賢者の繰り言
七野りく
プロローグ
いやぁ……貴女も物好きですね。『彼』に興味を持たれる人は数多くいますが、自分で、こんな孤島まで尋ねて来る人は極稀です。
ブンヤ――おっと、失礼。ジャーナリストの方からの取材依頼自体は多いですが、そこからは……ほら? 貴女も読んだでしょう??
ええ、そうです。
『彼』が今までにしてきたこと――少なくとも、我々が知っているその全てに目を通してからじゃないと、彼との面談資格は与えられません。大概の人は、一日二日で断りの連絡をしてきます。
――……え? どうしてか、ですって??
そりゃ、貴女…………あの報告書の内容を読めば、余程の覚悟がなきゃあの人と話したいとは思わないでしょう?
みんな、怖気づいてしまうんですよ。
そして……それは正しい。人として、極めて真っ当な反応です。
実際、『読んだ』と嘘を吐くか、読まずに面談へ挑んだ人は、その全員が社会復帰不能になっています。
……生きてはいますが、あれは殺されたようなもんです。いや、むしろもっと酷いかもしれない。
幾ら『死にたい』と願っても、『彼』の開発した『F・I細胞』を何時の間にか投与され死ねず、生きている限り、国家の実験動物兼監視対象として扱われる運命。自由な行動は一切許されない。
――基本的人権?
お嬢さん……貴女はどうやら、大きな勘違いしておられるようだ。
貴女が立ち入ろうとしている場所は、『法の支配』が及ぶ場所ではないんですよ。
我々は表面上、『彼』を拘束しているように見えますが……事実は異なります。
ただ、恐々と遠巻きに見ているだけ。ただ、それだけなんです。
……時折、渡されるお零れ目当てに、ね
おかしいですか? そう思える貴女は正常だと思いますよ。
……でもね? 正義のジャーナリストさん。
人は『不死』という言葉に抗えなどしませんよ。
より長く、より若く、病気にかからず、生きていたい。
それは、人の夢でしょう? そして……宇宙を目指すならば、必須技術でもある。
お仲間を多数殺されたこの国のお偉方は、それ故に『博士』を殺せないんですよ。まぁ、殺せるとも思えませんが。
――……ああ、着いてしまいましたね。
私は此処までです。『彼』と目を合わせるのは……恐ろしいのでね。
最後に一つだけ。
お嬢さん、これは貴女よりも長く此処に――名目上は国家秘匿隔離施設である、通称『博士の遊技場』に勤め、貴女の叔父上とも顔馴染みだった私からの老婆心です。
……もしも、貴女が今までの私の言葉を冗談だと思っているなら、今すぐ引き返した方がいい。命が幾つあっても足りやしない。
――いいですか、お嬢さん?
今から貴女が面会しようとしている『彼』—―【博士】は、『害悪そして醜悪』の一言で百を超える国家中枢の方々を無造作に殺害し、その反面、数多くの不治の病の治療薬や、画期的なエネルギー機関技術、果ては『人類の生物学上の不死化技術』等を無償でネット上に公開し、世界自体に個で影響を与えた『人』の形をした『別の何か』なんです。
とてもじゃないが、常人がまともに会話出来る相手じゃないっ。
それでも、行くならば……素直に……そう、素直に答えることです。
彼に嘘は通用しません。そして、大概の場合、嘘を酷く嫌う。
私が、教えてあげられるのはこれくらいです。
――面会時間は1時間となります。延長は絶対に認められません。
では、無事の御帰還をお待ちしています。
……貴女の叔父上にも、毎回こう言っていたんですがね。
※※※
係員の人が私から離れて行った。不安と恐怖で心臓の鼓動がおかしい。
…………来たのは失敗だったのだろうか? いや、でも!
私は目を閉じ――扉を開いた。
そこは極々普通の部屋だった。
中央部分には、分厚い強化プラスチック幾重にもがはめ込まれ、私と『博士』の生活空間とを遮断している。あるのは古い木製の椅子だけだ。
足を踏み入れる、と金属音がした。分厚い鋼鉄が埋め込まれているようだ。
此方側の天井隅には幾つもの監視カメラ。先程の係員も観ているのだろうか。
『――ああ、来たようだね』
「!」
男性の声がし、私は視線を戻した。
――コツ、コツ、コツ。
規則正しい靴音と共に、部屋の奥から眼鏡をかけた男性が姿を現した。
仕立ての良いスーツを着込み、手には図鑑。タイトルは『世界で最も美しい猫』。
痩せていて、容姿は極々平凡。……とても、最悪の大量殺人鬼には見えない。
男性――【博士】は木製の古い椅子に腰かけ足を組んだ。
『やぁ、お嬢さん、良く来たね。
「!? どうして、私が叔父の関係者だと?」
『さぁ、どうしてだろう? 今度来る時までの宿題だ。考えておいておくれ。――人の時は短過ぎる。今日来た本題を聞こう。ああ、座りたまえ』
「……叔父が最後に調べていた事件についてです」
『先日、都内で十五歳の少年が通り魔殺人を引き起こしたというやつか。……痛ましい話だ』
大量殺人鬼は顔を顰めた。本当にそう思っているようにしか見えない。
私は椅子に腰かけ、先日不慮の事故で亡くなったジャーナリストの叔父が遺した、手帳を取り出した。
そこには走り書きのメモ書き。
『十五歳の少年が、無関係の三人を殺害』
『裁判所送致が決定』
『弁護人による弁護拒絶』
『不可解な言動。精神鑑定を狙っている?』
【博士】が図鑑を捲る音が響いた。
構わず続ける。
「ですが……裁判は突如として中断しました」
私は手帳を捲った。
裁判を傍聴した帰りに、叔父が乗っていたタクシーの中で書き遺した最期の言葉。
【賢者の繰り言】【博士】。
この後は判別出来ない。
顔を上げ、図鑑を眺め「うむ……やはり、三毛猫も可愛いものだな」と嘯ている大量殺人鬼へ視線をぶつける
「被告は判決が言い渡される段階になり、裁判官から『最後に何か言いたいことはありますか?』との問いに対して――突然、判決文を読み始めました。余りの出来事に対し、裁判官、検察、弁護人、誰もが止められず、途中まで読まれてしまったようです。その後、裁判は中断され、今も再開されていません。……内容が、一言一句、同じものだった為、と言われています」
『――ふむ』
【博士】が私を見た。
――背筋に凄まじい悪寒。瞳の中の黒は一切の光を映していない。
眼鏡を直した男が問うてくる。係員さんの忠告が脳裏に浮かんだ。
彼に嘘を吐いてはいけない。
『君は、僕がその事件に関係している、と思っているのかな?』
「…………分かりません。ですが、叔父の遺したメモには【賢者の繰り言】という言葉と共に、貴方の名前が書かれていました。お願いします。知っているならば教えてください。……私はただ、叔父の最後の仕事を完遂したいだけなんです」
大量殺人鬼が小首を傾げた。
『ほぉ……それだけで、こんな絶海の孤島までやって来たと?』
「はい、それだけで、此処までやって来ました」
嘘は言っていない。本心だ。
――永遠のような沈黙。
【博士】は図鑑に栞を挟み、閉じた。
『くっくっくっ……中々面白いじゃないか。これだから、人間はっ! いいよ、全部教えてあげようじゃないか。でも、無料というわけにはいかない。君にはそれ相応の対価を払ってもらう。話終わった時までに考えておくから、少しばかり心の片隅に置いておいてくれたまえ、今年、二十六歳になる
「…………では、【博士】と」
戦慄しながらもどうにか頷く。
……どうして、私の名前と年齢を知って?
心を落ち着かせる為、叔父が遺した手帳に触れる。
……叔父さん、ごめんなさい。
『長生きするように』っていう遺言、守れないかも。
――これは、私が後世に遺す、この世界に生まれ落ちた【最悪にして最高の存在】とのインタビュー記録。
賢者の繰り言 七野りく @yukinagi
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