サイゼリヤー地下鉄
猿川西瓜
お題 「ホラー」or「ミステリー」
スーツのズボンの中に、きっと極暖のヒートテックを履いているのだろう。毎日3時間も立っている青白い男。
サイゼリヤに座りながら、私は、仕事帰り、冬空の下で毎日女性を待ち続ける男を眺めていた。
サイゼリヤは外食テナントビルの一階にあって、毎日学生やファミリー層が押し掛けてうるさかったが、安いし美味しいし、私は仕事帰りの締めとして寄ることを日課にしていた。
去年の秋ごろに、その男に私は気がついた。
サイゼリヤの向かいにあるショッピングモールで、ずっとその男は寒空の中、立っていた。スマホはほとんどいじらない。修行のように、寒空の中、立ち続けていた。
今は年があけて、まだまだ寒い2月も半ば。
中肉中背。なんの変哲もない会社帰りのサラリーマンに見える。ただひたすら電柱の影に立って、煙草を吸ったり、携帯電話で誰かに電話したりして、数時間立っていた。
そしていつもベージュのコートを着ている会社帰りの女性が通りかかると、身を隠して、それから彼女の後ろをついていく。
それが毎日毎日繰り返される。彼女の帰りが早い場合は、午後7時くらいに後ろを追いかけて去っていく。彼女が別のルートで帰ったであろう場合は終電近くまで残っており、煙草を一箱全部吸い終わる場合もある。コーヒーの缶も多く消費されるので、彼の健康が心配になった。
午後10時くらいに、彼の電柱のそばを、彼女と、背の高い見知らぬ男が並んで通り過ぎた時の、その彼の目の輝きと見開きぐらいは、サイゼリヤの窓越しからでもわかるほどだった。男と彼女の歩く速度はいつもより早く、電柱の彼は駆け出すように後ろを追いかけていった。
一度彼とすれ違ったことがある。駅構内の改札の前だ。ここでも、彼はスマホを見ずにずっと立ったままだったり、辺りを執拗に見まわしていた。外があまりに寒いので、駅の中で暖を取っているのかもしれない。しかし、外よりは少しマシなだけで、吹き付ける風は決して暖かいものではない。
一時間、二時間、三時間が過ぎた。私はどうやって彼を見詰めていたかと言うと、駅のエスカレーターを登ったところの二階のATMからだ。ここは風が吹き付けず、腰を少しだけかけられるところもあり、人気もなかった。
午後10時半ごろになって、彼女がやってくるのが見えた。彼女はいつも通りのベージュのコートを着ていた。彼は軽く手を挙げた。彼女と彼は一言二言挨拶をかわして、それから一緒に改札をくぐっていった。
律儀な人間だと思う。こういうのってDVなんだろうか。彼女自身は、待たせていてごめんとか、待っていてくれてありがとうと言うのか。そりゃ、自分の彼氏なのだから、仕事終わりに外で待っていても、平気と言えば平気なのかもしれない。が、同僚と飲みに行ったりするときはどうするのだろう。たぶん、居酒屋の外で待っているタイプだろう。
二人の背中をこっそり写真に撮る。似た者同士の背丈だった。
もしかして彼が待っているのではなく、彼女に待たされているのではないかと疑ったことがあった。
サイゼリヤの外で彼は歌をうたっているようだった。口元がもごもご動いている。それから軽くその場で足踏みしている。我慢している風に見えたからだ。
彼女が待たせているのか、それとも、彼が待っているのか。
彼は身体を温める手法を変えた。アルコールを体内に入れはじめた。ビールのときもあればハイボールのときもある。そこは熱燗にしろよと思ったが、なぜ冷たいものにするのか。理由がわかった。
彼は待ち伏せしている位置までほとんど走ってきているのだ。自分が向かっている途中で彼女が帰ってしまわないようにだ。
だから、身体が暑いから冷えたアルコールを体内に入れることができるのだ。
しばらくたって、彼の前を彼女が通り過ぎることが少なくなってきた。
ここ一週間ほど、彼女のあとを追いかけるところが見えない。
やっぱり、もしかしたら。
そもそも彼女と彼は恋人でもなければ友だち同士でもない。赤の他人なのでは。もっと別の問題があるのではないか。
彼はある時はたこ焼きを、ある時はビールの500ミリリットルを飲み干してから、どこかへ離れた。私は、そっとその後ろを着けると、マンションの駐車場でおしっこをしていた。湯気が激しく立っていて、遠くからでもわかった。今日も相当着込んでいる。
ある日、彼女を待ち続ける彼をおいて、私もさすがに明日の仕事があるので、サイゼリヤの外に出ようとする。
それからしばらく歩き続けると、ふと気配がする。
階段をおりる。
歩きなれた緩い階段がどうもふわふわする。
足元がおぼつかない。
改札を過ぎて、歩調を緩める。
後ろの気配も速度を緩めた気がする。
私はなんとなく自動販売機の前に立って、それから、欲しいものがなかったというそぶりで振り返った。
そこに一心にスマホをいじる彼の姿があった。
隣に彼女はおらず、私から5メートルほど手前で、不自然なほど駅構内の真ん中あたりで、スマホをいじっていた。
そこだけ真っ暗な穴が空いているようだった。
私は早歩きでいつもと乗る反対側の電車に乗った。彼が同じ電車に乗っているかどうかもわからない。駅のホームで素早く乗り換えることのできるところを待った。到着すると、丁度すれ違いに電車が出発しようとする駅があったので走って乗り換えた。
私はそれから、サイゼリヤには寄り付かなくなった。彼がスマホをみるふりをしながら、こちらをしっかり視界に入れていることは確かだった。あんな中途半端なところで立っているはずがない。
私は職場から出るとまずまわりを見まわすようになった。
どこから彼が見ているかわからなかった。
彼はまだサイゼリヤの前にいるのだろうか。
私は彼に後ろに立たれていたあの時から、その付近に近づくことができなかった。
いくら人ごみにまぎれても、肌にひりつくものがあった。
改札は毎回変えたし、帰り道のルートもできるだけ無規則に動いた。
また職場のビルを出る時も、裏口と表からの二択をばらばらに動いた。
男性の先輩や同僚とできるだけ一緒に帰るようにした。
それから、だんだんと春が近くなって3月も後半になった。
ふと、同僚の男にサイゼリヤに誘われた。サイゼリヤに女性を誘うのは、男としてどうなのかとも思ったが、別段、お互い男女関係として見ていないので、特に気にならなかった。
懐かしいサイゼリヤだった。いつも居酒屋代わりに使っていた。
私が案内された席は、かつて私がいつも座っていた席に近かった。 私はできるだけ外を見ないようにしていた。同僚にも少し心配された。
顔色が悪いけど、なんか調子悪いん?
いやそんなことないんだけど。
はずみに、外の電柱を視界に入れてしまった。電柱は、見慣れたものから、人の形をした何かに変化していた。
100円の白ワインのグラス、辛口チキン、生ハムを食べた。できるだけうつむきながら話し合い。それから、同僚と一緒に外に出た。
その瞬間、いやでも電柱の向こうに視界が入る。
彼だった。
彼は煙草を吸い、スマホをいじったり、軽くその場でジャンプしたりしていた。私たちは歩き、通り過ぎていく。
私は同僚と一緒に歩きながら、スマホをいじってすばやく「うしろにだれかついてきてない?」と打った文字を同僚に見せた。
同僚は堂々と振り返る。
「いや、だれのこと」
「男の人。サラリーマン」
「何人かは歩いてるよ」
「その中に、青いコートを着ている人は?」
「……」
「……どうしたの」
「……」
「返事してよ」
いや、お前の隣歩いてるよ。
同僚がそう言ったとき、彼は早歩きで私のそばを通り過ぎていった。
それから駅構内までしばらく歩みをすすめて、彼の背中を私は見ていた。
私は同僚の手を握った。
しばらく恋人のフリをしてほしい、とお願いした。
「おう、あいつやばいんか?」
「わかんない」
後をつけられるのは絶対に避けたかった。後ろに彼がいる状態を作りたくなかった。
彼は改札手前のトイレの中に入っていった。また後ろからつける気だと思った。
改札内の自動販売機のとなりで、私と同僚の二人はずっと手を握り合いながら、雑談をして過ごした。
金曜日だから、明日は休みなので、終電近くまで平気だった。トイレに行ったはずの彼はいつまでも改札をくぐってこなかった。改札手前のトイレをでてから、見えるか見えないかの位置で柱にもたれて立っている。
「タクシーで帰ろうか」と同僚が言った。
いよいよ終電を逃してしまうそのぎりぎりに、彼がおもむろに動き出した。
彼女だった。
コートは淡いブラウンに変わっていた。やつれた顔をしていた。二人は連れ立って、歩き出し、それから私の変える方向の逆の路線に下りて行った。
「なんだ、彼女いるじゃん」
「いや、彼は……あの彼女のストーカーなのよ」
「じゃ、お前は彼女のストーカーをストーカーしているんだな」
「そういう問題じゃないよ」
私は混乱してきた。
「普通のカップルだよ。こんな遅くなる彼女を迎えに行く彼氏。いや旦那さんかな。普通じゃないか」
彼女は彼と歩きながら、やや小走りで階段を下りた。
私たち二人も、帰りの電車に乗り込む。
ギリギリ間に合ってドアが閉じる。
ふと嫌な予感がして、窓の外を見た。
ホームの向こうに彼が立っていた。
彼女の姿がなかった。
彼のスマホカメラがゆっくりと私たちを追いかけている気がした。
サイゼリヤー地下鉄 猿川西瓜 @cube3d
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