君と私、二人の放課後
黒百合咲夜
秘密の関係
シトシトと降る雨が窓を濡らす。灰色の分厚い雨雲から絶え間なく降る雨を見て、ほぅ、とため息をつきながら職員室の扉を開けた。
抱えたクラス全員分のノートを重いと思いながら、担任の先生の机に。ちょうどサッカー部の練習でも指導しに行っているらしく、先生はいなかった。パソコンの横にノートを積み重ねて教室に戻る。
さすがに、校庭に運動部の姿はない。今日は体育館の近くなど、雨をしのげる場所で練習してるか、もう帰っちゃったんだろうな。これはどこの部だろうか、運動の回数を数えていると思われるかけ声が聞こえてくる。
吹奏楽部の練習演奏が響く校内で、私はふと立ち止まった。窓に手を当て、揺らめく水たまりをぼんやりと見つめる。
――好きな人が、別の人と付き合っている。
そのことに気づいたのは、偶然だった。先日、密かに想い続けていたあの人が、たまたま手を繋いで帰っているところを見てしまったのだ。
それからは、私の世界は急に色が変わってしまった。ちょうど、この大空に広がる雨雲のような灰色に。
いい加減、現実を認めよう。私とあの人が結ばれることはない。この恋は忘れてしまおう。
それだけ、たったそれだけのことなのに。ただ忘れるだけの簡単なことだというのに、どうしてもそれが出来ない。嗚呼、こんなに想ってしまうほど時間が過ぎてしまったのか。
窓から離れ、教室に戻ってくる。さっさと帰ろう。帰って、布団を被ってゆっくり眠ろう。なにもかも忘れて楽になってしまおう。
そう考え、扉を開けた。
「――え?」
人がいた。私の席の隣で、腕を交差させて顔を隠すように机に突っ伏している。
どうして、彼女がいるのだろう。ノートを職員室に運ぶとき、教室には誰もいなかった。それに、彼女は彼氏と一緒に帰ったはずなのに。
彼女は――私の想い人は、ゆっくりと顔を上げた。モデルのように綺麗な顔には一筋の涙の跡があり、その目は赤く充血していた。
「……佐藤さん?」
名字を呼ばれ、ドキッとした。彼女は、目元を拭うと照れくさそうに笑う。
「あはは……恥ずかしいところ見せちゃったね」
「桜井さんは……どうして教室に?」
「ごめん、鍵、閉める?」
「いや、そういうんじゃないけど……」
「ねぇ、もし時間あるならお話ししない? お菓子もあるから」
彼女――桜井さんは自分の隣の席である、私の席をポンポンと叩いた。不思議と、私はそこへと吸い込まれるように移動して席に座る。
桜井さんは机にお菓子を広げると、はにかむように呟いた。
「逃げて来ちゃったんだ」
「逃げた? 誰から?」
「仁科くん。私と彼じゃ、いろいろと合わなかったみたいだからさ」
仁科くんといえば、桜井さんと付き合っているクラスの男の子だ。でも、多分周りにそういうこと話していなかったから、知らなかった体を装う。私が知ったのは偶然だったしね。
「仁科くんと付き合ってたの? 知らなかった」
「言ってないもんね。でも、今思うとそれで正解だよ」
桜井さんは、お菓子を一つ食べた。雨が窓に当たる音と、彼女の咀嚼音が教室で静かに鳴る。
「私、頑張って仁科くんを愛そうとした。好きになろうとしたよ。でも、ダメだった」
「ダメだった?」
「うん。私は愛されてなかった。愛を受け取ってもらえなかった。結局は、体目当てだったんだって気づいたよ」
「っ! それ……」
「部屋に連れ込まれそうになって……それで逃げたの。家にも帰れないから、仕方なく教室に」
ひどい。桜井さんが泣くわけだ。そんなにも辛い思いをしていたなんて、聞いてる私まで悲しくなってくる。
視線が窓の外に向けられた。段々と小ぶりになっていく雨を見て、何が面白いのか桜井さんが笑った。
今度は私のほうへと顔を近づけてくる。目と鼻の先に桜井さんの顔があり、今にも鼻先が触れあいそうになった。
「ねえ。佐藤さんって私のこと好きでしょ?」
「ふぇ? ふええええぇぇ!?」
素っ頓狂な声を出してしまう。図星だった。私が桜井さんを好きでいること、知られてたんだ。恥ずかしい。
多分、頬が真っ赤になっていることだろう。思わず両手で顔を隠すが、桜井さんが私の両手を掴んで顔を覗き込んでくる。
「見てたら分かるよ。よく視線を感じるもん」
「あうぅ……それは……」
「好きなんでしょ? ……ならさ、いけないことしてみない?」
言葉の真意を確かめようとする。でも、その前に唇に柔らかいものが押し当てられた。閉じた口を押し開くように、温かなものが侵入してくる。
頭の中が真っ白になった。「キス」されたのだと理解するまでに、数秒の時間を要する。
「ななななな、なにを!?」
「……あ」
思わず顔を離してしまう。桜井さんも、顔を背けてもう一度窓の外を眺めてしまう。
ただ、なんだろう。顔を背けた一瞬、桜井さんの泣き出しそうな顔が気になって仕方ない。
「もしかして、泣いてるの?」
「……っ! やっぱり分かっちゃうか」
私に向けられた笑顔は、涙混じりのものだった。頬を伝い流れ落ちる涙が、今まさに降っている雨と重なる。
「ごめん。佐藤さんなら優しいから、私を愛してくれると思った。本当にごめんね。こんな、つけいるようなこと……」
「それ、は……」
「こんなずるい女だから、お父さんもお母さんも私から離れていくんだ。私は、ずっと一人で……!?」
自分でもどうしてか分からない。でも、気がつくと私は桜井さんの口を塞いでいた。二度目のキスは、先ほどとは違って桜井さんをもっと感じることが出来た。甘く、優しいシャンプーの香りがほのかに漂う。
口を離し、まっすぐ見つめる。涙でしょっぱく感じた味を思い出し、自分の想いを伝える。
「なら、私もずるいね。傷ついた桜井さんの唇を奪ったんだから」
「……佐藤さぁん……」
「私を頼ってくれていいよ。私は、桜井さんのこと……」
陽光が差してくる。いつの間にか雨はやみ、分厚い雲の隙間から温かな日差しが地上を照らしていた。教室にも差し込んでくる灯りが、彼女の目元の雫を輝かせた。
「佐藤さん。一時でも、嘘でもいい。佐藤さんは私を……詩織は私を、愛してくれる?」
言葉は不要だった。お互いに顔を近づけ、返答の代わりにもう一度キスをする。
放課後、教室で私たちは秘密の関係になった。でも、今時こんなの珍しくもない。相手を想い合う二人が結ばれたこと、今は祝福すべきだ。
雲は完全に消え、空は朱色に染まっていた。この空模様が、まるで彼女の心を表しているようだなと思いながら、私たちは指を絡める。
君と私、二人の放課後 黒百合咲夜 @mk1016
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