おだやかな天気

増田朋美

おだやかな天気

おだやかな天気

その日は、前日から吹いていた突風も止んでおだやかな日になった。昨日の突風はどこへ行ってしまったのだろう、と言われるほど、おだやかな天気になって、悪い天気が続かなくてよかったねえと、みんな噂しあっているところだった。

「杉ちゃん、いくら盛大な式典ではないからと言って、結婚式に黒大島の着物で出席するのはいけませんよ。お寺の尼僧さんが許可してくれたからといっても、本当は、結婚式にはふさわしくありません。洋服にたとえて言うなら、ジャージで結婚式に出るようなものですよ。」

式場であるお寺に向うタクシーの中で、ジョチさんは杉ちゃんに言った。ジョチさんが、しっかりと黒の紋付羽織袴を着て正装しているのに対し、杉ちゃんのほうは、黒大島の着流しという、いつもと変わらない恰好をしている。

「いいじゃないか。黒大島が、どんな身分のやつにも浸透した唯一の着物なんだ。」

と、杉ちゃんが反論すると、ジョチさんはそうですけどね、と言って、杉ちゃんの顔を困った顔で見た。

「へえ、今時お寺で結婚式を挙げられるんですか。其れはまた珍しいですなあ。最近は、チャペルとか、そういうことが多いのに。」

運転手が間延びした声でそういうことを言った。

「ええ、まあそうなんですが、今でも伝統的な式を望む人がまったくいないわけではありません。其れは、ご了承ください。」

ジョチさんが急いでそういうと、運転手は、言ってはいけなかったかという顔をして、はいと答えた。

「はい。つきましたよ。こちらのお寺でよろしかったんですね。」

タクシーは尼寺の前で止まる。ジョチさんはタクシーにお金を払って、杉ちゃんを運転手に手伝ってもらって、下ろしてもらった。二人は、ありがとうございましたと礼を言って寺に入っていった。

式が行われる本堂に二人が行ってみると、もう花嫁も花婿も寺に入って待機している。日本の伝統的な式らしく、花嫁さんは綿帽子をかぶった白無垢を着て、うつむいていた。両家のご両親ももちろんいるのだが、なぜか、花嫁花婿の隣に、中年のご夫婦が座っているのは驚きだった。参加者の多くは、両家の両親ではなく、そのご夫婦にご挨拶をしている。

「はあ、今時珍しい。仲人を立てるなんて、よっぽど金持ちのお嬢さんだったのかな?」

杉ちゃんが思わずそういうが、あの花嫁は一般的なサラリーマン家庭の女性だし、よほど金持ちという言葉には当てはまらなかった。

「それでは、参列者の皆さま、ただいまより、雨宮紳一郎様と、宮川由美様のご結婚式を執り行わせていただきます。」

そう係の者があいさつしたため、杉ちゃんとジョチさんは、急いで新婦側の参列席に座った。其れと同時に、式を執り行う尼僧さんが入ってきて、結婚式が開始された。

確かに仏前結婚式というのは珍しいものであるが、内容は神前式とあまり変わらないと言われる。でも大きな違いがあって、新郎新婦が花の絵の描かれたろうそくを、本尊さんへ奉納するという式を執り行うことが、特徴であった。新郎新婦は、失敗することなく、ろうそくを本尊さんへ奉納した。尼僧さんが、結婚生活というのは、ただ好きだからとかそういう事では成立しないという話をし、祝杯をおこなって式はお開きになった。結婚行進曲が流れる事もなければ、ブーケトスも、何もない、本当に簡素な式典という感じで、結婚式は終了した。そのあと、本堂を背にして記念撮影をするというので、招待客も新郎新婦も、本堂の外へ出た。カメラマンさんが到着するまでの間、一寸時間があったので、杉ちゃんとジョチさんは、新郎新婦に、この度はおめでとうございます、と言ってあいさつした。

「どうもありがとうございます。確か、由美が利用していた支援施設の理事長さんでしたね。」

花嫁の代わりに花婿があいさつした。

「ええ、まあそうですね。宮川さん、いや、もう雨宮さんといった方が良いのかな。この度は、本当におめでとうございます。」

ジョチさんがそう挨拶すると、雨宮さんは、こちらの方は、と言いかけた。すかさず杉ちゃんが、

「ああ、僕は、影山杉三で、杉ちゃんって呼んでね。」

と、にこやかに笑って言った。

「そうですか、分かりました。仲人さんにも紹介しなければなりませんね。こちらが、僕たちの結婚を仲立ちしてくださった、松井敬先生と、その奥様の佳代子さんです。」

と、雨宮さんは先ほどの中年夫婦に二人を紹介した。

「初めまして、仲人の松井です。よろしくどうぞ。」

その中年男性がにこやかな顔をして、杉ちゃんとジョチさんにそう声をかけるが、その松井敬という名前に、杉ちゃんもジョチさんも聞き覚えがあった。それに、その松井敬さんという男性は、どこかで顔を見たような気がする。

「初めまして。由美さんが数年前に利用していた福祉施設で理事長をしています、」

とジョチさんが言いかけると、

「ええ。よく存じております。由美さんが、よく話しておられました。なんでも引きこもりになってしまって、行き先がなくて、困っていた時に、曾我さんが経営していらっしゃる支援施設を利用させてもらっていたと。思い出深い場所なので、よく覚えてるって。」

と、仲人の松井さんがそういった。よくご存じありますなとジョチさんは苦笑いした。

「まあそうですか。と言っても僕たちは、経営しているというだけで、立ち直ったのは、由美さん自身の力です。それに、そうやって、雨宮さんという方と結婚できたんですから、それは喜ばしいことじゃないですか。」

ジョチさんがそういうと、

「あたしたち、お見合い結婚なんです。」

由美さんが恥ずかしそうに言った。

「いろんな人が、恋愛結婚をしていますが、そういう中でお見合い結婚は珍しいですよね。仲人の松井先生が、仲立ちをしてくれました。松井先生がいなかったら、私たち、結婚なんかできなかったと思います。」

「そうなんですか。まあ日本の伝統的なしきたりでもありますから、何も恥ずかしいことではありませんよ。かえって多くのトラブルもなく、結婚できることもあるかもしれませんしね。」

ジョチさんはそういったが、ほかの招待客の中には、花嫁花婿を不思議そうに眺めている人物もいた。基本的に親族が来ることが多いのであるが、花嫁がなぜ結婚できたのかなと言っている者もいる。話を聞いていると大体の人は、なぜ、学校で躓いて、長期引きこもりになり、定職にも就かないで生活していた宮川由美が結婚できたのか、棚から牡丹餅もいいところだと言っているのだった。

「雨宮由美さん、一体お見合いしたきっかけのようなものは、何かあったんですか?」

と、ジョチさんは彼らの話を聞いて、そう聞いてみると、

「ええ、両親が松井先生に相談して、松井先生が縁談をつくってくださったんです。」

と、由美さんは答えた。

「そうだったんですか。そうなると、頼まれ仲人というものではなく、世話好き仲人というか、本仲人という感じですね。それにしても、松井先生は、弁護士の仕事だけではなく、本仲人までするんですね。」

と、ジョチさんは、半分驚きながら言った。きっと報酬もがっつりもらったんだろうなと思いながら。

「そうかそうか。まあ仲人は親も同然っていうからな。親御さんだけではなく、もうひとり頼りになれる存在がいるってことは、きっと離婚する確率は大幅に減るだろう。日本にしかないしきたりだけど、ある意味いい方に考えれば、役に立つかもしれないよ。そしてそれが今は商売になるということだねえ。」

杉ちゃんがカラカラと笑ってそういうと、

「あの、杉三さんっておっしゃいましたよね。僕は、彼女に同情したとか、かわいそうだからとか、そういうことで結婚したわけではありません。松井先生に紹介された時も、彼女は、普通のひとにはない、繊細なところがあって、それが女性らしくて素晴らしいから、結婚しようと思ったんですよ。あのお坊様も言ってたけど、結婚は単に好きだからという姿勢では、いけないことはちゃんと知ってます。だから、僕たちは、松井先生を商売人ではなく、感謝しているんです。其れを崩すようなことは言わないでもらえませんか。」

と、花婿の紳一郎さんが一寸むきになっていった。

「はあ、そうなのね。お前さん、顔はつぶれたボールみたいな顔しているけど、彼女を愛していることだけは世界中の誰にも負けないようだな。其れなら、大丈夫だね。よかったなあ。」

「杉ちゃん、もう二人をからかうのはやめた方が良いですよ。今日はおめでたい日なんだし、彼女たちは、新しい人生を歩こうとしているんですから、祝福してあげるのが一番なんじゃないですか?」

杉ちゃんがそういうと、ジョチさんは急いで訂正した。杉ちゃんが、

「そうだねえ。すまんすまん。まあ、新しい人生を頑張ってくれ。いつも笑顔で暮らせることはないと思うけど、笑顔の裏にある事も読み取れるお前さんだったら、きっと大丈夫だよ。」

と、にこやかに笑った。と、同時に、カメラマンさんが到着した。

「じゃあ、皆さん、記念撮影をしますので、本堂の前に集合してください。」

係員の指示で、杉ちゃんたちは本堂前に向った。確かに、招待客は20人もいない、小さな結婚式だけど、仲人さんもいて、両家の両親もそろっていて、幸せいっぱいの式典と言える結婚式であった。披露宴は行わないということであった。表向きはどんちゃん騒ぎはいやだからということであるが、本当は由美さんがひどく疲れてしまわないように考慮しての事だろう。紳一郎さんのほうは、盛大に式を挙げたかったに違いないが、多分、仲人の松井先生が、うまく仲介したんだと思われた。杉ちゃんとジョチさんは、記念撮影を終えると、タクシーをまた頼もうかと思ったが、松井先生が運転手をよこすからそれに乗っていったらどうかといったのでそうすることにした。数分後に、立派なワゴン車がやってきたので、杉ちゃんたちはそれに乗り込んだ。

「えーと、大渕でよろしかったんですね。どのあたりですか?」

と松井先生が聞くと、ジョチさんは、ええ大渕小学校まで行ってくださいと言った。運転手は車を動かし始めた。

「しかし、松井先生が、仲人を商売にしているなんて、思いませんでした。松井先生は、弁護士として活動されているだけだと思っていましたので。」

ジョチさんがそういうと、

「いやあ、商売ということではありませんけどね。ただ、ボランティアのような感じで、事情がある女性を結婚に導くようにしているんです。」

と、松井先生は照れ笑いしていった。

「そうですか。いつからそのようなことを始めたんですか?先生がたが仲人をしたのは、宮川さんだけではないでしょう?」

「ええ、これでもう、5組目になります。今回はとてもいい夫婦になりそうですよ。雨宮さんは優しいし、由美さんの事を、大事に思ってくれそうですしね。私たちも、彼女が幸せになってくれるんだったら、本当にうれしいです。」


「あの二人は、似たもの夫婦になりますよ。由美さんは繊細過ぎて病気になったところがあるけど、雨宮さんだって、本人は気が付いていないようですが、とても繊細な方ですしね。」

松井先生がそういうと、奥さんがそう付け加えた。

「そうですか。そうやって、結婚の仲立ちをすることも、今はそうやって、ボランティアにつながるんですね。昔の伝統では必ずそういうひとがいたけれど、今は面倒くさくなって、用意しないですからね。まあ、確かに、杉ちゃんが仲人は親も同然と言いましたが、本人たちになんでも任せきりにはできない人の場合、そうやって、伝統にのっとって、誰か第三者がいてもいいと思います。」

「確かに、宮川由美さんは、繊細過ぎる女性だったな。テレビに映っていた災害の被災地を見てよく泣いてましたからね。それだけじゃなく、絵を見て泣いたり、音楽を聞いて泣いたり、ほんと、泣き虫女の子だったもんな。彼女のそういう所を生かしてくれるように、家庭で育ててもらえばよかったんだが、そういうわけにはいかなかったもんね。まあ、でも、良いことじゃないの。おかげで、雨宮さんと結婚することもできたんだからな。」

ジョチさんと杉ちゃんはそういうことを言いあった。

「きっと由美さんは、精神科のお医者さんに見せると、何か病名が付くと思いますが、でも、由美さんの長所を認めてくれる人が居てくれれば、又違いますよ。そういうひとに導いてあげる事も、仲人の務めなんじゃないかと思うんですね。」

松井先生は、はははと笑った。確かに今の世の中、なんでも商売になってしまう時代だけど、こういう風に結婚の仲立ちをしてくれる人が居れば、又変わるのではないかと思われる事例は多いのかもしれない。

「由美さん、幸せになってくれるといいですね。」

と、ジョチさんは、小さい声でつぶやいた。

同じころ、犬養梢は、駅近くに在ったカフェで、クライエントの女性の話を聞いていた。

「はあ、そうですか。もうご主人に愛されることはないとお思いですか?」

「ええ、私が、間違いだったんです。なんで今はこんな人と付き合っていたんだろうと思います。いつも一緒にいたいと思っていたのがうそのようで、、、。」

と、クライエントはうつむいてそういう。

「では、具体的にご主人のどこがいけないのか、話してもらえないでしょうか?」

梢が聞くと、クライエントは、少し考えてこう切り出した。

「ええ、つきあっていた時は、仕事もできる人で、すごいなって思ったんですけど、ひとりで暮らしていたのが長かったせいか、家事とかそういうものをちゃんとしていないと文句を言うんです。なんでだろうと私思いました。私は家事というものは、時々休んでもいいと思いましたが、主人はやって当たり前のような態度を示しますし。」

「そうですか。では、ご主人に家事を手伝ってくれと頼んでしまうことはできないのですか?」

梢が聞くと、

「そうですね、確かに手伝ってはくれますが、結局これは間違いだとか、洗濯もののたたみ方がおかしいとか、そういうことを言って、私のやることを盗ってしまうんです。」

と彼女は答えるのである。

「つまり、協力してくれているってことじゃないですか。其れならそれでいいにしましょうよ。ご主人にはそういうところがあるんだってわきまえてしまえばいいのです。」

梢はそうアドバイスしてみたが、

「でも、主人のお母さんは、私がそういう態度をとっていると、息子になんでもやらせてしまうダメな嫁だと思っているようです。」

と彼女は言うのだった。

「でも、お姑さんと一緒に暮らしているわけではないでしょう?」

「ええ、そうなんです。そうなんですけど、心配になったとかで、時々訪ねてくるんです。それで私がなにかしていると、そういうことを言って文句を言います。私は私なりのやり方で、家事をしているつもりなんですけど、なぜかお母さんにはへたくそにみられているようで。私、まるでいけないことをしているみたいに嫌味をいうものですから。なんで年寄りは、こうなんだろうって私、すごくいやな気持ちになることが多いです。」

そういうクライエントに、梢は誰か第三者がいて、家族同士のぶつかり合いを和らげてくれる人が居てくれれば、もうちょっと彼女は苦しまないに違いないなと思った。

「先生、そんなわけですもの。離婚してもいいですよね。あたし、もう耐えられない。こんな事を繰り返している毎日なんか早く返上してしまいたい。」

「ちょっと待ってください。だって、娘さんがいるでしょう。娘さんにはどう説明するんですか?」

梢は、クライエントの発言にびっくりして、思わず言った。確かにこのクライエントは、一年前に娘さんを出産したばかりなのだ。その時は主人もお姑さんも喜んでくれていてうれしいと言っていたはずなのに。

「娘はまだ赤ちゃんでそういうことはわからないと思います。最近は母子家庭であっても幸せに暮らしている人はいっぱいいるでしょ。だから、もう離婚してもいいかなって。」

クライエントさんはそういっているが、梢は今までの経験上それは避けてもらいたかった。親が勝手に離婚してしまったせいで、傷ついている人を何人も見たことが在るからだ。

「いいえ、それはやめてください。赤ちゃんだからこそ、傷つくこともあります。確かにご主人と考えの違いはあるかもしれないけど、そういうことはあって当たり前だと思って下さい。一度や二度、そういうことがあるのが人生というものです。其れを一度経験したからってはいさようならということは、あなたの為にも、子供さんのためにもよくありませんよ!」

梢がそういうと、クライエントさんは、一体この人何を言っているのかなという顔で見た。でも、梢はこのことだけは変えてはいけないなと思った。

「赤ちゃんだから、世の中の事を何も知らないだろうと軽視してはいけません。むしろ、何も知らないだろうからって、勝手に親が動いてしまうのが問題です。そんな簡単なことで離婚してしまうようでは、人間として、ちゃんとやっていないことになりますよ。」

梢は、心理学の本に、人間は耐える生き物であると書いてあったことを思い出しながら、彼女に言った。

「でもあたし、主人があたしのすることに口を出してくるのが、もう耐えられない。」

「だったら私の提案ですが、ご主人のいいところを、紙に書きだして、それがいくつあるか数えてみてもらえませんか。離婚するのは、それに気が付いてからでも遅くありませんよ。」

梢は、何とか彼女に行動を起こすのを思いとどまってもらうように、そういった。こういう時は、自分が第三者の役割をしなければならないのだ。

「そうですか。分かりました。先生の言う通りにしてみます。今日は、あたしの相談に乗ってくださってありがとうございました。」

いつの間にか、セッションの時間は終了になっていた。クライエントさんから渡された報酬を受け取って、領収書を書いている間、梢はなんでこんなことまで、世話をしなければならないんだろうなと思った。

彼女に領収書を渡して、セッションはとりあえず終了した。クライエントの女性は、頭を下げて、飲食代を払うと、カフェを後にした。梢も、次のクライエントさんが待っている別の場所へ行かなければならないので、急いで車に乗った。今回のセッションは、梢も頭に来た。何か、現代の人が、簡単になんでも考えてしまうところが、悪い目に合っているような気がした。

梢が車で道路を走っていると、ある寺院の前を通りかかった。その中は、何人か晴れ着姿の人たちがいて、中心には白無垢を着た花嫁がいるのがみえた。ああ、この人たちも長続きしてくれるといいなあと思いながら、梢は寺院の前を通り過ぎた。

空は本当に青い空だった。何もないということがいかに幸せか、教えてくれているような穏やかな天気だった。






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おだやかな天気 増田朋美 @masubuchi4996

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