二日目
2日目
昨夜見た夢がリモコンの再生ボタンを押したかのように動き出す。
まるで今日という1日の生活が長い停止ボタンであったかのように。
空間を前進している。未だに視界は明瞭ではないが、昨日よりかは幾らかは靄が消えたようで、どうやら歩いているらしい事が分かる。
歩いている。靄が晴れてくると思ったより明るい場所を歩いているらしいことが分かる。
しっかりと、それでいて軽薄な足取りで。
視界が動く、何かの物体を見ようとしたのだろうか、何かが視界の真ん中に映るとともに砂嵐にが濃くなっていく。
視界が暗転し、白い天井が見える。
どうやら昨日の夢の続きを見ていたらしい、視界は薄ぼんやりとしていたが意識はハッキリとしていた。
身体が重い。季節の変わり目だからか、寝付きが悪く夢を見てしまっているのかもしれない。
ベットから起き上がりリビングへ降りていく。
「おはよう」
母と向かい合って朝食を取る。
いつも通りの支度を終え学校へと向かう。
つまらない授業をなんとか意識を保って乗り越え、昼食の時間を迎える。
買い溜めしてあるカップスープと購買で買ったクリームパンを10分ほどかけてゆっくりと食べ終え、それでも30分ほど時間があるので机に臥せて目を閉じる。
ラジオを聴きたいところだがこの学校では携帯やイヤホンの使用は禁じられているから我慢する。
そんなことお構いなしの人間が大多数だが、僕はそうではない。
数人が談笑していると妙に耳に入って仕方がないが、クラスの大半がおしゃべりに熱を入れているとこれはもはや一つの大きな空気の振動になり案外耳障りが良い。人の声というのは言葉が鮮明の聞き取れないくらいが心地よいのかもしれない。
そんなことを考えふと意識を戻すと、また何かが空間を前進していた。
立ち止まり、下を向く、少し視線を揺らしてから元に戻す。
湿気った木材の匂い、遠くの方からうっすら聞こえる雑音、高い音が鳴る、雑音のリズムが早まる。
まるで蜜を吸っている最中に天敵の襲来を察知して散る虫たちのように。
虫たちが飛散し視界が開けると、シュウジが怪訝な顔でこちらを見ていた。
「どうした?何かあったかい?」
「ああ、大丈夫さ。今日一日の授業での生徒たちの睡眠時間の合計がどのくらいになるか考えていただけさ。」
「そりゃきっと、人間一人の生では足りないくらいだろうね」
いつも通りのくだらない冗談を交わしながらシュウジと二人で校門を抜ける。
シュウジは中学2年で一緒になりそこで仲良くなって以来こうして関係が続いている。
勉強も平均よりは上で、運動の面でも所属する剣道部で副主将を務めている。
交友関係もそれなりに上手くやれるタイプだが、なぜか僕を慕っている。
「なあシュウジ、なんで君は僕と仲良くしてくれるんだい?」
「なんだよその質問」
「シュウジは運動も勉強もそこそこ出来て友達も多いだろう?僕とは真逆のタイプだからさ」
「うーん、それは認めざるを得ないね。俺は運動も勉強もそこそこ出来て友達も多い」
「否定はしないよ」
「でも、そういう事柄と、誰と一緒に居たいとかは関係ないと思うんだ。」
「そっか」
僕らは気づけば大通りに出てコンビニの横を通り過ぎていた。
「じゃ、また」
シュウジはいつもここでコンビニ前の歩道橋を上りわかれる。
「うん、また」
再び1人になり、いつもの道を少し早く歩く。
玄関を開けると黒のパンプスが綺麗に揃えて置いてあった。
母が椅子に座り、机に肩肘をかけてテレビを見ていた。
机にはご飯と味噌汁、スーパーで買ったきんぴらごぼうや鱈の煮付けが二人分並べられていた。
僕もおもむろに椅子に座り
「いただきます」
を二人同時に言いながら夕食を口に運ぶ。
「最近どう?」
「どうって?」
「学校とか、生活とか、色々よ」
「うん、悪くはないんじゃないかな」
「まるで他人事ね」
鱈の煮付けをほぐしながら母は少し顔を緩めた。
「そんなもんだよ」
「そうね、そんなもんね」
母はあまり多くを語らない。僕も多くを語らない。
「何かあったら相談くらいしなさいね、唯一の家族なんだから」
そう言いながら先に丁寧にほぐした鱈を口に運ぶ。
「そうだね、ありがとう。」
きんぴらごぼうを咀嚼しながら、きんぴらとはなんのことだろうと考え、またいつもの無言の食事に戻る。まるでお互い一仕事終えたかのように。
母より食事を先に終えると食器をシンクへ持っていきサッと洗いラックにかける。
シャワーをいつもより長めに浴び、寝巻きに着替え自室へ上がる。
ベッドにスマートフォンを放り、その隣に身体を放る。
天井の白に焦点を暈す。
気がつくと眠ってしまっていたのか身体が少し重い。
部屋を見渡すといつも同じ景色だが据えた匂いはなく、むしろ新品の靴を箱から出した時のような真新しさが漂っていた。
ふと机に目をやると、そこには見慣れぬ置物のようなものがあった。
柔らかな輪郭で、何やらまだらの模様をしている。
目を凝らすとそれは猫であるようで、どうやらそれは置物などではなく本物の生命を備えた猫のようだ。
机の隅にちょこんと座り、何やらこちらを見ているようだ。
僕が見返してもそんなことは気にもならぬ様子でこちらを見つめている。
まだらの模様、黒、白、赤茶のまだら。猫なのだから三毛と呼ぶべきなのだろうか。だが多くの三毛猫が白い猫に誤って黒と赤茶の絵の具をかけてしまった色合いなのに対してこの猫は黒色の面積が身体の多くを占めている。
部屋の窓を開けたままにしていたからどこからか迷い込んだのだろうか。
夏の夜に羽虫が造られた光に吸い寄せられて入ってくるなんて事も聞くし、もしかしたら小鳥だってコースアウトして窓から飛び込んでくる事もあるかもしれないが、猫が窓から入ってくるなんてのは聞いたことがない。
こちらが明らかに猫を視認しても、部屋を間違えた隣人のようにいそいそと出ていくことも、ここを我が家と主張せんばかりに居座る事もなく、こちらに目を向けている。
しばらく沈黙が流れた。といっても猫は喋るわけもないし、僕が喋っても独り言にしかならないわけだが。
僕の感じていた気まずさなんて無かったかのように不意に猫が机から軽やかに飛び降りる。
そしてドアの方へ迷いなく歩いていく。
そちらへ目を向けるとドアはほんの少し開いていた。
閉め忘れて寝てしまっていたのだろうか。
猫はドアの隙間に細い身体を入れて出ていくのかと思ったら途中で止まりこちらを振り返る。
僕を見ているのは疑いようが無かった。
僕は何かに引き寄せられるように立ち上がり猫に歩み寄る。
猫は僕など居なかったかのようにぷいと前を向き部屋の外へ出た。
僕も続いて部屋を出ると、そこは僕が昨日見た景色とは様相を異にしていた。
四方を白色の壁で囲まれた部屋。フローリングの床も白い薄汚れた天井もなく、
1階へ降りる階段なんてあるはずもなかった。
色彩もなく、音すらも無かった。
僕の部屋を4つくっ付けたほどの大きさだろうか、一面に白が広がっているので上手く距離感が掴めない。この部屋において唯一色彩を持つのは猫だけだった。
猫は部屋の真ん中を歩いている。
不規則に揺れる黒い尻尾と右後脚の赤茶色の模様だけがこの部屋で色彩という言葉の意味を持っていた。
僕はそれ以外どうすることもできずに猫と同じ方向へ歩いていく。
何処へ行くのだろうか。この一面の白の中で僕は何処へ行き着けるというのだろう。
僕はそんなことを思いながら猫の姿だけを頼りに歩を進めていく。次第に唯一の目印である猫との距離感すら曖昧になっていく。
夢日記 @akisarumi
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