王子と令嬢は怯える

山吹弓美

王子と令嬢は怯える

「そのようなもの、もうありませんよ」




「わあ!」


「そら、素敵だろう?」


 その温室は、第一王子がたまたま王宮の裏庭に見つけたものだった。

 自身の住居でもある王宮にまだ知らぬ場所があったことを訝しく思ったものの、その美しさ故に王子は恋仲である子爵令嬢を誘い、二人でこっそりやってきた。普段なら付き従っている側近たちも、今日はいない。


「こんな素敵な温室、初めて見ました!」


「俺もだ。先日、たまたまここを通りかかってな」


 晴れやかに笑う子爵令嬢に、王子もまた表情を崩す。

 先日見つけたときは中に入ることはなかったが、入口の扉に鍵がかかっていないことは分かっている。周囲には自分たち以外人の気配はなく、よって何の問題もないだろう……そう、第一王子は考えていた。

 自らが愛する子爵令嬢に、ただ見せてあげたいだけなのだから。


「誰も来ないだろうし、来ても俺だからな。大丈夫だ、さあ」


「は、はいっ!」


 この国だけでなく、世界でもまだ珍しいであろう大型の板ガラス。それを多用した四阿のような造りの温室、その中は美しく手入れされた花で溢れかえっている。白、赤、黄色、紫、ピンクと様々の色が、子爵令嬢の顔を輝かせた。


「あら、どなた様?」


「わっ!」


「ひゃっ!」


 いきなり声をかけられて、王子と令嬢はその地位にあまりふさわしくない悲鳴をあげた。お互いに抱き合いながら振り返ったその先には、温室の緑に溶け込むような爽やかな緑のドレスを纏った女性がいる。


「あらあら。仲のよろしいことで」


「し、失礼ですよ! 私はともかく、殿下には!」


「そ、そうだな!」


 くすくすと笑う女性の言葉に、子爵令嬢が噛み付く。思わず何度も頷いてから第一王子は、その女性を睨みつけた。

 はて、どこかで顔を見たような。


「まあまあ。用事もないのに人の温室に入り込む方々の方が失礼かと、わたくしは考えますが」


 ころころと笑う彼女の指摘を受けて、子爵令嬢は「やっぱり無礼です!」と顔を膨らませたが、さすがに王子は気がついた。

 気配を感じなくとも、ここまで美しい花たちを抱えている温室なのだ。当然、番人とも言うべき管理人がいるはずであることに。


「ふむ、温室の番人であったか。たしかに、挨拶もなしに入り込むのは失礼だったな。すまん」


「ご理解いただけて何よりですわ。わたくしの花を愛でてくださるのは、とても嬉しいことですの」


 ひとまず詫びの言葉を入れれば、女性はどうやら許してくれたようだ。自身の手元に近い花を一輪、そっと摘み取る。

 そうして、その端で口元を隠しながら。


「……その割に、婚約者を放置して違う女と人のいないところにしけこむというのはどうなのでしょう?」


 薄ら笑いを浮かべ、おどろおどろしい声で尋ねた。

 途端、ざわざわと周囲の草木たちがざわめいて、室内であるはずなのに風が吹き荒れる。


「なっ!」


「きゃあ!」


 第一王子は自分にしがみついたままの子爵令嬢をかばい、二人共に目を閉じる。しばらくして風が収まったところで、ゆっくりと視界を取り戻した。


「……何だ今のは!」


「ひ、ひどい……」


 風のせいか、木は葉を全て落とし、花もほとんどが散らされている。木々の間から見える外壁、ガラスもその全てが破れ、透明な破片が地面を埋め尽くしていた。

 そうして、女性の姿はいつの間にか消えていた。木の葉や花びら、ガラスが散乱した地面に足跡一つ、つけることなく。


「あの女! どこに行った!」


「あ、あれ? いないですねえ……」


 ほとんど廃墟と言ってもおかしくない、温室の中で二人はしばらくの間、呆然としていた。




 その後しばらく、二人は幻聴に悩まされた。


「あらあら。相変わらず、婚約者はほったらかしなのね」


 婚約者たる公爵令嬢と顔を合わせることなく、子爵令嬢とお茶を楽しむ第一王子の耳にその声はささやきかけ。


「まあまあ、貴族の娘ともあろうお方が。幼子でもできるようなマナーを、きちんと覚えておられないの?」


 貴族であれば誰しも身につけているはずの礼儀を失した行動、それを行った子爵令嬢の耳にもささやきかける。

 予告もなく、ランダムに訪れるそのささやき声に、二人はすっかり参ってしまっていた。さすがに、人の寄り付かぬ場所に二人でしけこんだという事実を他人に告げるつもりにはならなかったため、ただただ我慢するしかなかったようだ。

 そして二人は、その理由を全く関係ないところに押し付けることにした。


「絶対ぜえったい、あの公爵令嬢の嫌がらせですう! わたし、こんなに頑張ってるのにい!」


「ああ、そうだな。間違いない、あの愚か者め……」


「あらまあ、あなたがた。お二人とも、どこまでお馬鹿なのかしら?」


『ひいいいい!』


 もちろん、幻聴が二人の思惑に乗るわけはないのだが。




「裏庭の温室? そのようなもの、もうありませんよ」


 ふと、第一王子が自身の母たる王妃に尋ねてみたことがある。その答えがこれであり、つまり『過去には存在した』ということだろうと王子は推測した。


「陛下の伯母上に当たられた王女殿下が、大変に手を尽くしておられた温室だったそうですよ。でも、お前が生まれる前には片付けられていましたね」


「……父上の、伯母上……」


 王妃が出したその人物に、王子は心当たりがある。

 当時国内最強と謳われた辺境伯家に嫁ぐはずだった彼女は、別の侯爵家との政略結婚を余儀なくされた。

 彼女は嫁ぐ前夜、その温室に籠もった。何をしていたのかは、当時の侍女や護衛でも知らなかったらしい。今でも判明していない、とは王妃の言葉だ。

 そうして嫁いでいった侯爵家は程なく没落……というか、当時戦争状態であった隣国との内通が判明し滅ぼされたとのことである。首謀者は、王女の夫となった侯爵家当主本人だった。

 王女は、その後行方知れずとなっている。一節には侯爵家に入って間もなく天に召された、あるいは侯爵家の内通を王家に知らせようとして殺されたなどとも言われているが、真実はわからない。


「もしかしてお前、伯母上にたしなめられたのですね?」


「っ」


「そこでとどめておれば、愚かな結末にはならなかったものを」


 公爵令嬢との婚約を破棄し、彼女に罪をかぶせることで子爵令嬢と結ばれようと図った愚かな王子を、王妃は冷たい目で見下ろす。

 自身の腹を痛めた息子は王位継承権を剥奪され、間もなく都から放り出される運命にある。子爵令嬢もその地位を奪われ、二人はただの平民として辺境の地で生きることを余儀なくされることとなっていた。

 自身を見つめる王妃の顔に王子はああ、と思い当たった。

 王妃は王家に近い公爵家の出身、つまり親族である。あの日の女性は、今の王妃によく似ていたのだ。


「本当に、愚かですこと。でも、まだまだ終わりませんわよ?」


 王妃とこれもよく似た、しかしとても冷たい声は王子の耳の中で、頭の中でぐるぐると回っている。

 子爵令嬢だった小娘も、同じくこの声に取り憑かれているのだろう。

 多分、今後もずっと。

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王子と令嬢は怯える 山吹弓美 @mayferia

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