Disk 01 Track 06 ジャマをするな!
四月も半ばを過ぎると新入生達は落ち着きを見せてきた。友人関係を構築してグループが決まったし、学部棟間違えて遅刻する馬鹿も減ったし、学食のメニューも一通り食べたようだし、少しずつおぼこさが薄れていく。
もうゴールデンウィークは目前。休み時間の講義室や昼のカフェテリアでは遊びの計画で盛り上がってる。……ゴールデンウィーク何して時間潰そうかな。マーメイドスカートは作っちゃったし、ママの二回目の新婚旅行の白いワンピースも作っちゃったし……うーん、洋裁は今の所お腹いっぱいかな。原宿行ってお洋服眺めるのも楽しいけどめっちゃ混むから……積み本でも消化しようかな。『ある恋の話』とか『ひとでなしの恋』とか去年買ったけどそのまんま。埃被ってたら可哀想だよね。
カフェテリアで冷やし坦々麺を口に運んでいると軍曹君とハカセ君がゴールデンウィークの話題を紡いだ。軍曹君はイベント、ハカセ君は弦楽サークル(ヴァイオリニスト! 渾名は某有名奏者から)の飲み会に参加するらしい。
麺を吸えない性質なので麺を掴んだ箸を幾度となく唇へ運ぶ。やっと口に含めた麺を咀嚼していると軍曹君が問う。
「花ちゃんの予定は?」
「野暮だな。彼氏とデートだよ」ハカセ君のツッコミはいつも早い。
急いで食べた物を喉へ送ると手を口に当てる。
「いないよ。ってかやる事無くて積み本の消化。一応文々(文学部文芸科)だし」
「うおおお。俺にもワンチャン? ワンチャン?」
「ねぇよ」
ぶかぶかの軍服の袖から拳を振り上げ立ち上がる軍曹君をハカセ君が突っ込む。あははははー。取り敢えず笑っておこう。……それにしても軍服のサイズ感気になるなー。裁縫好きとしては直したい……。
しょぼくれた軍曹君はコタローを見遣る。
「デート?」
焼きサバ定食を食べ終えてレモンミルクを飲むコタローは自らを指差す。
「バイトだよ」
「またまた。女の一人や二人いるでしょ旦那ァ。デートくらいしなきゃ腐っちまいますぜー」
「あー……コンビニの行き帰りだけじゃダメか」
「おっと意味深!」
「聞き捨てならん!」盛り上げ師の軍曹君ばかりかハカセ君も食いついた。
携帯電話のサブ画面の時計を見遣ると予鈴まであと数分だ。急いで食べなきゃ。再び麺を掴み口へ送る。
「行き帰りってバイト仲間? 近くに住んでるの? 一つ屋根の下? 年上? 年下?」普段軍曹君の相手を務めるハカセ君が熱心にコタローに問う。
「食いつきいいなー。……一緒に住んでるよ。年上と年下」
両男子は『ふうーう』と囃し立て『二人なんて爛れてるゥ』『大人ァ』とコタローを突つく。男の子にとってハーレムは正義なのか。私は不潔としか思えないけど。
眉間に皺を寄せて麺を咀嚼していると、軍曹君がコタローに肉薄する。
「俺、ジュニアん家遊びに行きたい。女の子紹介して貰いたい。例えそれが姉妹でも嬉しい。ジュニアの顔なら期待値高い。イベント行ってる場合じゃねぇ」
「んー……俺ん家何にもないよ。狭いし本と椅子しかないからつまらないよ?」ヘラっと笑ったコタローは軍曹君の頭を撫でる。五分刈りがしょりしょり良い音を奏でる。
「つまらなくてもいいっ。チャンスが欲しいっ。ってかジュニアから学びたい! どんなモテ部屋か、生活がどんなに爛れているか見てみたいっ!」
「んー……ただのおじさんの部屋だよ? 来ても面白くないよ? 学生生活付き合って貰って何だけど若者は若者と遊んだ方が楽しいと思うよ?」
「今更年寄りぶるな! それでもいい!」
「ジュニアー。俺も遊びに行きたい」ハカセ君も援護射撃する。ふーん。ハカセ君もそーゆー人なんだ。
鼻息を荒げる軍曹君とさり気なく乗っかろうとするハカセ君を前にコタローは『参ったな』と笑う。面白くないの。男ってみんなスケベ。女の私だけ置いてけぼり。
坦々麺を黙々と食べているとコタローはアビエイター越しにちらりと私を見遣る。顔色なんて窺わないでよ。みんな好きにすれば? 私関係ありませーん。
視線がうざくて鼻を鳴らすと軍曹君もハカセ君も流石に気付いたようで『ハナちゃんごめん』と平謝りする。
途中の麺を噛みちぎり、喉へ送る。
「ふーん? 私も男に生まれればよかったなー。女は関係ないみたいだからつまんなーい」
「ハナちゃんも来る?」コタローは問うた。
「行かない!」
突っぱねるが席を立てない。だってまだ冷やし坦々麺残ってる。残したらスタッフのおば様悲しんじゃう。あーん。私のノロマ。
みんなのしょんぼりした視線をちくちく感じる中、黙々と麺を食べていると予鈴が鳴った。次は聖母水城の講義だ。とても心根が優しい先生なので極力遅刻したくない迷惑かけたくないと学生の殆どは思ってる。皆んな水城先生が大好き。
急いで食べるが噎せてしまう。見かねたコタローは『軍曹殿とハカセ氏は先に行って席取っておいて。なるべくドア付近で宜しく』と二人を促した。
後ろ髪引かれるように去る二人の背を見送るとばつが悪くなった。
「無理しないでね。ハナちゃんのペースで食べて。おばちゃんが心を込めて作ってくれたから美味しく食べよう」
「……遅くてごめん。コタローも先に行ってよ」
コタローはフニャッと笑う。
「んー、講義室分からないからハナ先輩が優しくエスコートしてくれないとダメみたい」
嘘つき。この前、一人で行ったじゃん。……そーゆー器の大きい事しないでよ。
コタローが水のお代わりを持ってくると本鈴が鳴った。もう直ぐ食べ終わりそう。
「少し席外すね。……食べ終わっても待っててね?」コタローはバッグ代わりのレジ袋をテーブルに置いたまま席を立った。
あ……トイレか。軍曹君やハカセ君なら食事中でも『ちょっくら便所ー』『せっちん、はばかりー』とか言うのに何処までもスマートな男だな。……軍曹君もハカセ君もデリカシー無いしコタローに関しては爛れててアレだけど皆んな心根が優しいんだよね。……あとでちゃんと謝ろう。
ご馳走様をして食器を片し、肩にバッグを掛けコタローのレジ袋を手に提げトイレの傍のエントランスに向かう。午後の日差しが降り注ぐアトリウムにミュールの音がカツカツ響く。流石に本鈴鳴った後の学部棟は静かだな。
俯き、階段の手すりに腰を預けていると重めの靴音がした。高そうなゴムの音。コタローだろう。人影が視界に入る。
「さっきはごめん!」
顔を上げるとそこにはコタローではなく松澤が佇んでいた。
時間と体が凍りつく。だのに鼓動は急に速まり身体中の粘膜が乾く。目も水分を失い、瞬きすら叶わない。私を舐め回すような松澤の目なんて見たくもないのに。
「し……つれい、しました。松澤先生」
声を振り絞り非礼を詫びると、松澤の表情が変わる。能面を偲ばせる無表情から含みのある笑みが粘液となってじわりと広がった。
「山田さんが一人でいるとは珍しい。近頃声を掛け難くて寂しく思っていましたよ。以前は頻繁にゼミに顔を出してくれたのに。……ところで親衛隊の姿が見えませんがどうしました?」
嫌味言ってる。馬鹿な私でもよく分かる。私を責めてる。
「親衛隊だなんて……大切な友達です」
松澤はにたり笑むと私の隣で手すりに腰をもたれる。ヤダ。長話なんてしたくない。
「今期の新入生でしたね彼らは。彼らの主任は織部准教でしたね。あの人は多忙を口実に学生を放ってどうもいけない。まったく、君はマメな女性だ。後輩の面倒を見させられて大変だろう?」
「いいえ。皆んな私に良くしてくれます」
手すりから腰を上げるが松澤に手首を軽く掴まれ制される。
「……や」叫びたくても怖くて声が出ない。掴まれた手首がねっとり腐るのを感じる。振り解けない。
「まあ待ちなさい。話は終わっていない。君は実に美しく素直で物分かりも良く文才にも恵まれた稀有な娘だ。昨年度の私は君の手助けで立ち回れた。感謝しているよ。君にだけご褒美をあげよう。私の秘蔵っ子、才気溢れる助手として大型連休はパーティに参加しなさい。著名な文士達で内々に行うパーティだ。君にもコネが出来る」
声が出ない。松澤から顔を逸らすが手首を掴んだ手に力を込められた。
「来なさい」松澤は肉薄する。
「あ……はなし……」唇が震えて言葉にならない。
「嫌だと言うのか?」松澤の目尻がぴくりと動く。
嫌です、なんてとても言えない。あとで何されるのか分からない。コタロー達に類が及ぶかもしれない。友達を巻き込めない。
「二人だけの秘密だ」
──二人だけの秘密だ
──お前は恥ずかしい程に汚れた娘なんだよ?
──口外したらここに居られないのはお前だからな
目前がホワイトアウトし脳内でフラッシュバックが起きる。記憶の底に押し込めていた嫌な思い出なのに松澤は簡単に浮き上がらせる。
「いいね?」
松澤は私の手首を振り、念を押す。しかし間延びした声が場を割って入った。
「ダメですよー。ハナちゃんだけの贔屓は宜しくありませんね」
声の方を見遣ると階上からコタローが松澤と私を見下ろしていた。
松澤は即座に私の手首を離した。その刹那足の力が抜けてその場に座り込んだ。
コタローは首から下がる赤いペンダントに触れつつ階段を下る。
「役立つ資格がなくて就職に困る学科ですがそれを皆んな承知で入ってます。自分の文学を構築するって純真無垢な気持ちで進学したんです。俺だってその一人ですよ。でも話は別です。『才気溢れる』なら俺だってその枠に漏れない。俺にもコネを下さい。こんな歳にもなるとコンビニだけじゃ不安で……。俺にも愛の手を差し伸べて下さい松澤せん」
話を締めようとした所でコタローは階段を踏み外し、腰を打ち付ける。……カッコ悪。
打ち付けた腰をさするコタローに鼻を鳴らした松澤は踵を返した。
「あと連休は俺、ハナちゃん家に遊びに行くのでお誘いならまた今度でー」
アトリウムいっぱいにコタローの声が響いた。
「やー……電気走ったかと思った。……ギックリは二度とごめんだ。年はとりたくないね」
起き上がったコタローは溜息を吐く。そして頭を掻くと私に手を差し伸べた。
「待たせてごめんね。清掃中だったから二階に行ってたんだ」
震えが止まらない。瞬きが出来ない。声が出ない。力が入らない。差し伸べられた手も取れない。
コタローは再度頭を掻くとポケットから何かを出し、屈んだ。
ちきちき。ビニールが破れる音がする。
「取り敢えず唾出そうか。ハナちゃん、口開けられる?」
頷けずにいる私にコタローは口に黄金色の飴を押し込んでくれた。口を動かせずにいるとコタローは袋を破り自らも飴を口に含む。
「そのままだと貼りついちゃうからベロ動かしてみようか。ほら、にょごにょごって動かしてみて。にょーごにょご。にょーごにょご」
漸く舌に力が入る。舌に乗っていた飴はバランスを崩し歯に当たる。かろ、と小さな音を立てた。
「にょーごにょご、にょーごにょご。さて推理の時間です。何の飴でしょう? ハナ刑事は答えられるかな?」
舌を懸命に動かし貼りつきそうになる飴を転がしていると徐々に甘味が広がる。プリンにも似たシンプルな香りが鼻をくすぐると唾が出てきた。
「……べっこ、飴」
「ご名答。流石はハナ刑事。……目、まだ動かないね。使い回すと眼医者さんに怒られるけど……俺の目薬使う? 人工涙液」
「ん」
差し出された目薬を受け取り、涙液を瞳に落とす。コタローの体温で暖まった目薬が眼球を潤す。
「……りがと」
キャップを閉めた目薬をコタローに返すと手を差し出される。手を伸ばし起こして貰うがまだ上手く力が入らない。
レジ袋を返し、言葉を探しているとコタローは問う。
「受講する? それとも何処か落ち着ける場所に座る? 歩けないならおぶろうか?」
……嫌な所見られちゃった。汚い所見られちゃった。だのにすごく気を遣ってくれる。
コタローの優しさに、さっきまで乾いていた瞳は幾つも幾つも涙を生む。何で苦しいんだろう。何で悲しいんだろう。何で私は耐えられないんだろう。何でこんなに優しい友達がいるんだろう。
優しい友達に類が及ぶのは嫌だ。苦しいのは私だけでいい。
差し出されたコタローのハンカチを突っぱねる。
「……せ、折角……先生が目をかけてくれたのに。何で邪魔するの?」
「……ハナちゃん?」
言葉が詰まりそうになるが溜息を吐き呼吸を整える。
「酷いよ? い……今まで一生懸命積み上げてきたものがパーじゃない! 馬鹿っ! コタローなんて大嫌い!」
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