深夜シフト

かどの かゆた

深夜シフト

 大学生の頃、クソみてぇなバイトをやってた時がある。

 詳しいことは個人情報だから話せねぇけど、あの店は、24時間営業の飲食店だった。どんな朝でも深夜でも構わずシフトがねじ込まれて、学校に行くのも難しい時すらあったのをよく覚えている。


 じゃあ、どうしてバイトを辞めなかったかと言うと、店長が怖くて言い出せなかった、ってのが正直なところだ。

 店長はひょろひょろした背の高い男で、街で会っても絶対に怖いと思わない風貌だったが、店の中ではよく分からない迫力があった。「皆忙しんだから」「ウチで駄目なら他のどこでも働けない」この二つが彼の口癖だった。


 そんなある日のことだ。


 唯一の休みである30分の昼休憩をしていると、パソコンを見ていた店長が「ん?」と首を傾げた。

 面倒ごとの予感がして、黙ってコンビニのおにぎりを食べていると、店長は「おい」とこちらに声をかけてくる。


「なんですか」


「お前、この出勤時間に心当たりあるか」


 画面を覗き込むと、店長が指差したところには『い聞うル』という名前が表示されていた。その人物は、定期的に深夜、この店に出勤しているようだった。

 出勤と退勤の時間をパソコンで管理する店は、よくあるだろう。あの店もそのシステムを使っていて、バイトが各々出勤する時と退勤する時にパソコンへ情報を入力するのだ。まぁ、そうやって時間を入力する前や後にも働かせられることはよくあったのだが。


「心当たりは無いですね。パソコンの調子が悪いとか、そういうことでは……?」


「まぁ、そうか。そうだよな。クソ。このポンコツが」


 店長はくまのある目で物言わぬパソコンを睨みつけた。

 自分も、画面を見ていた。

 よく見ると『い聞うル』は、僕が深夜シフトに入っている時も出勤しているようだったのだ。

 まぁ、だからって意味なんか無いんだけど。

 そう思っていた。

 その時は。






 そして、また深夜シフトが入った。

 従業員は自分一人。所謂「ワンオペ」ってやつだ。


 忙しさは日によってまちまちだが、その日は雨のせいか客が少なかった。

 レジで一人、ぼーっとする。客が来ませんように、なんて、そんなことを考えていたと思う。


 バタン。


 すると、扉の音がした。

 店の入口じゃない。店の奥にある扉の音だ。


「店長……?」


 俺は訳が分からず、一番可能性の高い人物の名前を呼んだ。

 

 しかし、返事は返ってこない。


「誰だよ」


 俺がそう呼びかけても、やはり返事は無かった。

 その代わり。

 叩きつけるようなタイピング音が、やけにはっきりと聞こえてきた。


 心臓が跳ねて、背筋が凍る。

 俺は店のことなどどうでも良くなって、逃げ出したい衝動に駆られた。しかし、バイトから逃げて、店長にどんな言い訳をすれば良いのだろうとも思った。今になって思うと、俺はブラックバイトに浸って頭がおかしくなっていたのかもしれない。


 見ると、控室の扉は開いていた。

 俺は、ちゃんと出る時にこの扉を閉めた記憶がある。

 つまり、中に何かが居るということだ。

 

 ゆっくりと、控室を覗く。


 しかし、そこには誰も居なかった。


「……気のせいか」


 口ではそう言いつつも、気になってしまって、俺はパソコンの出勤記録を確認する。店長の管理がガバガバなので、パソコンの横に貼ってあるメモを見ればバイトでも情報を見ることが出来るのだ。


「えっ」


 そこには、直近の出勤記録が表示されていた。


『い聞うル 23:52分~』


 俺は控室から逃げ、正面の自動ドアから店を出ようとする。

 しかし、自動ドアは開いてくれなかった。


「どうして、どうしてだよ!」


 自動ドアを拳で殴りつける。当然のことながら、ドアはびくともしなかった。


「不味い不味い」


 もうあとは、裏口から出るしか無い。

 俺は裏口のある倉庫へと向かおうと、キッチンへ入る。


「うわっ」


 すると、キッチンのフライヤーに入った油がグツグツと煮えたぎっているのが見えた。このままにすれば火事になってしまいそうな勢いだ。

 俺は慌てて、フライヤーの電源を消そうと手を伸ばす。


 その時だった。


 突然、何者かに、伸ばした右腕を掴まれたのだ。

 ひどく冷たい手に、骨が軋むほど強く掴まれる。そしてその手では、俺の腕を徐々にフライヤーの近くへと近づけてゆく。


 手の主が何をしようとしているのかは、明白だった。


「どうしてこんなことするんだよ! 俺が何したっていうんだ!」


 そう叫んでみても、何の返事もない。俺の後ろに居るだろう何者かは、ただ常人ならざる力でじっくりと俺に大火傷の恐怖を感じさせ続けた。


 どうする?


 どうすればいい?


 俺は縋るような気持ちで、後ろを振り返る。


「止めてくれ! 頼む、頼むから……!」






「お前は違う」






 一言、そんな言葉が聞こえると、俺の右腕はあと少しで油に入るというところで開放された。

 その後、もうこのバイト先では働けないと思ったので、その日帰ってすぐに店長へとバイトを辞める旨を伝えた。多分何かしら契約に違反した行為だったと思うが、あっちだって色々違反していたから、こっちに何か言えた義理ではなかっただろう。


 結局、『い聞うル』が何だったのか、俺には分からない。

 ただ、後から聞いた話によると、俺の居たバイト先には、数年前自殺者が出たそうだ。自殺の原因は分からず仕舞いということになったそうだが、ここのバイトをしたことのある人間なら、予想はつきそうなものである。


 そういえばこの前、店長と街で会った。

 別にすれ違っただけで、話はしていないし、そもそも、あっちは俺のことなんて覚えていないかもしれない。

 でも、こっちは店長のことを覚えていた。だから、以前と違っているところも、よく分かる。


 ねぇ、店長。

 貴方、右手に火傷の痕なんて、無かったですよね?


 

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