Disk 01 Track 04 ロメオとジュリエット!


 とても気持ちの良い子達だった。お陰でニャコがいなくても一日がとても充実した。あれから四限目までコタローや軍曹君、ハカセ君と一緒だった。カフェテリアで履修計画表を互いに見せ合うと取る講義がドンピシャで来週からも一緒に受講する事になった。今日は大学生活の中で一番楽しい日だったかも。幸せ。


 楽しい時間を思い出しつつフローリングに広げた生地に型紙を当てチャコペンを引く。若草色のマーメイドスカートにするの楽しみ。帰りに寄ったクラフトショップでとても綺麗な生地があったから思わず買っちゃった。白いレースのグローブと合わせたら絶対に可愛い。えへー。レースも買っちゃった。自分の分と販売分上がったらママにも作ってあげようっと。もう直ぐ五月だもの。こんな爽やかな色着たいよね。


 生地を裁断していると玄関のドアが開く音が聞こえた。足音が軽いからママだ。手を止めて玄関へ向かう。


「ハナちゃーん。ツキちゃーん、手伝ってー! ママ一人じゃ限界!」


 人工大理石の三和土では小柄なママが大男のパパに肩を貸していた。いや、肩を貸しているってか親亀子亀状態。子亀のママが潰れちゃう。


「あん。もう。キャベツちゃん達の前でそんな所触らないの! もー酔っちゃってこの人」胸を抱きしめられたママは笑いつつパパを嗜める。


 駆けつけたツキと共にママからパパを引き剥がす。重いの何のって。高校生のツキも私もママに似て小柄だしその上痩せっぽっち。お互いに筋肉ないから非常に重労働。


 呼吸を整えるママを玄関に置いて、姉弟で肩を貸し合いパパを寝室へ引きずる。ママの言った通り結構酔っているみたい。珍しい。パパは下戸のカイザーだから付き合いでもお酒飲まないのに……。白い頬は薔薇色に染まり瞼を閉じていた。


 息を上げつつドアを開けると『カレンさん、愛してる』と意識が朦朧としたパパが独りごちる。酔っ払っても可愛いよねパパって。ママの事が大好き。


 ベッドにパパを横たわらせ羽毛布団を掛ける。ライトを消そうとすると泥酔したパパは再び独りごちる。消え入りそうな声で。


「カレンさん……僕を捨てないで……」


 はいはいご馳走様。


 ツキと共に溜息を吐くとライトを消した。


 自室に戻るツキと別れ、ママに水を差し入れようとキッチンへ向かう。大きな冷蔵庫の前では片手を腰に当てたママが私のワンカップを呷っていた。飲兵衛だよねこの人。


「ごめん。これ貰ったわよ」ママはワークトップに空瓶を置く。かたり、と音が響いた。


「仲直りはどうだった?」


 冷蔵庫を開け、一升瓶を取り出すとママは微笑む。


「……その節は大変お騒がせしました。マコトさんから食事に誘われてね。いつまでもプンプンしてたら可愛くないじゃない? 反省してるし付き合ってあげてもいいかなって麻布の隠れ家レストランでご飯食べたの。そしたらね」


「その話何分かかる?」


 ママは瞳をぐるりと動かす。


「二時間? それでね」


「座ろうよ。ね?」


 あーん。あの時、ツキと一緒に自室に逃げれば良かった。


 湯飲みを二つだし、運転代行の人に鍵を返して貰ったかと問い、冷蔵庫から瀧山さん(料理専門のお手伝いさん。センスがいい)が作ってくれたおつまみのプレートを出す。


 日本酒を注いでいるとママはアップにしていた髪を下ろし『うふふ』と少女のように思い出し笑いする。脱色しただけの金髪なのにゴージャス。ふわふわカールの髪から覗く白い肌がとても色っぽい。……モテるんだよね。親子で買い物してると姉妹と間違われてナンパされるの(無論ママ目的)。実の娘が言うのもアレだけど子供三人も産んだとは思えない。


 髪を手櫛で梳いたママは湯呑みに口をつけた。


「良かったよ。仲直りしてくれて。パパとママの子供キャベツとして安心しました」


 頬を染めたママは『うふふ』と笑うと顛末を話した。以前から気になっていたレストランをパパは貸切したらしく夫婦水入らずで美味しいイタリアンに舌鼓を打ったそうな。ドルチェが出てくるとパパはバラの花束を差し出し人生二回目のプロポーズをしたらしい。


「マコトさんたら『今までの僕とは別れて下さい。そして今の僕と結婚して下さい。カレンさん、愛してます。幸せにします』って膝を折ってプロポーズしてくれたの。もう可愛くて可愛くてキュンキュン」


 あれ? まだ一合も呑んでないのに胸焼けしてる。


 ゲップを堪える私を他所にママは話を続ける。


「『九九九本は用意出来なかったけど……僕の想いです』って差し出してくれたバラ、車の中で数えたら一〇八本あったのよね。もーう可愛くて可愛くてキュンキュンキューン」


「……花束はどうしたの?」


 ママは一瞬で青ざめる。


「ヤだ。車の中だわ」


 腰を上げようとするとママはツキを呼びつけ『一生のお願い』をする。湯呑みに唇を付けるママにツキは『へー? どうしようかなー。ゴールデンウィーク発売の限定マリンちゃん(着せ替えドール)買ってくれるならツキはパパに黙っててあげるし持ってきてあげる』と交換条件を持ちかける。


「いいわよ。序でに活けてパパの枕許に置くならスタンドも買ってあげる。どうせ通販でしょ? ママのプリンちゃん(マリンちゃんの親友)も予約しといてー」


 クレジットカードとキーを受け取ったツキは嬉々として家を出て行った。


 あーん。アイツ要領良すぎ。やっと解放されると思ったのに。


「そんな顔しないでよ。漸くお酒呑める年になったんだし、ママに似て好みも渋好みだし、女二人で呑みましょうよ。ユキちゃんが独立してから飲み友達居なくて寂しくて寂しくて。今夜は離さないわよ?」ママはクリームチーズの粕漬けを摘む。


「プロポーズされたんでしょ? 愛しい伴侶をベッドに置いたままでいいの?」


「いいのいいの。呑むと勃たないもの」


 生々しい情報要らないよー。気を取り直して話題を逸らす。


「何杯呑んだの?」


「ママは赤白二本、マコトさんはデザートワイン一口」


 テーブルを見遣ると瓶の底に酒がつきそうだった。……ワイン二本呑んでる上に一升瓶空にしようとしてるよこの奥さん。


「……と言う訳で暫く新婚さんでーす。ゴールデンウィークは二人で旅行するって約束したの。もう宿も抑えたの。鎌倉と箱根ですって」


「ご馳走様です。お土産よろしくね」


「新婚さんのお土産はやっぱりキャベツちゃんよね。ハナちゃんにはツキちゃんいるから弟より妹がいいかしら?」


「マーマー?」


 ごめんちゃい、とママはちろりと舌を出す。これでまったく酔ってないんだから本当に化け物。


 おつまみのプレートが空になったのでミックスナッツを小鉢に出すと一升瓶のおかわりを要求された。


「ダメ。また空にするでしょ? 飲み過ぎ」


 ママは唇を尖らせると『じゃあさっきのカップで我慢するわ。悪いわね』と冷蔵庫からカップ酒を取り出す。あーん。それ私の。


 しかし上機嫌なママを見ていると止められない。


 キャップを開け、アルミのフィルムを剥がしたママは呷ると溜息を吐く。


「マコトさんズルい。……昔のマコトさんとも別れられる訳ないじゃない。今も昔もマコトさん最高に素敵なんだから」


 ママは一回目のプロポーズについて頬を染めて語った。


 ……結局一升瓶を抜栓してグダグダ長くなったから私がまとめるね。





 二〇歳のママ……花も恥じらう乙女の綾小路花恋さんは高校卒業後バイク便の会社に勤めていたそうな。まだパソコン通信だった時代でさえ会社間での連絡文書や小さな荷物の即日輸送は都市では大いに役に立っていた。高校の馬術部を始め、バイクや車等『乗って操れるもの』が大好きな花恋さんには天職だった。小柄で均整がとれた体でバイクに跨って風になるんだから相当モテただろう。一秒でも早く、安全に、そして確実にお客さんへ依頼品を届ける気構えでいた。細やかな道まで頭に叩き込み渋滞の予測も出来た花恋さんは重宝された(当時は二輪のカーナビなんてなかったんだって)。紅一点だけど先輩社員のお尻を蹴散らし実力は社内随一。正にエース。しかし男のプライドやら先輩のプライドやらをズッタズタに引き裂いちゃったので度を越した嫌がらせに遭ったそうな。本人曰く『レイプされないだけマシだったけど幾度も辞めようかと悩んじゃった』と。酷い。私なら出社拒否になっちゃう。


 転職しようかな、でも男社会だから転職先でも虐められるかな。怖いな。辛いな。苦しいな。花の乙女……花恋さんの心に暗雲が垂れ込む。しかしそれでも『お金貯めたら大型トラック取ってトラック野郎になってやる。先輩の馬鹿野郎!』と毎日を走り続けていた。


 そんな折だった。


『三〇分内に書類をアトラス本社に届けて下さい』と依頼された。依頼人たる支社の所在地、二三区の外れから港区本社(まだ小規模)まで結構な距離がある。裏道や時間帯を考えても間に合うか分からない。しかし必死に頭を下げる依頼人を見ていると断れず『必ずや』と書類を預かり、花恋さんはひらりバイクに跨った。


 頭に叩き込んだ道路図を駆使し風になり時にはビルの間を飛び越え、時には何かの工場が爆発して吹き付ける火炎や熱風をかわし花恋さんは走った。嗚呼走ったとも走ったとも。乙女花恋は勇猛果敢に疾風の如く。


 そんなこんなでアトラス本社に着き、爆風で煤だらけになったバイクを乗り捨てる。這う這うの体で書類を届けようと中央企画室の在所を受付嬢に尋ねると『八階です』と答えられた。息を弾ませエレベーターへ向かうがドアの前には暴君たる看板が鎮座していた。


 花恋は激怒した。『点検中』この邪智暴虐な暴君かんばんに屈してはならぬと花恋は決意した。花恋にはエレベーターがいつ使えるのか分からぬ。花恋はエンジニアではなくライダーである。クラッチを切りフルスロットルで暮らしてきた。けれども短い人生において駅で階段を駆け上がる事は全くなかった。


 こめかみに青筋立てて憤怒し非常階段を駆け上がった。嗚呼駆け上がったとも駆け上がったとも。退路が崩れ去ろうが槍が降ろうが妹の結婚式に間に合わなかろうがセリヌンティウスが処刑されようが依頼人にこの書類を届ける為だけに駆け上がった。邪魔なヘルメットを放り捨てピッチをかなぐり捨て、黄金の髪を振り乱し正義の使者花恋は雄々しく非常階段を駆け上がる。


 踊り場を駆け抜ける度にフロア数が大きくなる。五階、六階、七階……あと一息!


 しかし花恋は段を踏み外した。足首を思い切り捻りバランスを崩し背から転倒する。全ては一瞬だった。背に腰に大腿に階段がぶち当たり体は奈落へと引きずり込まれる。……何段滑ったのだろうか。鋭い痛みに意識を引き戻されると涙がじんわり溢れ出た。……こんなに頑張ったのに、あんなに頼まれたのに……不甲斐ない。涙が出ちゃう。だって若造だもん。


 それでも届けなきゃ。書類を待ってるお客さんがいる。激しい痛みに耐え身動いだ花恋は起き上がる。手すりを頼りに階段を登るが倒れる。片足が言う事を聞かない。もうとっくに時間を過ぎてるかもしれない。それでも届けたい。


 そんな時だった。上階から光が差し込む。非常階段の扉が開いたのだ。


 背の高い社員が出てきた。逆光で眩くて見えないが絶対に社員だ。ほ、と花恋は頬を緩める。使命放棄になるがこの人に想いを託そう。


 社員は傷だらけの花恋に気付くと『貴女……! どうしましたか!?』と階段を駆け下りる。


「だ、大丈夫です」人前じゃ強がっちゃう。だってエースだもん。


「足首の向きがおかしいのに大丈夫な訳ないでしょう!」心地の良いバリトンが響く。背の高い社員は男性だった。


「それよりもこれを……中央企画室に……」


 花恋は男性社員に書類を託す。男性社員は深く頷くと『ここで待っていて下さい』とそれを受け取り八階へ上がって行った。


 使命を果たした。燃え尽きた。真っ白に燃え尽きた。もうこの仕事やめよう。会社に戻ったら『だから女に任せられない』と男どもに嘲笑されるだけだ。足をぐねったから暫くバイクに乗れない。丁度いい機会だ。背も腰も強く打ち付けてボロボロだ。サロンパス……いや、湿布貼らなきゃ。冷湿布で良かったっけ? まずはピッチ取り出して社に連絡しなきゃ。


 花恋は痛む足を引きずり無理やり起き上がる。


 頑張れ花恋。あとは連絡して帰宅して辞表を書くだけ。それだけで……それだけで、楽になる。


 ジャケットの胸ポケットをまさぐるがピッチが見当たらない。


 畜生。メットと一緒に放り捨てた。階下に転がってやがる。


 長い溜息を吐き、手すりを頼りに階段を下る。すると背後から声を掛けられた。


「待って下さいって言ったのに……! ダメですよ動いては」


 さっきの男性社員だ。世の中優しい男もいるんだな……。花恋は力なく微笑む。


「お騒がせして申し訳ありませんでした。その上書類を届けて下さってありがとう御座いました。……間に合いましたか?」


 男性社員はこっくり頷いた。花恋の目が光に慣れた所為か脳内が明瞭になった所為か男の顔が鮮明に見えた。精悍で涼やかな男だった。切れ長の眼窩に理知的な瞳を宿し、自分を見つめている。美の女神アプロディーテーの祝福を受けたように美しく太陽神アポロンのように逞しい男だった。ああ。私、こんな美しく頼もしい男の腕に抱かれて散るのね。悪くない……こんな殿方に最期を看取られるなら悪くない。


 二人のバックには大輪のバラが咲き乱れ、キラキラした粉が舞う。どこからかヴァイオリンの切ない旋律が流れる。


「貴女のお陰です。貴女のお陰でこの会社は救われたのです」


「ああ。良かった。お役に立てて死ねるのなら本望です」


「そんな事を仰らないで。貴女はアトラスの救世主。僕の女神……!」


「……真さん!」


「……花恋さん!」

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