年に一回点検される貯水槽に死体を捨てるバカはいない
小早敷 彰良
貯まった
ホラー映画に集合住宅の貯水槽、建物全体に水を供給するため水を貯めておく設備に、沈んだ死体が怪奇現象と起こすものがあった。
設備業者として、様々な集合住宅を巡回している身としては噴飯だった。
貯水槽は年次での点検が義務付けられている。見逃すとしたら、よっぽどの手抜き業者だ。
俺は設備業者としての仕事に誇りをもって、隅々まで調べている。
死体を見つけても、きちんと荼毘に臥す。
「今年も沈んでますね。これらはいつものように?」
「ああ、よろしくお願いします。いつも助かってますよ。」
死体と言っても、小動物や虫のことだ。
年次点検のため、水位が下がっていく水槽の前で、内心ため息を吐く。
下がっていく水面には、すでに何体ものネズミの死体が浮かんでいた。
山間部に近い、とある宿泊施設の地下機械室でのことだった。
ここの整備はずさんすぎる。使う水を貯めている貯水槽の衛生状況として、あり得ないとしか言えなかった。
管理人の言い分では、飲料用の貯水槽でなく優先度が低く、施設のリフォームを行ったせいで整備に使う現金がないからなのだと言う。
年次点検を引き受けてから三年目だというのに、状況は改善されていなかった。
風呂に使う水が小動物の死体漬けという事実に、管理人としてぞっとしないのだろうか。
「いつもありがとうございます。きれいにして頂けるので助かってます。
オオキクさんに頼んで良かったです。」
「いえいえ、このくらいならば。
ただ、いくら山に近いからといって室内で、これだけ動物や虫が入るのは、あまり考えられません。
どこかに侵入経路があることや、室内のどこかに巣ができているのかもしれません。下水から上がってきていることも考えられます。
自分の知り合いの業者なら安いですので、一度見てもらうのはどうですか?」
「いえいえ、いつもご親切にありがとうございます。大丈夫ですよ。」
柔和に返した管理人の久留間さんの言葉に、苦笑いで返す。
貯水槽の点検としては、衛生状況以外に問題はない。
設備点検業者としては、例年通り、合格と記載する以外なかった。
水が抜けきると、貯水槽の底にこんもりと死体が積みあがっていた。
毎年のことながら、絶句してしまう量だった。
「では、作業開始します。」
「はい、お願いします。」久留間管理人は笑顔で返した。
宿泊施設だけあって大型の貯水槽は、はしごでないと底に降りられなかった。
「全く、どこからこのネズミとか、虫とか湧いてんだ?」
そう、愚痴も言いたくなるけれど、ぐっと我慢する。
久留間管理人が作業を見張っていた。
簡単な点検作業中でも、見ていないと気が済まないタイプのお客様は、たまにいる。
さっさと終わらせて、家で冷えている酒でも飲むか。俺は手早く、死体を小型バキュームで吸っていった。
ズゴッと音を立てて、バキュームが詰まったのは、清掃作業を始めてから十分もしないうちだった。
見ればまだ形の残っている、丸々と太ったネズミが、吸入口を詰まらせている。
「どうかしました?」
久留間管理人の声に、何でもないと返答しながら、ネズミを取り外すため、業務用手袋を二重にはめた手を伸ばす。
そのネズミの死体は、白いものを口から覗かせていた。
思わず手に取って、しげしげと眺めてしまう。
ドーナッツ状の白いものを、この食い意地が張ったネズミは飲み込んだようだった。
小さいけれど固く、設備部品とは異なった素材で出来ているようだった。
触ったことのない感触だった。
「どうか、しましたか?」
久留間管理人の声に仰ぎ見る。
彼は貯水槽のふちから、こちらを見下ろしていた。逆光で表情はよく見えない。
彼の片手ははしごに、もう片手は貯水槽の大きな蓋にかかっていることが、やけに落ち着かなかった。
「なにか、ありましたか。」
ゆっくりと言う彼に、俺は逡巡してから返答する。
「いえ、何も。」
言いながら、ポリ袋にネズミごと白いものをいれる。
「何でも言ってくださいね。」
そう言う久留間管理人の顔は、天井の明かりで見えないままだ。未だ彼の片手は、貯水槽の蓋にかかっている。
貯水槽の底から見る彼は、やけに落ち着かない気分にさせられた。
作業は一時間ほどで終わった。
集めた死体は半分溶けかかっているものもあり、バキュームで吸引されたことでさらに崩れて異臭を放っていた。
この施設が焼却炉を備えていなかったならば、大型ポリ袋五枚分にもなるこれらを、燃えるゴミの日まで保存しなければならなかっただろう。
焼却炉まで運ぶときのみ、久留間管理人も手伝って頂ける。
「ありがとうございます。重くありませんか。」社交辞令として俺は気遣いの言葉をかける。
「いえ、これも自分のためですから。」
彼はほだらかに返す。
水分が多く、かなりの重量があるポリ袋を、軽々と持ち上げている管理人を見るたび、この柔和な男のどこにそのような力があるのだろうかと考えてしまう・
「仕事で鍛えられますからね。」
「へ?」俺は突然の言葉に、すっとんきょうな声をあげてしまう。
「毎日重い荷物を持たなければならなくて、自然と鍛えられました。」
だからそんなに見ないでくださいと、照れくさそうに言う彼に、つられて笑ってしまう。
考えてみれば宿泊施設ならば、荷物の運搬はお手のものだろう。
思いつかなかったことに恥じながら、到着した焼却炉にポリ袋を投入していく。
「点火しますよ。」
久留間管理人の合図とともに、赤い炎で一年分のゴミは灰になっていく。
「お疲れ様です。作業終了です。」
「今年もありがとうございました。」
慣れた仕事を終わらせたあとの薄っすらとした満足感に、無性に喫煙所に行きたくてたまらなかった。
違和感に気がついたのは、車に戻ってからだった。
「あ、プラスドライバー忘れたか。」
きちんと仕事をしていたはずなのに、単純なミスをしてしまうことに、少し落ち込んでしまう。
すぐ地下の機械室に戻ることにした。
受付の方に簡単に事情を話し、機械室に降りていく。
久留間管理人はちょうどお客様の応対をしており、こちらには来られないという。
ドライバー一本なくしても大して痛手ではない。こうして探したとしても、見つかる保証はない。ただ、仕事中に物をなくす業者だと思われるのは我慢できなかった。
こっそり探して、なかったら諦めよう。
プラスドライバーはすぐに見つかった。
貯水槽の下に転がり込んでいたのだ。きっと、水槽のネジを増し締めをした時に落としたのだろう。
しゃがみこめば入れるほどの大きさがあって良かったと思いながら、貯水槽の下に潜り込む。けして俺がチビなわけではなく、それだけ巨大な水槽だった。
貯水槽の下では、空にしたあと貯められていく水が、ちょっとした滝の音のように聞こえてきていた。
ドライバーを拾うと、汚れがにちゃりと音を立てた。
粘着質な音はどうしてこうも嫌悪感を煽るのだろう。しかめ面をしているとき、水音に交じって、異音が辺りに響いた。
どさっという音と、何かを引きずるような音だった。
とっさに懐中電灯を消して、貯水槽の影から機械室の様子を伺う。
久留間管理人が何か大きく柔らかなものが入った筒を、機械室の中に運び入れたようだった。
筒は久留間管理人の脇に抱えられて、くったりとうなだれていた。
先ほどゴミがたっぷり入ったポリ袋を軽々と持っていた彼は、心底重そうにそれらを貯水槽のすぐ前に運んできた。
貯水槽の下で息をひそめる。
出ていって手伝うか聞くべきだとも考えているのに、なぜだか身体が動かなかった。
貯水槽の清掃前の匂いが、久留間管理人からしているのが、離れた場所からでもわかったからかもしれない。
彼は、淡々と作業を進めている。
床に置いた大きな筒をひっくり返すと、虫かごを取り出した。
虫かごにはみっしりとネズミと虫が詰まっていた。
「うっ。」
口の内側を噛んで、声を押し殺す。幸いにも貯水槽に水が溜まる音が、声を消してくれていた。
久留間管理人は、筒のひもをすばやくほどく。
ほどけた布の隙間から、手足のない人間の胴体が転がり出た。
白い肌を惜しげもなく見せた彼女は、横向きになって止まる。
黒く長い髪がつややかに、丸い目にかかっていた。
貯水槽の下で息をひそめる俺と彼女とが目を合わせてしまう。
目は光なく、そして大きく見開かれていた。
ピンク色に色づけられた唇から、ついっと赤いよだれが垂れた。
管理人は少し位置を見計らうように虫かごを上下し、そして、彼女のへそに中身を空けた。
ネズミが、虫が、彼女の端から中に。
悪夢のような光景だった。
小動物や虫の死体が多い貯水槽の理由をわかってしまい、吐き戻しそうになる。
きっと今日焼却炉に入れた小動物たちも、死体隠ぺいの仕事を終えた後だったのだろう。
焼却炉にそのまま入れないのは、異臭と形状のせいか。
三年前から貯水槽の清掃は請け負っていた。あの時から、小動物や虫の死体は多かった。
俺はひどく頭が痛くなった。
管理人はしばらく小動物たちの働きを眺めていたが、彼らにその場を任せることにしたようだった。
彼が去って数分。
俺はようやく貯水槽の下からはい出し、一目散に車へと駆け戻った。
仕事への誇りや出入り業者としての立場なんて、何も頭に浮かばなかった。
頬に伝った赤が、目に焼き付いていた。
あれから、もうすぐ一年。宿泊施設は問題なく運営している。
社会情勢として厳しい部分もありながら、宿泊したお客様からの口コミは悪くなかった。
あれは見間違いだったのではないかと、俺は思い始めていた。
そんな先日、今年も年次点検を依頼したい旨のメールが届いた。
メールには「気になる箇所がある」との注釈付きで、画像が添付されていた。
画像を開いた俺は、清掃業者を廃業することに決めた。
やることはたくさんあるけれど、これからどれだけ遠くに逃げられるか、貯金の確認から始めよう。
画像には、貯水槽の下からこちらを見ている俺の姿が写っていた。
年に一回点検される貯水槽に死体を捨てるバカはいない 小早敷 彰良 @akira_kobayakawa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます