った。

 「やっと来た。待ってたよヒカリーー」

 マナツちゃんが私の名前を呼び返し、ヤヨイちゃんも控えめに右手を振った。

 二人は私の高校時代からの友人である。

 マナツちゃんはいつも明るく元気で、興味関心の趣くままに行動する活発なタイプだ。社交性もあって、いつの間にかマナツちゃんを中心に人の輪ができていることもしばしば。

 マナツちゃんといると、新しい発見やおもしろい出会いが多くて、私はわくわくと楽しい気分でいられた。

 ただ、稀に見切り発車で物事を進めてしまいそうになることもあるので、そんなときはヤヨイちゃんの出番。

 ヤヨイちゃんは三人の中で一番のしっかり者で、正しくないと判断したことは相手が誰であれピシャリと指摘する。

 もっとも、たいていはマナツちゃんのおふざけと私の無自覚なボケに対してヤヨイちゃんがツッコむといった流れがお決まりだ。

 あまり表には出さないけれど、ヤヨイちゃんは情に厚い側面もある。弱音ばかり吐いてしまう私は、これまで何度ヤヨイちゃんに励まされたことか。

 そんな二人と遊んだり、お出かけしたり。

 これまで一緒に過ごしてきた時間は、私にとってどれも素敵な思い出である。

 二人とも、私の大切な親友だ。

 「二人そろって今日はどうしたの?」

 マナツちゃんとヤヨイちゃんの近くまで着いてから私は尋ねた。

 「これから私の店でヤヨイとおしゃべりするんだけど、ヒカリもどうかなって」

 どうやら二人は私を誘うために事務所まで来てくれたらしい。

 「え、でも、まだ私お仕事中だし……」

 「ほら言ったじゃない。私は仕事中だろうからって止めたのよ」

 ヤヨイちゃんがマナツちゃんをたしなめるように言った。

 「ヤヨイはほんと薄情だよなー」

 「ヒカリに迷惑だから止めなさいってことを言っているの」

 「まぁまぁまぁ」

 別に喧嘩しているわけではないということはわかっていたが、私は手を上下に動かしながら二人をなだめた。

 お誘いは嬉しいけれど、まだ定時まで時間があるし、このあとすぐには難しそうだ。二人を待たせるわけにもいかないし、ここはやんわりと断ろう。

 「ありがとう二人とも。でもやっぱりまだお仕事が終わっていないから……」

 「いいのよヒカリちゃん。いってらっしゃい」

 私の声を遮って、そう穏やかに言ったのはメグミさんだった。

 「今日はもうお客さんも来ないし、CVの整理をするくらいだから、私ひとりで大丈夫よ。お友達との時間ってとても大事だから、楽しんできてね」

 メグミさんはやわらかく微笑んだ。

 「じゃあ遠慮なくヒカリを借りますねー。ありがとうメグミさん」

 「ほんっとうにご迷惑をおかけしてすみません、すみません」

 メグミさん、マナツちゃん、ヤヨイちゃんの三人はお互いすでに知っている間柄であったため、メグミさんにはそのあたりの配慮もあったのだろう。

 それにしても、マナツちゃんの強引っぷりには冷や汗をかいてしまう。

 とはいえ、これから三人でおしゃべりできることになったのは素直に嬉しかった。

 「ありがとうございますメグミさん。お言葉に甘えてしまいます」

 私は喜びを込めてメグミさんにお礼を言った。

 「よし、うるさい娘三人もいなくなったところで、俺はメグミさんとエレベータのメンテナンスに取りかかれるな」

 何の前触れもなく唐突に、男性の声が私たちの会話に参加した。

 「あら、コウジさん。こんばんは」

 「こんばんはメグミさん。エレベータのメンテナンスに来ました」

 その声の主はエレベータ整備士のコウジさんであった。

 コウジさんは各会社のエレベータの修理や管理を担当していて、私たちの乗るエレベータもときどき見に来てくれていた。

 背が高く、細身体型のコウジさんは、違うかもしれないが、メグミさんと同年代だと予想している。

 そして、そのあまりにも目立つ髪色も相まって、私はコウジさんのことを、チャラいお兄さんキャラとみなしていた。

 「コージ、うるさい娘とはなんだ」

 「コージさん、失礼だわ」

 先ほどのコウジさんの発言に対して、マナツちゃんとヤヨイちゃんがブツブツと文句を言っている。

 一方のコウジさんはというと、もうすでに一人の女性しか眼中にないようだ。

 「いつもありがとうございます。今日のエレベータのメンテナンスも、よろしくお願いしますね」

 メグミさんがニコリと笑うと、コウジさんの表情があからさまににやけた。

 「コージ、デレデレだな」

 「コージさん、顔がだらしない」

 「うっさい!俺はあんたたちより年上だ!少しは年上を敬え!」

 コウジさんが喝を入れるものの、二人には暖簾に腕押しであった。

 反省の色がまるで見られない。

 まぁ、コウジさんがメグミさんと話す時にだけ見せる動揺には、鈍い私でも気づいているし……。

 三人のやりとりに、私はただ苦笑いすることしかできない。

 「でもコウジさんごめんなさい。私、これから事務所の中で書類整理をしなきゃいけないから、メンテナンスの立ち合いはできないの」

 メグミさんが申し訳なさそうに謝った。

 「そ、そうなんですか……。ま、まぁでも別に俺一人でもできますから、メグミさんが謝ることじゃないっすよ」

 「コージ、失恋だな」

 「コージさん、ドンマイ」

 メグミさんが立ち会えないのを知ったコウジさんは、明らかに落ち込んでいた。

 それは、マナツちゃんとヤヨイちゃんが煽っているにもかかわらず、ろくに反応ができないほどである。

 「でも、あとで淹れたての紅茶とクッキーを差し入れに持っていきますね」

 「ほ、本当ですか!俺、頑張ります!!」

 ついさっきまで曇っていたコウジさんの顔が、メグミさんの一言によってたちまち晴れやかになった。

 メグミさんの言動ひとつひとつでコロコロと変わるコウジさんの表情は、なんだかとっても、わかりやすい。

 「お、コージ、復活」

 「コージさん、ファイト」

 「お前たち……黙って聞いていれば色々とー!」

 溜まっていた怒りが今にも爆発しそうな剣幕で、コウジさんはマナツちゃん、ヤヨイちゃん、そして私を睨んでいた。

 ど、どうして私まで?!

 「やばい、逃げるよヒカリ!」

 マナツちゃんに手をひかれながら、私もバタバタとその場を駆け出した。


 私たちの向かったお店は、コイン広場の噴水を挟んでオフィス・コーギーと正反対の位置にあった。

 上空から見たコイン広場を時計の文字盤だとした場合、オフィス・コーギーとそのお店の位置関係はちょうど『12』と『6』である。

 マナツちゃんは、そのお店でバーテンダーとして働いていた。

 カウンター席とテーブル席が数席のみしかない店内は、しっとりと落ち着いた雰囲気があり、ジャズミュージックがゆったりと流れている。

 また、店の外にはテラス席も併設されていた。

 店内とテラス席、どちらがいいかをヤヨイちゃんにきかれ、私はすぐさまテラス席を選んだ。

 「今日みたいに星のくっきり見える夜は、テラス席日和だよ。ステラだけに」と渾身の一発を言ってみたのだが、ヤヨイちゃんから「なにおバカなこと言ってるの」とツッコむかのような冷たい視線を浴びるだけに終わった。

 テラス席に座ってからほどなくして、私とヤヨイちゃんの元に黒いベストとソムリエエプロンを着たマナツちゃんが銀のトレイを持ってやってきた。

 「もう、マスターってば人づかい荒いんだから。従業員なんだからドリンクくらいサービスしてくれてもいいのに、『働かざるもの、飲むべからず』ってさ。せっかく今日は休みだったのにー」

 マナツちゃんはトレイの上に乗ったコーヒーカップを三つテーブルに置いてから椅子に腰掛けた。

 「ありがとう、マナツちゃん」

 私は目の前に置かれたソーサーを手に持って、鼻から空気を吸い込んだ。

 カフェオレの甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 私はここのカフェオレが大のお気に入りだった。

 夜中はコーヒーやパフェを楽しむカフェとしての役割が大きいこのお店だが、朝から昼にかけてはビールやカクテルなどのお酒を嗜むバーへと変身する。

 そのため、ここの従業員はみなシックな格好をしていた。マナツちゃんもしかりであるが、その姿はとても板についている。

 「それで、ミナタに関する新しい情報はなにか見つかった?」

 三人が一息ついたところで、私はマナツちゃんとヤヨイちゃんにきいてみた。

 「これといった有力情報はないわね。ただ、やっぱり医者と警察官は見ないわ」

 ヤヨイちゃんが言った後に続いて、マナツちゃんもこくこくと頷いている。

 私がまだミナタに来て間もないということもあり、私自身ミナタのことがよくわかっていない。そこで、私よりも前からミナタにいたマナツちゃんとヤヨイちゃんに協力してもらって、色々と情報を教えてもらっていた。

 「うーん、私も全然見ないなぁ」

 ヤヨイちゃんの発言には私も同意だった。

 ミナタにいる人は様々な職に就いている。例えば私はエレベータガイドだし、マナツちゃんはバーテンダー、ヤヨイちゃんは書店員だ。もちろん他の職業もあるのだが、その中で、現実世界で広く知られているのにミナタでは存在していないかもしれない職業がいくつかあった。

 そのひとつが医者だ。

 医者が存在しない理由は、あらかた検討がついている。それは、ミナタが死後の世界であるため、そもそもミナタの住人に『死』がないからだ。そういった理由に関連しているのか、ミナタの住人が怪我をしたり病気に罹ったという話もきかない。

 現実世界ではまずあり得ない話だ。

 ちなみに、ミナタでは年齢という概念もないようである。ミナタの住人は老いることがないため、死んだ時の年齢がそのまま引き継がれて暮らしていくのだとか。

 それこそトク子さんがいい例だろう。

 そして、医者と同様に、警察官も存在していない可能性があった。

 これはちょっと不思議なのだが、なんとミナタでは犯罪がないらしいのだ。それはつまり、万引きから放火まで、どんな犯罪行為をしても許される、という意味ではなく、それらの行為をミナタの住人が一切しないらしい。

 『死』というものがないからこそ、そういった悪事をはたらかないのだろうか。

 それとも、単なる偶然?

 とにもかくにも、まだあやふやなことが多く、断定できるほどの根拠は持ち合わせていなかった。

 「あとは、お客さんからきいた話だけど、二人同じタイミングで死んだはずなのに、自分だけがミナタにやってきていて、もう一人は見かけない、っていうのもあるんだってー」

 「やっぱり、そうなんだね……」

 マナツちゃんの言ったことも、私の中ではほぼ確定しつつある内容だった。

 死んだ人がみんな、ミナタにやってくるわけではなさそうなのだ。

 さらに、私のように生きている人間が特殊な服を着てミナタにやってくるケースもある。

 いったい、ミナタに来ることができる人は、どういった理由で選ばれているのだろうか……。

 「私が思うに、その人が可愛いかどうかで選ばれているんじゃないかな!可愛い人なら誰でもミナタに来られる!」

 私の心を読んだかのように、マナツちゃんが言った。

 「だとしたら、ヒカリはいいとしても、マナツが選ばれるのはおかしいわね」

 ヤヨイちゃんが神妙な面持ちのフリをしてからかう。

 「なにをー!じゃあヤヨイだって一次選考落ちだ!」

 「なんですって!」

 マナツちゃんとヤヨイちゃんがいつものように歪み合いを繰り広げた。

 「まぁまぁ、二人とも可愛いんだから。でも……」

 「でも……?」

 マナツちゃんとヤヨイちゃんの視線が私に集まる。

 「コウジさんが……」

 「あ……」

 二人とも間の抜けた表情になった。

 「コージは……、ほら、実は可愛い一面もあるから」

 「そして、意外とヒカリもコージさんに毒づいているよね」

 「いや、それは、えっと、あはは……」

 コウジさんごめんなさい!二人を止めるためには仕方なかったんです!

 私は心の中でコウジさんに平謝りをした。

 「でも、だったらいいよね」

 「えっ?」

 最初、マナツちゃんの言ったことが私にはよくわからなかった。

 「可愛い人ならミナタに来られるってことが?」

 「うん。だって、もしそうだったら、マリは絶対ミナタに来ているはずじゃん」

 「……それもそうね」

 マナツちゃんも、ヤヨイちゃんも、このときばかりは真剣な顔に戻っていた。

 そっか、そうだよね。

 マリちゃんなら、来られるよね。

 マリちゃん……、どこにいるの。

 「私は必ずミナタのどこかにいるって信じてる。だから、これからもよろしくね、マナツちゃん、ヤヨイちゃん」

 「もちろん」

 「あたりまえじゃない」

 すぐに返事をくれた二人は、私のことを気にかけているようだった。

 私自身でさえも、どんよりとしたものが心の奥底から湧いてくるのがわかる。

 「なんか、しんみりしちゃったね。どう?もう一杯おかわりする?今日は私のおごりだよー」

 「ありがとう。じゃあもう一杯カフェオレを頂こうかな」

 「私も同じのお願い」

 あいあいさーと言いながら、マナツちゃんが立ち上がった。

 その瞬間だった。

 急な突風が、テラス席にいた私たちを襲った。

 その風によって、私の被る制帽が、ひらりと空へ飛んでいく。


 気づけば私はオルタへと戻っていた。

 コイン広場の石畳の上で、腰をついた体勢になっている。

 真夜中のオルタに人影はまったくなく、座っていた椅子も、OPENと書かれた立て看板も、すべて消えていた。

 ただ、ガス灯の明かりがぼんやりと点在しているだけである。

 オルタに戻ってきてしまったのは、制帽が外れてしまったせい。

 制帽を被れば、すぐにまた二人のもとに戻れる。

 なのに、すぐに立ち上がりたいのに、私の身体は言うことを聞かなかった。

 オルタの町が、私を侵食していく。

 どうしよう。身体が動かない。誰か助けて。

 私の思いは虚しく夜へと溶けていくだけだった。

 マナツちゃんも、ヤヨイちゃんも、助けには来られない。

 だって、二人はもうこっちに来られないから。

 三人の中で、のは私だけなのだから。


 あれは今から遡ること三年前、私が大学二年生のときだった。

 私を含めて四人を乗せた車は、夜の暗い山沿いを走っていた。

 そのときは旅行の帰り道だったため、助手席に座っていた私も、後部座席に座っていたマナツちゃん、ヤヨイちゃんも疲れて居眠りをしていた。

 そして、事故は起きた。

 警察から聞いた話だと、四人を乗せた車がカーブにさしかかったところで、対向車線から走ってきた車とぶつかったのだという。

 車はぶつかった弾みでガードレールを突き破り、そのまま崖の下へと転落した。

 マナツちゃんとヤヨイちゃんは、その衝撃で命を落とした。

 しかし、私だけは崖の下に落ちておらず、奇跡的に一命をとりとめた。

 車の損傷がひどく、どうして私だけが落ちなかったのか、よくわかっていない。

 そして、さらに不幸なことに、ぶつかった対向車線の車も崖の下へと転落して、乗っていた人も亡くなってしまった。

 つまり、この事故はどのようにして起きたのか、私はなぜ助かったのかを知る人がいなくなったのだ。


 でも、そのとき運転していたマリちゃんなら。

 マリちゃんなら真相を知っているかもしれない。


 マリちゃんに会いたい。

 それは、事故の真相を知りたいから、というのもあるけれど。

 それだけじゃない。

 どこにいるの、マリちゃん。

 大好きな親友に、会いたいのに。


 やっと立ち上がることができた私は、落ちている制帽のもとまでよろめきながら進んだ。

 拾い上げた制帽をパタパタと叩き、もう一度、被り直す。


 景色はミナタの町並みへと戻った。

 マナツちゃんとヤヨイちゃんの姿もちゃんと確認できる。

 「ごめんね、急に消えちゃって」

 「いいのよそんな……って、ヒカリどうしたの!そんなにボロボロ泣いて!?ちょっとマナツ!布巾持ってきて!」

 私の顔を見るやいなや、ヤヨイちゃんが叫んだ。

 カウンターにいたマナツちゃんも大急ぎで駆け寄る。

 「なんか、昔のこと思い出しちゃって」

 声を詰まらせながら言った後、私は受け取った柔らかい布巾を顔にあてながら大きく泣いた。

 マナツちゃんは心配そうに私を見つめ、ヤヨイちゃんは私の背中をさすってくれている。

 二人の姿は、三年前から何も変わっていない。

 悲しくて、苦しいほどに。

 「まったく、ヒカリが泣き虫なのは昔っから変わんないなぁ。ほら、元気出して」

 マナツちゃんは皮肉を込めながらも私を慰めてくれた。

 ……マナツちゃんの言う通りだ。私もまだ、あのころからずっと、変わっていないまま。

 しばらくの間、私は涙を止めることができないでいた。

 しかし、ふとメグミさんの言葉が頭をよぎる。

 『私たちも笑顔でいなきゃいけないの』

 そうだ、私はあのとき思ったんだ。

 誰かを笑顔にするためには、自分も笑顔でいなきゃいけないんだと。

 私が悲しくなっている限り、マナツちゃんとヤヨイちゃんも、ずっと悲しいままだ。

 二人には、笑顔でいてほしい。

 そう強く思ったとき、私の涙は自然と止まっていた。

 「ありがとう。ちょっとだけ落ち着いた」

 呼吸を整え、何とか声が出せるようになったところで、私はマナツちゃんにお礼を言った。

 「でもそんなんじゃ、まだ当分は私たちのガイドを頼めそうにないわね」

 ヤヨイちゃんがやれやれと呟いた。

 「うん、私なんてまだまだひよっこのガイドだし……。って、ん?ヤヨイちゃん、今なんて?」

 なんか今、とんでもないことをさらりと言われたような気がしてならない。

 「え、だから、私もマナツも、天国に行くときはガイドをヒカリにお願いしようと思っているけど、少し別れただけでこの様子じゃ先は長そうねって」

 そ、そんな……。

 マナツちゃんとヤヨイちゃんが、天国に行っちゃうなんて……。

 「いや……、二人とお別れするなんてやだよ」

 せっかく止まっていた涙がまた、どうしようもなく溢れてくる。

 「ちょっとヒカリ、はやとちりしないでよ」

 「はやとちり……?」

 「なにも今すぐにってことじゃないわ」

 「そーそー。それに私たちだってせっかくミナタに来られたんだから、生きている間にできなかったことに思う存分チャレンジするって決めてるし!」

 マナツちゃんもヤヨイちゃんも、私を安心させようと必死に言葉をかけてくれた。

 しかし、涙でぼやけた私の視界には、その様子がどこか気丈に振る舞っているように映っていた。

 きっと、本当は二人とも、まだ怖いんだ。

 天国に行くことが。

 でも、いつか、天国に行くときが必ず訪れる。

 その最期を、二人が笑顔でいられるためには。

 「私、一人前の頼れるエレベータガイドになる。絶対になってみせるよ」

 私は布巾で涙を拭った。

 そのためにはまず、私自身を変えないと。

 だからもう、泣いてばかりもいられない。

 「ヒカリ、やっと元気が戻ったね」

 「ええ、よかったわ」

 私の立ち直った姿をみて、二人はホッとしたように顔をほころばせた。

 「そういえばマナツちゃん、さっき言ってたミナタで挑戦したいことってもう決まっているの?」

 「もちろん!自他ともに認める旅行好きの私は、この摩訶不思議空間ミナタを隅から隅まで探検し尽くす!私はミナタの冒険王になるのだ!」

 マナツちゃんが声高らかに宣言した。

 「それはまたずいぶんと子どもじみた……」

 ヤヨイちゃんが半ば呆れたように言う。

 「じゃあヤヨイはどうなのさ。もしかして、食べなくても死なないこの身体をいいことに、仕事もしないでいつまでもぐーたら生活をするとか?」

 「誰がそんな不規則な生活を送るか!私だって、叶えたい夢くらい……」

 急にヤヨイちゃんがモジモジとし始めた。

 「なになに、ヤヨイちゃんの叶えたい夢って?」

 私が熱い視線を送ってから数秒後、ヤヨイちゃんが小さく口を開いた。

 「し、小説を出版すること……」

 ヤヨイちゃんは恥ずかしそうに蚊の鳴くような声でささやいた。

 「おお!ヤヨイは本を読むの大好きだし、ヤヨイにぴったりの夢だな!」

 マナツちゃんが屈託のない笑顔で言った。

 「もう、調子狂うなぁ」

 ヤヨイちゃんは渋い顔をしていたが、私には照れ隠しをしているように見えた。

 二人はいつもバチバチやっているけれど、なんだかんだで仲がいいのだ。

 「ヒカリ、何ほほえま〜って顔してるの」

 「ご、ごめんごめん」

 どうやら勘の鋭いヤヨイちゃんには私のほんわかとした気持ちがバレていたようだ。

 対するマナツちゃんは、何も察していないみたいでぽけっとしている。

 「そうそうヒカリ、面倒かけちゃって申し訳ないんだけど、あの件の調査、引き続きよろしくねー」

 私と目が合ったマナツちゃんが、念を押すように言った。

 「うん、まかせといて!」

 私はマナツちゃんに向かってこくりと頷いた。

 そのとき、私たちのいる場所とは正反対の方向から鐘の鳴る音が聞こえた。

 ゴーーゥン。ゴーーゥン。

 「そろそろ私は家に戻って読書の続きでもしようかな」

 遠くからでもわかる時計塔の文字盤を見ながらヤヨイちゃんが言った。

 「私も事務所に戻ってオルタに帰るよ。朝になっちゃうと人の目とかあるし」

 「よし、それじゃあ私も家に帰ってゆーっくり、したいところだけど……この流れ、絶対にこのままバーの接客しなきゃいけなくなりそうな……。だから私は休みだってのに!」

 肩を落としているマナツちゃんを見て笑うヤヨイちゃんにつられて、私の口角も上がってしまう。まもなくマナツちゃんもおかしく感じたのか、声をあげて笑った。


 三人の笑い声がコイン広場に響く。

 もうすぐ、ミナタに朝がやってくる。

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