燃えて灰になるまで

葛瀬 秋奈

火の手は止まらない


 ごうごうと。明々と。

 揺らめく炎に照らされる。

 下は真っ赤な火の海だ。


「私と来てくれるなら、あの火は消します」

「どうしてこんなことするの?」

「だって、必要ありませんもの。あなた以外の人間なんて」


 目の前の少女はにっこりと笑った。


 観覧車はもうすぐ頂上に差し掛かる。逃げ惑う人々の声はここまで届かない。


 私はというと泣くこともできずに、眼下に広がる地獄を眺めている。


 あの中にはきっと、今日という日をずっと前から待ち望んでいた人もいたのだろうに。


「あなたが頷いてくれれば済む話なんです」

「それは」


 脅迫ではないのか。いや、そんな理屈は彼女には通じていないのだろう。


 とっくの昔に、狂っているのだ。

 だから私が悪いのだ。


 この子の話をまともに聞こうとしなかった、私がきっと悪いのだ。


「私が『うん』と言えばいいんだね?」

「ええ、二言はありません」

「わかった。あなたの要求を飲むよ」


 少女は手を伸ばす。私がその手を取る。


「契約成立、です」


 ──嗚呼。

 こんなに邪悪で美しい微笑みは見たことがない。


 なのに掌は、こんなにも温かい。


 観覧車はゆっくりと降りていく。

 あんなに燃え盛っていた炎が、下につく頃にはすっかり消えていた。


「帰りましょう。私達の家に」

「……うん」


 拒否権なんて、初めからなかった。


 人権なんて、最初からなかった。


 少女の形をした悪魔は私を抱きかかえると、夜の空へと飛び立った。


「あなたが私を嫌いでも、私はあなたを愛していますよ」


 いっそ全て夢だったら良かったのに。


   ×××


 昨夜、向かいの家の幼女が死体で発見されたらしい。死因は焼死で、出火元は彼女の部屋。「らしい」というのは僕が先程まで夜勤バイトで自宅におらず、帰宅してから家族に話を聞いたせいだ。


 その話を聞いた瞬間、僕は背筋が凍りついた。


 6歳の幼女の部屋が出火元というのも変だし、何より僕が先週巻き込まれた遊園地炎上事件に似ていたからだ。

 あれは、遊園地のあちこちで突然火の手があがるという酷い事件だった。消防車が来る前に何故か勝手に鎮火したその事件にあって、幸い僕は無事だった。が、一緒に来ていたサークルの先輩が一人、行方不明になっていた。


 警察はその彼女が事件に関与しているのではないかと疑っているようだった。

 しかし、僕の見方は少し違う。

 恐らく一連の事件は氷山の一角に過ぎなくて、未知の存在Xによる連続放火事件なのだ。でなければ炎上した遊園地が勝手に鎮火したり火事もないのに幼女が焼死なんてするわけない。


「はぁ、バカバカしい」


 そんな妄想じみた推理なんて誰が信じるものか。あまりに現実感がないからちょっと逃避してみたくなっただけだ。

 どうせ鎮火は自然現象で幼女は親の虐待で消えた先輩は誰かと駆け落ちしたのだ。

 実際、同じサークルの仲間から先輩が誰かと会っていたという目撃証言も出ている。相手は女の子だったそうだが「だからこそ」という可能性もある。


 きっとそうだ。そうに違いない。


「寝るか」


 布団に潜り込んだ瞬間、スマホの着信音が鳴った。


「誰だよ……」


 スマホの画面に写し出された名前。それは行方不明になった先輩だった。


「え、ちょ、佐藤先輩?」

『あ、繋がった⁉』

「ちょっと先輩今までどこにいたんスかこっちはあれから大変で」

『ご、ごめんなさい、順を追って話すからね。まず』


 話していた先輩の言葉が突然止まる。


「どうしたんスか?」

『ごめんなさい。ごめんなさい今すぐそこから逃げて!』


 そこから先は謝罪の言葉を繰り返すばかりでまったく要領を得ない。


「は?」


 スピーカー越しにあがる悲鳴。途切れる声。それと入れ替わりに聞こえてきたのは。


『残念、君の冒険はここで終わりです』


 聞き覚えのない声。嘲笑うような台詞に反して、痛いほど冷たい声色。そして。


「……は?」


 僕の体が、燃えていた。

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燃えて灰になるまで 葛瀬 秋奈 @4696cat

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