日常の謎を追いかけたら人類史のターニングポイントに辿り着いてしまった。
小嶋ハッタヤ@夏の夕暮れ
日常の謎ってレベルじゃなくない!?
「
土曜の昼下がり。弟の
「だってこれで三つ目だぜ!?」
「その着眼点は素晴らしいけど、汚いからさっさと捨てなさい」
「ちぇー」と春秋は不満げだ。どうも最近読んだ児童文庫の影響で、こういった些細な謎を追いかけるのにハマっているのだとか。
なぜ道路には軍手が片方だけ落ちているのか。私も気にならないわけじゃないけれど、それよりも特売の卵(お一人様限定税込み95円)が売り切れていないかのほうが心配だった。
スーパーで買い物したあと、春秋が「ごめん彩華ねーちゃん! 二時からタカシと遊ぶ約束してんだ!」と私にエコバッグを押し付けて帰ってしまった。
結局、みっちみちに商品の詰まったバッグを両手に持つ羽目に。けれど弟を責めたりはしない。友達と遊ぶ時間ギリギリまで買い物に付き合ってくれたんだからね。おかげさまで目当ての商品は手に入ったし。
なんて思っていたけれど、荷物が重すぎて帰る途中で肩が外れそうになった。もう限界だと思ったその時。古びた喫茶店が目に入った。
何度か通りがかったことがあるけれど、入ろうと思ったことは一度も無い。レトロと言うのもはばかられるほど小汚い店構えをしているし、お客さんが入るところだって見たことが無いからだ。そもそも営業しているのかさえ怪しかった。
けれど私の中の好奇心がにょきにょきと頭をもたげている。こりゃあ春明を馬鹿にできないな。
この喫茶店からは謎のニオイがする! 具体的に言えば、こんなので経営が成り立つのかすっごい気になる! 休憩がてら調査してみよう。あ、代金はあとでお父さんに請求しよっと。共働きで忙しい両親に代わって家事を手伝っているんだから、たまにはご褒美をもらわないとね。
店内は予想通り乱雑で汚く、お客さんは誰一人居なかった。マスターと思しき四十代くらいの男性はずっとテレビを眺めている。しかも見ているのは子供向けアニメで、あれ確か「練り消し猛者ネリキング」じゃない? 土曜の朝に春明と何度か見た記憶があるけど、めちゃくちゃつまんなかった記憶がある。対象年齢じゃないから面白くないのかと思えば、春秋も「これ見てるよりアリの行列眺めてたほうがおもしれーよ……」って言ってたし。
そんなマスターは注文さえ取りに来ない。私のことよりそんな駄作アニメのほうが面白いわけですか。はいはい。
「すいませーんグランデアーモンドトフィーシロップチョコレートチップエクストラホイップキャラメルフラペチーノひとつくださーい!」
するとマスターはギロリとこちらをにらんだ。
「すぐ用意する」
ほんとかよと思ったのも束の間、出てきたのは普通のアイスコーヒーだった。味も普通。
「『感情を変質させられる』前に、よく味わっておくといい」
今、なんて?
飲み終わる前に、私は意識を手放していた。
「おっ! お目覚めだねキュートなガール!」
目の前には上半身裸でボディビルダー体型の外国人男性がいた。寝起きで見ると胃もたれしそうなくらい全身テッカテカでムッキムキだった。
「まあ! キュートだなんて嫉妬しちゃうわアナタ! 私のことも見てくださいまし!」
そこにはロココ調のドレスを身にまとった貴婦人が居た。透き通るような白い肌と長いブロンドヘアーがひときわ目を引く。
なんなのこの二人……。仲は良さそうだけど、浮世離れしすぎじゃない?
「もちろん今のキミが多宇宙で一番好きに決まっているじゃないか!」
「そう言ってくれると信じていたわ!」
熱いハグを交わす二人。ふぅむ。外人さんだから感情表現が豊かなのかな? 仲は良いに越したことはないし。何より二人の表情は幸せそのものだった。見ている私もどこか嬉しくなってくるくらいに。
「ああ、僕はなんて幸福なんだろう! さあ受け取ってくれたまえ!」
男性は、女性のみぞおちにパンチを放った。それも二度三度と続けて。女性は痛みに顔を歪ませ、ひざまづいた姿勢で吐しゃ物を撒き散らした。
「嬉しいわアナタ……。さあ、お礼にそこらへんで拾ってきた形がいいだけの石をプレゼントするわ!」
「ありがとう! さて、早速いただくとするかな!」
男性はもらった石を歯で噛み砕こうとした。一切の加減なく噛もうとするせいで、歯が何本か折れてしまっている。それでも男性は血だらけで笑顔を浮かべていた。
なんなの?
私はいったい何を見せられているの?
そもそもここはどこ?
恐怖心が私を襲う。
「成れの果てさ。人の身で叡智を知りすぎた者のね」
喫茶店のマスターがそこにいた。
「ここは地下室だ。君は人類を代表して選ばれたんだ」
「なっ、なんの話ですか!?」
「おおよその話は『奴ら』から聞いていると思ったが、今回は違うのか? まあいい」
マスターは無愛想にパイプ椅子をよこした。座って話を聞けということらしい。
「人類は奴らから進化を促されている。猿からヒトへ変わったとき以上の劇的なものを、だ。それを食い止めるのが君の仕事だ」
「はあ」
「人類が」なんて、とてつもなくデカい主語で語られても、話が頭に入ってこない。適当に受け答えしてようかな。
「進化させてもらえるんなら、止めなくても別にいいんじゃないですか。賢くなるんならみんな喜ぶと思いますよ」
「じゃあ聞くが、朝起きたら腕が六本、目が十個に頭が三つ生えていたら、君は喜ぶのか?」
「そういうタイプの進化ならお断りですかね……」
それってほとんど妖怪じゃん。人間辞めすぎでしょ。
「だから食い止める。それが我ら『ビィーボ』の仕事だ」
なんか組織の固有名詞まで出てきた。いよいよもって地球防衛隊みたいな雰囲気になってきたな。
「コードを知る君は、奴らに招待されたも同然だ。拒否する権利は無いぞ」
「コード? 何ですかそれ」
「君が頼んだオーダーのことだ。あれは符牒なんだが、まさか偶然だったとは言わないな?」
「偶然この店に入って、偶然マスターがつまんないアニメ見てるのに気付いて、偶然腹が立って、偶然頼んだのがあのフラペチーノです……」
「偶然が過ぎるだろう」
さすがにマスターも驚くかと思っていたけれど、相変わらずの無表情だった。
「それなら帰ってもいい。私は待つ作業に戻る」
そうして帰りは眠らされることもなく普通に案内された。
家で夕ご飯を作りながら、喫茶店での出来事を思い返していた。
何だったんだろう、あれ。子供向けのつまんないアニメにはまってる変人と人格破綻者の外国人カップルが、日に日に妄想を肥大化させた結果できた秘密結社ってとこ?
「彩華ねーちゃん! 晩ごはんまだー?」
「はいはい、もうちょっと待ってね。いま用意するから」
でも私にはこの日常が一番大事なんだ。百歩譲ってあの話が本当だったとしても、それに関わる義理なんて無い。私がやれることなんて何も……。
「タカシからもらったんだ! 喫茶店の無料チケット! 明日行ってくる!」
そこには「グランデアーモンド」から始まる、やたらめったら長い名前が書かれていた。
思わずそれをひったくる。
「春明! おかずは置いてるからご飯は自分でよそって食べて! 終わったら食器は洗っておいて! お父さんとお母さんが帰ってきたら温め直してあげてね!」
それだけ言って私は家を飛び出した。
「どういうことよこれは!?」
「君のよく知る人物が選ばれていたようだな。君が代わりに引き受けることも出来るが」
「……やるわよ。私はいったい、何をすればいいの!」
「私達が『ありがた迷惑のケダモノ』と呼称する未知の生物と戦ってもらう。奴らはただの善意で人間を進化させようとする連中さ。身体は書き換えられ、感情は複層化する。あの二人を見ただろう。彼らは戦いに負けた結果、感情の複層化が残ってしまったんだ。泣き笑いという言葉があるが、彼らのはそんな生易しいものじゃない。『大す嫌い』『気持ち悪良い』とでも言うべき感情を持ち合わせている。私からすれば、羨ましいとも言えるがね」
「どうしてよ」
「私もかつて戦いに負けた。私は家族に害をなすことを恐れて、全ての感情を切る処置を受けた」
見ろ、とマスターは封筒を取り出して火をつけた。
「息子からの手紙が入ったものだ。中身も見ていない。しかし、こうして燃やしてしまうことに何らためらいもない。立派な人非人さ、私は」
マスターは燃えかすとなった封筒を足で蹴った。
「ううん、違う。あなたは今でも息子さんのこと愛してるじゃない。そうでもなければあんなにつまんないアニメ、ずっと見てないでしょ?」
「……土曜の朝。あの団らんの日の憧憬を、そこに見つけたかったのかもしれないな」
「分かった! じゃあ勝ってくる! 勝てばあなたも救われるんでしょ?」
「だが負ければ、いよいよ『ありがた迷惑のケダモノ』も強硬手段に出るかもしれない」
「勝つわよ! じゃあ準備よろしく!」
こうして私は未曾有の戦いに足を踏み入れることとなった。
「はっ!?」
「終わったぞ。君は勝った」
いつもの無表情でマスターは勝利を告げた。私は異空間でとてつもない戦いを繰り広げていたそうだけど、報奨として『ありがた迷惑のケダモノ』に記憶を消してもらったらしい。目覚める前に『生理的嫌悪』『終わらない白昼夢』『深宇宙への接続恐怖』などという不穏なワードをうわ言のようにつぶやいていたそうだけど、一生思い出さないことを祈ろう……。
そうして、次の日の朝。無料券を取られてすねていた春明をなだめるため、あの喫茶店へと二人で立ち寄った。
「グランデアーモンドトフィーシロップチョコレートチップエクストラホイップキャラメルフラペチーノ二つくださーい!」
春明と声を揃える。マスターは黙ってうなずき、業務用っぽいブレンダーを持ち出した。数分後、本当に私たちの前にグランデアーモンド以下略がやってきた。
「今日はおごるぜ、嬢ちゃんたち!」
マスターは人好きする笑顔で言った。
日常の謎を追いかけたら人類史のターニングポイントに辿り着いてしまった。 小嶋ハッタヤ@夏の夕暮れ @F-B
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